上の写真はわが家の門扉に架けた小さなレリーフである。
「ね、これってまるでシェラとむぎみたいな親子でしょう」
数年前、家人が行きつけのガーデニング・ショップでいただいたものだが、そこに彫られている犬の親子の像に彼女はひと目惚れだった。
わが家はマンション住まいだが、自室の玄関ドアを出るとちょっとした広いスペースがあり、通路とは高さ1.2メートルほどの鋳物の門扉で区切られている。家人はこのレリーフを、「ウチにはこういう二匹の犬がいます」というつもりで門扉に固定した。
レリーフのモデルはウェリッシュコーギーだが、母犬のほうはあまりコーギーらしくない。むしろ、わが家の雑種のシェラにシルエットが似ている。ぼくたちには、「シェラとむぎをモデルにした」ように見えるが、ほかの方の目には「ぜんぜん似てないじゃない」と映るかもしれない。
むぎが逝ってしまって以来、夜、会社から戻る度に門扉の前でこのレリーフにため息をつき、そっと門開けて中へ入る。
家人は、外から戻るとぼくのようなため息ではなく、レリーフのむぎに、「むぎちゃん、ただいま」と声をかけ、撫でてから家に入るそうだ。
以前だったら部屋の中の玄関の前でむぎが待ち構えていて、ちょっとした物音にも「お帰りなさい!」とばかり盛大に吠えて迎えてくれたのだが、いまは静まり返ったままだ。すっかり耳が遠くなってしまったシェラは、誰かが帰ってきても音で気づくことはできなくなっている。
昨日の夕方、シェラを連れて買い物に出かけて帰ってから、レリーフを見て、しばし家人とむぎのことを話した。レリーフのむぎを目にすると耳の奥でむぎの吠える声がよみがえる。出迎えのむぎの声が絶えた家に入る寂しさはひとしおこたえると……。
「むぎちゃんが天国へいってしまって、あのレリーフ、うちの宝物になっちゃったわね」
そういって家人はまた涙ぐんだ。
すると、そばにいたシェラがよろけながら玄関へいって、じっと扉のほうを見つめていた。そのあとも、休日の散歩から戻って疲れているはずなのに、何度か玄関をのぞきにいっている。
ぼくたちが不用意にむぎの名前を口にしたことで、シェラは「むぎが帰ってくる」とでも思ったようだ。やっぱりむぎを待っているのだ。
迂闊だった。罪なことをしてしまった。
もう二度とシェラの前でむぎの話はすまい――ぼくと家人は誓いを新たにした。
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