愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

おかげで辛さを忘れそうになっていた

2011-08-19 18:07:08 | 残されて
 今朝、シェラを連れて散歩に出ようとするぼくにベッドの中から家人が叫んだ。
 「ね、エサ、エサを持っていってやって!」
 むろん、茂みの中のむぎネコへのエサである。
 「もう、持ったよ」
 ぼくのポケットには、ティッシュにくるんだエサが入っている。といっても、キャットフードではない。シェラのオヤツを一部失敬してきたものばかりである。


 シェラがネコたちの中で育ったとき、シェラはネコのドライフードが大好きだった。だが、ネコのフードをイヌに食べさせてもいいものかどうか気になってお医者さんにうかがったことがある。
 「ネコにイヌのフードはまずいけど……ま、いいでしょう。ただし、カロリーが高いから肥満に気をつけてください」
 そのアドバイスが頭にあったが、ビスケットや小魚などのオヤツ類ならイヌ用と問題あるまいと思い、持ち出した。

 朝の茂みの中にはむぎネコの気配さえない。チチチチ…と舌を鳴らしてみたが茂みの中は静まり返ったままである。そりゃそうだ、朝の6時過ぎである。あちこちにイヌの散歩をしている人の姿が目立つ。茂みの縁にはわんこの真新しいオシッコの痕跡も少なくない。
 道を行き交うイヌや人の姿に、むぎネコは茂みの中で気配を消し、息を潜めているのだろう。事情はきのうの朝も同じだったわけである。
 
 人の行き来が空白になったところで、ぼくは手早くティッシュの包みからエサを取り出し、茂みの中に滑り込ませた。容器に入れている余裕はなく、地面に直接置いた。気づいてくれればいいがと思いながら、素早くその場を離れた。
 家では、日常的にむぎの霊前に供えるオヤツをシェラがねだっている。むろん、最後はシェラのお腹へ収まるのだから、このところ、シェラは体重を増やしている。むぎネコへのエサも、通行人のみならず、シェラにも気づかれないようにしなくてはならないからひと苦労である。

 一時間後、会社へ向かいながら茂みの下をのぞくとエサはきれになくなっていた。
 問題は昼前から降り出した雨をどこでどうやってしのいでいるかである。いま、この小文を会社の外のコーヒーショップで書いている。
 家に戻れば、むぎネコをどうするかを決めて実行に移さなくてはならない。なかなか苦労な週末が待っている。

 ふと、気づくと、むぎへの哀しみをあのネコが相殺してくれていた今週だった。


「迎えにきて!」とむぎが呼ぶ

2011-08-19 12:53:07 | 残されて

☆まだ隠れていたむぎネコ
 どこかへ去っていってしまったと思っていた「むぎネコ」は、まだ植え込み茂みの中に隠れていた。
 家に帰り着いた午後9時過ぎ、もういないと思いながらもぼくは植え込みを通りながら舌を鳴らして反応をみた。耳を澄まして通り過ぎたが何も聞こえない。引き返しながらもう一度舌を鳴らすと、かすかな反応があった。空耳かもしれない。立ち止まり、もう一度舌を鳴らず。かすれた声が短く答えた。
 
 家人もむぎネコがまだいるのは知っていた。シェラを連れ、ケージを押して植え込みに近づくと茂みから顔を見せたという。
 「台車の音でわたしだってわかったみたい。ほかの人たちもいるのに、シェラのケージの台車の音を聞き分けてるのね」
 家人の話はぼくにも意外だった。日々、用心深さを増しているのに顔を出した行動が意外だったのだ。家人が餌を与えたのは、昨夜の一度かぎり、それなのに、その前からシェラの散歩のために彼女が近づくと顔を出して呼んでいた。
「うちの子になりたいのかなぁ……」

☆さあ、どうしたものだろう?
 食事を終えてから、再びぼくたちはむぎネコに餌と水を与えにいった。
 家人が茂みに声をかけるとすぐにはっきりと答えた。その方角にカメラを向けて写真を撮ると、なんとカメラのすぐ前にむぎネコはいた。出会い頭に撮ったのが冒頭の写真である。
 目の前でいきなりストロボが光ってネコもビックリしただろうが、その場でカメラのチェックしたぼくも大写しになっていた顔に驚いた。


 餌を与えてから、その場でぼくたちはしばし話し合った。
 いつまでもこんなことを続けるわけにはいかない。しかし、なんの準備もなく家に連れ帰るのも無謀だ。とりあえず入れておくネコ用のケージさえない。まずは明日、明後日になんとかしようとぼくは提案した。
 家人が心配したのは金曜日に大雨の予報が出ていることだった。

☆シェラの耳が探ったのは
 家に戻ると、シェラが動揺していた。ぼくと家人が外へいっていまったからだ。むぎがいなくなってからシェラは確実に変わった。
 とりわけ、緊張感を取り戻して顔には精悍さも戻った。いままではむぎが常に見張り番をして、何かあれば吠えて教えてくれていたのがなくなったからだろう。

 その反面、動揺や弱さも露呈した。
 散歩の途中、だれかれからとなく、「寂しそう」だと指摘を受ける。ひとり置き去りにされないようにと必死で食い下がる。ぼくや家人のそばにくる頻度が増えた。

 

 昨夜も、しきりに耳の角度を外へ向け、何かを探っている。もう、あまり聞こえていない耳で何を知ろうとしていたのだろうか。むぎネコからの通信を受けていたのか。そして、ぼくの足の上にお腹を置いてのマッタリがはじまった。はじめて見るシェラの行動だった。
 そのあとも、ぼくたちが寝るまで、何かを訴えながら落ち着かなかった。

 家人は、「何よ、何がいいたいの? わからない……」とシェラに答えつつ、あの子ネコに憑依したむぎの魂がシェラを通じて、「早く迎えにきて!」と訴えているのだと理解していた。
 むろん、そんなことが絵空事だというのはわかっている。すべては、突然逝ってしまったむぎへの、ぼくたちの残心が生んだ幻想、いや、妄想である。