愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

だから心残りになってしまった

2011-08-10 12:59:22 | 追憶のむぎ
 連日のめくるめく烈日の真夏日である。
 寝る前に窓を開け放って風を迎え入れ、エアコンを止めると、すぐさまシェラが呼吸を荒くして、「暑いじゃありませんか」とばかりのアピールにやってくる。リビングルームの、エアコンからの冷たい風が直接降りてくるソファーの裏がシェラの夏の定位置になっている。

 いまや、シェラはすっかり「冷房犬」と化してしまったが、むぎは暑いとか寒いとかでわれわれにアピールするようなことはなかった。暑さで音(ね)をあげるシェラの横で耐えていた。キャンプでも、写真のようにシェラは日陰に避難するが、平然と日なたにいた。



 下の写真のように、いつまでも日なたで爆睡していたので、こちらが心配になって連れ戻しにいくことも再三だった。あんな日なたで寝るなんて、シェラだったら5分と耐えられなかっただろう。


 それも真冬になると一変する。
 シェラが元気全開になって舞い上がる横で、むぎは明らかに寒さにたじろいでいた。雪の日の散歩まで嫌うほどではなかったが、積もった雪に狂喜して暴れるシェラの姿につられて興奮はするものの、雪そのものを喜んでいる風情は感じられなかった。家の中でも、真冬の夜は家人の布団の中に潜りこんでいったくらいである。
 もし、むぎの直接の死因が熱中症だったとすると、「むぎは暑さに強い」という先入観からのわれわれの油断だった。


 同じマンションのわんこ仲間に、唯一のコーギーがいる。朝はご主人が、夕方は奥さんが散歩に連れていくのはわが家と同じだが、微妙に時間帯がずれているので、遠くから姿を見かけることがたまにあっても、なかなかお会いできないでいる。 
 昨日の朝も、だいぶ距離はあって挨拶もままならないほどだったが、いつも二匹連れのぼくが一匹しか連れていないのに気づいてその場で待っていてくれた。
 まして、コーギーのほうが見えないから、なおさら気になったのだろう。

 「実は先月、突然……」
 何度となく繰り返してきた説明をする。家人はいまだにそれが辛くてならないとこぼす。
 話しているうちにこみあげてきてしまうのだという。話をするほうも辛いが、聞いてくれるほうだってお悔やみの言葉のひとつもいわなくてはならないのだから、気にしてもらえただけでもありがたいとぼくは思いたい。
 
 「そうですか。それはお寂しいですね。この子も見るからに寂しそうな顔をしてる」
 そういわれて振り向くと、たしかにシェラはみたこともないような寂しさを顔ににじませて立っていた。
 目の前のコーギーは、男の子だし、見かけもむぎとは趣を異にしているが、やっぱり、シェラは同じコーギーというだけで、自分の前からいなくなってしまったむぎを連想してしまうのだろうか。

 あちらのコーギーは、まだ8歳で見るからに元気いっぱいである。だが、ガンを患い、手術で克服して生還した。むぎも二度入院を経験して、そのうちの一度は腎臓結石の手術をしたが、ガンのような大病は患っていない。
 とはいえ、お医者さんのお世話になった頻度はシェラよりはるかに多い。シェラもむぎもペット保険に入っていて、シェラはほとんど使っていないが、むぎは何度となく保険を使ってきた。

 それでも、たいした病気もせず、おおむね健康でいてくれたのだからやっぱり親孝行な子だったと、いま、あらためて思う。だからこそ、早めの別れがなんとも心残りでならないのである。
 マンションで唯一になってしまった8歳のコーギーが、むぎの分まで長生きしてくれるようにと祈らずにはいられない