恒川光太郎の小説『夜市』は何度となく思い出す忘れがたい物語だ。
そこに出てくる怪しげな和の夜市に思いを馳せる。
日本人だからと限定的に考えるのは時代遅れかもしれない。
と言いつつ太古から脈々と伝わる和の郷愁を共有しているのは確かで、
根底で繋がっている、そんな気がするのは思い違いだろうか。
それがDNAなのか育った環境なのかはわからない。
遠くから聞こえてくる祭囃子に心が踊ったり、
縁日の提灯や浴衣姿の少女に胸が締め付けられたり、
かげろうに揺れる日傘をさしたおばあさんに懐かしさを感じたり。
懐かしいという共通感覚が愛おしい。
自分の知らないところで形成されたノスタルジアだ。
BUMP OF CHICKENの歌に『涙のふるさと』という歌があるけれど、
涙ならぬ「心」のふるさとがあるんじゃないかと思うことがある。
漫画『蟲師』の光脈みたいな川のようなイメージだ。
心の帰る(還るではなく)場所。
輪廻とは違う意味でルーツをたどれば皆同じ場所にたどり着く。
日本人に限らずね。
参院選の日は日曜日で七夕の3日後だった。
投票がてらいつも車で通る気になる商店街へ寄ってみた。
七夕飾りがまだ残っていてやたら賑やかな雰囲気なのに、
人気はなく大きな飾りが風に揺られシャラシャラという音だけが鳴っていた。
お店はほとんど閉まっていて、七夕は終わっているのに飾りは爛々としていて、
日曜日なのに人っ子一人いなくて、カラッと乾いたいい天気で、、、方向感覚を見失う。
いったい私はどこに迷い込んだんだ。
『千と千尋の神隠し』の最初に出てくるテーマパークを彷彿とさせる。
漂う違和感が心地よくてその空気に身を任せてしまってもいいかな、
なんてそんなことをしたらお父さんやお母さんみたいに本当の迷子になってしまう。
あれは心のふるさとへの入り口だったのかもしれない、そうだといいな。