朝、寒くて目が覚めた。三分の一ほど開けた寝室の窓から涼しい風が吹き込んでいたからである。二、三日前までは朝から溶けるような暑さの日々だったのだから、寒くて目が覚めるなどというのは嘘のような朝である。
これからまだ残暑の日があるとはいえ、この夏も、どうやら暑さのピークは越えたという予感がある。
窓を閉めにベッドから起き上がりながら、「やれやれ……」と思った。これでシェラも大丈夫だ――たしか去年も晩夏のころ、涼を得たときに同じ確信を感じていた。
連日のあまりの暑さに、シェラが殺されてしまうのではないかと本気で心配していたからである。犬を飼っている多くの方々が同じ思いだったのではないだろうか。とくに老犬ならなおさらである。
昨日はシェラも一緒に家族そろってぼくの友人のひとりとランチに出かけた。
シェラがいるのでわんこも入れてくれる横浜・たまプラーザの「モンスーンカフェ」を予約してあった。昨日までの残暑が嘘のような涼を得て、「モンスーンカフェ」のテラス席にはまるで避暑地のような快適な時間が流れていた。
ゲストのKさんは、都心の大学でスペイン語を教える素敵な女性。12年のスペイン生活を終えて一昨年帰国するとき、行き場がなくて引き取って面倒をみていた二匹のネコを苦労して連れてきたような人である。
年齢はわが愚息よりひとつお若いが、ご縁があっても10年近くおつきあいをいただいている。シェラを含め、家族に紹介するのはこれがはじめてだった。
シェラも一緒というのでKさんもこの日を楽しみにしてくださっていた。
家族以外、絶対に心を開かないシェラは、そんなKさんにさえも最初は無視の態度だった。「シェラちゃん、こんにちは」と声をかけられると「やめて!」といわんばかりに吠えた。
ぼくたちがランチと会話で盛り上がっている最中、シェラはいつものように家人ににじり寄り、自分にも何か食べるものをちょうだいとしきりに催促していた。すべては、そうした悪い癖をつけてしまった家人の責任である。
ひとしきり食べるものをねだったシェラだったが、おやつにも飽き、ぼくと家人の間で寝そべっていた。そのうち、ぼくの背後からKさんの足元近くへ移動して寝そべっている。
これはKさんを仲間として認めてやってもいいというシェラの最初のサインである。
むろん、Kさんにはいわなかった。ネコのみならず、動物好きのKさんは、初対面のシェラを撫でたくてウズウズしていたからだ。
シェラが心の距離を縮めているなどといったら、一足飛びでシェラに触ろうとする。だが、その段階に到るには、いま少し時間が必要だ。
やがてシェラが自分からKさんの足を枕にして寝そべったら、ようやく彼女もシェラが仲間の一員と認めたときである。
それが次回なのか、あるいはもっと先になるのか、シェラの気分しだいというわけだ。
この日、むぎのお骨は留守番していてもらった。