歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

最強のテレビ番組ーオデッサの階段

2016年01月18日 | 日記
最近はテレビ離れということがよく言われている。

地デジ化とインターネットサービス普及により前々から予想されていたことではある。

情報を一方的に発信するテレビよりも、

自分で情報を選び同時に発信出来るネットの方が今の時代に合っているのだろう。

そんな中注意深く見てみれば稀に驚く程面白い番組と出会うことができる。



数年前NHK教育で放映された全10回シリーズ「ニッポン戦後サブカルチャー史」。

毎週水曜深夜に放送しているTBS番組「オトナの!」。

フジテレビの全3回シリーズ番組「ロック・ストーリーズ」。

私は直接は知らないのだけど知人が絶賛するフジテレビの知的情報番組「お厚いのがお好き?」。



中でも長いことかぎをかけてHDDに保存してある番組がある。

2012年から2013年に放送されたフジテレビの「オデッサの階段」だ。



聞けば「お厚いのがお好き」と同じ制作スタッフなんだとか。

「毎回様々なヒトやモノにスポットを当て物語を紡いでいく。

明日からの人生を豊かにするきっかけになる新しい形のドキュメンタリー。」

(フジテレビホームページより)

物語の構成、番組のアートワーク、出演者など制作者のこだわりが随所に見られ、

見ているだけでとても有益な時間を過ごせるような気がした。

毎回楽しみにしていた分、数ヶ月で番組が終わった時は本当にショックだった。

荒俣宏や松岡正剛、書道家武田双雲の回が特に印象的だった。



問題は視聴率か。

きっと実験的な番組だったのだろう。

久しぶりに録画してある「オデッサの階段」を観て、これはやはり最強の番組だと確信を深めた。

またこのようなこだわりのある番組を期待している。
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韓流ではない韓国映画

2016年01月18日 | 映画
韓流ブームが到来して久しい。

日本における流行の発端は韓国ドラマと登場する韓国人俳優。

日本人にない魅力があると当時おばさまを中心に大流行した。

現在は若いKポップアーティストがその流行を引き継いでいる。



どこからどこまでを韓流というのかは定かではない。

1997年アジア通貨危機以降に韓国で経済再建戦略の1つとして打ち立てられた文化産業振興の賜物。

広義の意味で2000年代以降東アジアで起こった韓国大衆文化の流行と捉えよう。

(Wikipedia参考)



