farm note 農便り

農業をしながら生活を楽しくをモットーに

2011-03-23 22:26:24 | Weblog
ついに水戦争に突入した感じがする。
午後東京の放射能の混じった水道水の件を知った。私、即すーぱーに走りミネラルウオーターを買う。制限で3本。しばし気休めの保管用。店にある無料水用に、容器2つ購入し、アルカリ水を入れて帰る。
よく水を買う私に母はよく怒っていたので、
最近買っていなかったけれど、今日買っておいた。
何時何が起こるのか不透明な日々の中で、不安が追い立てる。

東京に住む長男に連絡すると、冷静な声でミネラルウオーターを利用しているから心配しなくていいよとのことなので、一安心。
明日はホウレンソウ、ダイコン、ターサイ、玄米など送ってやろう。
遠く離れていると心配がつのる。でも冷静な声を聞くと安心する親馬鹿な私である。

水のことは米作りを始めてからずっと気になっている。
いま、放射能を含んだ水。大変な事になりつつある。
落ち着いてと言われても、落ち着いておれない。
これから田んぼ作り。
水との付き合いが始まる。
大事にしたい。
4月になると、稲たてが始まる。つまり、農業用水路の一斉掃除をして、水を水路に流す作業、
いよいよ水との付き合いがはじまるのに、恐いニュースです。
当たり前のように、水と対しているが、ありがたい、大切な命の源の水、
あらためて水のことを考え直そうと思っています。
生活学校に入ったのも、水のことがきっかけでした。
当たり前の無料の水のように思っていたが、これからは認識を改めなければならない時代に突入した感がする。

午後から畑へ母に頼まれて、肥料を運び、ホウレンソウを引きました。
アスパラ畑を見ると、つくしも一杯顔を出し、少し、アスパラも寒そうに顔を出し始めました。春近し、
東日本の方にも早く、暖かい春が来ますように、祈るだけです。
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東海村の原子炉

2011-03-23 09:40:42 | Weblog
小学校、高学年時代の思い出が蘇ってきました。
担任の先生が、
日本が資源が少なく、東海村に原子炉が出来、希望の火のように言われていたのを、ちょっと思い出した。あの頃から50年ぐらい経過し、」今原発の恐さに怯えている。
また近くに、工業高校や高専などが作られていた。私達の世代からのようだ。
その頃から、政策的に、計画的に電力会社への要員が準備されていたのだろう。電力会社で働く人が高度成長時代を前に用意されていたのだろう。

我が家も早くから、近所の電力会社にお勤めの方から頼まれた、早くから台所に大きな温水機を利用し、原発推進への道に利用?されていたのかもしれない。
風呂場の火事をきっかけに、これまた電路会社勤務のものがいる親戚から、オール電化を進められ、電気の恩恵を受けている。

でも、今これでいいのかと、色々考える。
近所では、いいまだ、木でお風呂を焚いている家がある。ログハウスから煙が出ている家も見かけるようになってきた。木の煙はなぜか、ほっとさせ、ノスタルジックにさせる。
台所のコンロから火はでない。だから高年の私達には安全かもしれない。でも大きなリスクを負っているの今の現状だ。

これから本当にどのように日本のエネルギー政策は展開されていくのだろうか?
段々加齢していく私達、病気になっていられないしと不安が忍び寄る。
リビアでは戦争が続行されて、日本では原発が白い煙を上げて、何れも元を正せば、原因は同一で、人間の飽くなき欲なのだろうか?
思い出したように、秘密結社の情報をブラウジングしていたら、恐くなった。後日
いざパソコンを開いてみると、Operating System Not Foundと表示され、更に恐くなったが、何だか、ふす気味悪い世の中である。
後から線を抜いたりして様子を見ていると回復。偶然が重なると、不安に火が注がれるようで、恐いですなあ。
あまり、意見すると、田の取水口を破壊したりするような嫌がらせがあり、恐い。
あまり突っ込むと恐いぞ。最近また、家の側に置いていた工具箱もなくなったり、以前も車ノキーが抜かれて、道路にほかされていたり、私の被害妄想は拡大する一方。ボケのはじまりか?
いのしし年生まれの私、突っ込みが特徴的なので、要注意!
ダリ、しっかり仕事をせよ!
コメント (1)
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