田川市石炭歴史博物館
立春も過ぎ、いよいよ春が目の前に迫ってきた。峠は越えたと思うが、あと1カ月の我慢だ。歩き始めたミイちゃんじゃないけれども、野山を駆け廻れる日を例年以上に待ち焦がれている。
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さて、日曜日。妻と懸案だった田川に出かけた。世界記憶遺産で一躍有名になった山本作兵衛の原画展が中村美術館で開催されていたのだ。北九州に住みながら山本作兵衛の炭鉱画を知らず、世界記憶遺産に認められたと聞いて、我が郷土にもこのような人が居たと知って驚いたのだが、機会があればその概要を知りたいと常々思っていた。
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中村美術館で新聞などの報道で見知った絵を改めて見て、その精緻と言える描写力に驚いた。炭鉱内の機械はすべて彼の記憶に基づいて描かれており、その名前や役割などが正しく紹介されていて、彼の学習意欲の高さ、記録の確かさに感銘を受けた。またそれ以上に、私が知っている以上に過酷な採炭現場と現代では考えられないくらいの彼らの身体を張っての頑張りに衝撃を受けた。
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子供の頃、私が住んでいた町には小倉炭鉱があって、男衆はカンテラ付きのヘルメットをかぶっていたのを覚えているし、トロッコでボタを捨てる際にその中わずかに残っている石炭を探しにバケツを持ってボタの山を掘りに行った記憶もある。だから炭鉱とは、と人並み以上に知っていると思っていたのだが、それは大きな間違いだと思い知らされた。<o:p></o:p>
炭坑節にも唄われた明治に建てられた耐熱レンガの大煙突。坑内の動力は蒸気機関だったので、排煙装置が必要だったとか(手前は大正期の復元された炭鉱住宅)。2,3枚目はやはり明治期の高さ40mの巻揚げ機。地下350m、2トンの石炭を地上に吊り揚げていた。
美術館を出たあと、次いで田川市石炭歴史博物館を訪れた。ここは三井炭鉱の跡地で、当時の機械や設備が残されており、山本作兵衛の記録も展示されていて、炭鉱文化のメッカと言えるところだ。 館内は広く、明治期から昭和期の採炭の歴史や、胸乳豊かな20代と思われる若い女性が上半身裸で働いている写真などが展示されていて見応えがあった。若い女性が腰布だけの半裸とは信じられないが、それだけ坑内が暑かったのと暗かったのだと思うが、夫婦二人の作業が普通だったと聴いてなるほどと納得した。そして屈託のない彼女達の笑顔に大いに私は勇気づけられた。彼女達の身体を張った頑張りに比べると私なんかまるで遊びだと。
<o:p>明治から昭和の工具や坑内風景が展示されていました。上半身裸の働く女性も。</o:p>
博物館は生憎の雨にも関わらず大勢の観光客で溢れていて、田川の最大の観光スポットとなっていた。炭坑節発祥の地という、明治期に建てられた大きな2本の煙突、地下350mまで下りているエレベータ巻揚げ機など遺構なども沢山残っていた。<o:p></o:p>
日頃の怠惰な生活を少しばかり省みて、知的探究心を補充した積りの私、お土産の「かんてら」というお酒を手に入れてすっかり満足。帰りに冷えた身体を温めようと福智山麓の日王の湯(ひのうのゆ)という温泉に立ち寄った。湯に浸かりながら、急激に近代化した我が国とそのエネルギー推進力に付いて思いを馳せたりした。現代に足りないもの、それは・・・など、自分自身への警鐘でもあると思ったりもした。
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