ここでのみそは韓国の大衆文化という点である。

私のような天の邪鬼は韓流という言葉にあからさまに嫌悪感を示す。

そもそも天の邪鬼は大衆文化や流行に対して懐疑的傾向を示す。

しかしだからといって韓国の全ての文化に対して韓流を押し付けるのは間違っている。



私にとっての韓国映画の入口は大学時代に見たかの有名な『オールドボーイ』。

今まで観た映画の中で観賞後落ち込むランキングベスト3に入るが、これが言いようもなく面白い。

そして友人に勧められた『母なる証明』、『殺人の追憶』。

いずれもサスペンスだが、イケメンや美女が登場するような一般的エンターテイメント性が全くない。

常に漂う緊張感、登場人物の人間くささや暴力性、ヒーローが登場しないリアリティ。

はっきり言って日本の子供だましのようなサスペンス映画とは比べ物にならない。

さらには俳優ヤン・イクチュンの長編映画デビュー作『息もできない』は、思い出すだけで涙が溢れてくる。

青春映画『サニー』は反対にエンターテイメントに徹しているが、世界観が徹底されておりとても楽しませてくれる。



そんなわけで私は韓流ではなく韓国映画のファンだ。

韓国映画にしかない何とも言えない空気を吸いたくなり、たまに借りてくる。

レンタル店で韓流のすぐ近くに韓国のバイオレンス映画が並んでいるとなんだかハラハラする。

久々に借りてきたのはずっと気になっていた『悪いやつら』と『ある会社員』。



『悪いやつら』の主演はオールドボーイでも主演を務めた演技派チェ・ミンシクだ。

彼が出ているだけで映画が引き締まる。

日本で言う『アウトレイジ』のような映画かなと思っていたが、組織的というよりは一人の悪いやつの話だった。

チェ・ミンシクの演技は凄いとしか言いようがない。

そしてもう一人、助演のハ・ジョンウが色っぽく魅力的な若頭を魅せてくれる。

「悪さ」はやっぱり人間っぽさと繋がっていて、必ずしも遠い世界の「悪さ」という気がしなかった。





そしてソ・ジソブ初主演の『ある会社員』。

奇抜な設定に頼りすぎな部分もあるけれど、並には楽しめると思う。

私が女だからかもしれないけど、この映画の一番の魅力は主演のソ・ジソブだ。

無口で機械的でかなり男前。





偶然この二つの映画に出ていたのがクァク・ドウォン、いい俳優だ。

主演になることはないだろうけど、必要不可欠な脇役要員。



もし韓流に反感を持っているがゆえに韓国映画を観ないのだとしたら、それはとてももったいないことをしている。

だまされたと思って一回手に取ってみてほしい。

きっと新しい世界が開けると思う。
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風の通り道

2016年01月09日 | 日記
よく「家は人が住んでいないと死んでしまう」という話を聞く。

物理的にも理にかなった話なのだろうけど、きっとそれだけじゃない。

精神的と言ったらなんだけど、人が住んでいる気配がとても大事なのだと思う。



部屋と部屋の境目には壁があり必ず扉や襖がある。

家はたくさんの壁で仕切られ、それぞれに別の空間が存在する。

多くの場合部屋への扉は閉じられていて、必要な時だけ開けられるのだ。



私は家の扉を閉め切るのがあまり好きではない。

だらしないと思われるかもしれないけれど、隙間が空いているくらいの方が丁度いいのだ。

外から吹き込んだ風は家全体に行き渡り、部屋の空気は循環し続ける。

家に流れる風は、人間にとっての血管と一緒だ。

流れが止まればいずれ朽ち果てる。



『蟲師』という漫画を知っているだろうか。

虫とは異なり妖怪の類いでもない、得体の知れない「蟲」の存在。

当たり前の様にそこら中にいて、知らず知らずのうちに共存している。

蟲に悪意はなく己の生を全うするだけなのだが、図らずも様々な幸運や害悪をもたらす。

人間が掌握出来ない存在を恐れるのではなく受け入れるという蟲師の姿勢が私は大好きだ。



その中に「虚繭取り」という話があった。

ウロさんという蟲と共存するためには、いついかなる時も空間を閉じてはならないという掟がある。

それはウロさんが閉ざされた空間にあるものを持っていってしまうから。

人間はその危険と引き換えにウロさんの性質を利用し恩恵を受けて暮らしている。

この話は強烈で忘れ難くなんとも魅力的なのだ。



私の家にウロさんはいないけれど、空間は開け放していたい。

もはや「人間の人間による人間のための家」という考えすら傲慢なのかもしれない。

家自体が脈々と生きていて、蟲のようなわけの分からない存在と共に生きているのだとしたら、

こんな面白いことはないだろう。





『蟲師』は一見取っ付きにくいが大好きな作品の1つだ。

漫画はもちろん、アニメもクオリティが高くどちらも非常におすすめ。
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STAR WARS episodeⅦ フォースの覚醒

2016年01月07日 | 映画
私にとってスターウォーズとはなんだろうか。

あまりにも当たり前に生活の中に潜んでいる。

映画が公開しなくたってスターウォーズの特集雑誌が本棚に置いてあるし、

砂漠に佇むC-3POとR2-D2のお気に入りのポスターもある。

もはやスターウォーズは好きか嫌いかという議論を超えた存在だ。

もしかしたら信仰に近いのかもしれない。



スターウォーズは常にワクワクを運んできてくれた。

小学5年生のころに公開されたエピソードⅠのパンフレットはすり切れる程読み返した。

パンフレットに描かれたキャラクターを眺めていると、虫博士と呼ばれる父は嬉しそうに

「スターウォーズに登場する変わった生き物や機械の多くは虫がモデルなんやで。」と言っていた。

ストーリーにあまり関係ないところで出てくる生き物や機械を観察するのも楽しみの1つだ。

家族みんなでスターウォーズ観るぞ!と気合いを入れてこたつを囲んだ風景が懐かしい。



小学生の頃はマーク・ハミル演じるルークに恋をしていた。

旧シリーズを見返すとエピソードⅣのルークが若々しくイケメンで驚いた。



そして周りの女の子がジャニーズやウィンズに熱をあげていた中学から高校にかけて、

私はエピソードⅡ、Ⅲのヘイデン・クリステンセン演じるアナキンにぞっこんだった。






今回はルーカスフィルムがディズニーに買収されてから初めてのスターウォーズ。

期待と不安が入り交じる。



高鳴る胸を押さえて、冷静を装いながら映画館へ出陣した。

IMAXの3Dは通常より800円も高いけれど迷わず購入。



はっきり言ってかなり面白い。

スターウォーズに流れる独特の空気は守りつつ、

万人に受け入れられそうな爽やかさを兼ね備えていてとても観やすかった。

そしてファンなら嬉しさ倍増オプション満載だ。

懐かしさと新しさのバランスが本当絶妙。



監督のJJはかなりのスターウォーズファンとみえる。

観る者の楽しみ方を熟知している。

とにかくかっこよくてゾクゾクする。



フォースの存在は空想かもしれないけれど、哲学的でとても自然に近いものでもあると思う。

言葉は違えど、この地球や宇宙も似たようなエネルギーで満ちているような気がしてならない。

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新年のご挨拶

2016年01月05日 | 日記
少し遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

皆様新年をいかがお過ごしでしょうか。





観測上一番の暖冬はいつもの冬を忘れさせる。

昼間は少し厚着をすれば暖房器具が必要ないくらいだ。



今年の初詣は神奈川の中間ほどにある寒川神社に行ってきた。

最近は浅草寺や川崎大師などかなり名の知れた場所に行っていたが、

今回は知り合いのおすすめの神社に行くことにしたのだ。




無宗教と言われる多くの日本人にとって、

寺か神社かという選択を気にする人はあまりいないだろう。

いろいろ調べてみると寺は仏を祀り、神社には神が祀られているという。

神というと近寄り難いがキリスト教のような唯一無二の神ではなく、

精霊のようなものなのなだろう。



理想は自分の生活に馴染んだ場所にお参りに行くことだ。

子どもの頃は『ゆく年くる年』がはじまる時間に村の寺へ行き、

大人たちがお経を読んでいる間子どもたちで除夜の鐘を鳴らすというのが年越しのスタイルだった。

108の煩悩を追い払うというが、毎年途中で何回鳴らしたか分からなくなった。




寒川神社。参道を抜け拝殿が見えると急に空が広くなった。


賽銭のためのピカピカな5円玉。







年初めだけ都合良くこういう場所に来るけれど、それでもいいんじゃないかなと思う。

形から入るというのも大事なことだ。



私の実家では日本の伝統的な行事や通過儀礼というものがフィーチャーされることがなかった。

七五三も知らなかったし、お盆はお客さんが遊びに来る夏の一大イベントだと思っていた。

父はその他にも誕生日やクリスマスといった世間のイベント事には懐疑的だった。

母は気分屋なのか、思い立ったら頑張ってくれたり頑張らなかったりした。

クリスマスの朝、小学校高学年にして初めて枕元にプレゼントが置いてあった時は飛び上がる程嬉しかった。

その頃流行っていたキムタク主演のドラマ『ヒーロー』でキムタクがいつも来ていたジャケット風の上着だった。

少し小さかったけど嬉しくて無理矢理着ていた。



そんなこともあり私自身が日本の行事に驚くほど無知で、世間とのズレをよく感じるのだ。

それでも子どもの頃正月に決まった形があったのはとても大事なことのような気がしていた。



さて2016年はどんな年になるでしょうか。

まだ見ぬ未来を胸に抱いて、今日からまた出発であります。
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