愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

あの日、早めに引き返していたら…

2011-08-12 12:55:42 | 残されて
 寝苦しい夜が明けると、きょうも暑い朝が待っていた。シェラに急かされていつもの時間に散歩に出る。 
 以前は、小と大の排泄さえすめばもう用はないとばかり頑として前へは進まず、家に戻ろうとしてきたシェラだったが、むぎがいなくなってからの散歩のスタイルがガラリと変わった。暑い中、こちらがハラハラするくらい帰ろうとしないのである。

 あちこちでにおいを嗅いで、それが異常なほどしつこい。たしかに、むぎと一緒の散歩のころからそこかしこでしきりとにおいは嗅いでいたが、いまは以前の二倍、三倍の執拗さである。そのために、散歩時間も増えた。
 夕方の散歩のときもまた同じだという。


 むぎと一緒だった当時は、たいていシェラが先に排泄を終えてしまい、そこからは帰りたがったので、むぎのために散歩を続けるのがひと苦労だった。帰りたいのは足が痛いのかもしれず、しかし、むぎのためにシェラをなだめすかし、「頼むよ、シェラ!」などと懇願までして散歩を続ける一方で、むぎには、「早くしなよ」と急かしに急かした。
 シェラの散歩の距離が短くなるのは、むぎの運動量の減少をも意味する。ぼくにはそれが歯痒くもあった。

 あの日の朝は、たまたまシェラに続きむぎのほうも早めにトイレをすませたくれた。片道200メートルほどの毎朝の散歩道での150メートルあまりの地点だった。
ぼくは、一瞬、迷いはしたが、そこから引き返さずにいつものように折り返しにしている花壇に向かった。空は曇っていたし、特別暑いというわけではなかったからだ。

 往復での100メートル足らずは、ただでさえ運動不足のむぎのためでもあったが、いまにして思えば、あの余計な距離がむぎの命を奪ってしまったのかもしれない。
 この散歩の途中ではなんの異変もなかったのに、家の玄関でむぎはへたりこんだ。明らかにバテていた。だが、足を拭いてやるといつものようにリビングへと歩いていった。

 ぼくの目には暑さにへばった程度にしか見えなかったが、家人の目には差し迫った異変がはっきり見えていた。声を震わせて「病院へ連れていかないと」と言い張る彼女に、ぼくは、「またか…。おおげさなこった」とうんざりしながら渋々クルマを出すのを承知して、会社へ「出るのが遅れる」とのメールを送っていた。その最中にむぎはひとりで静かに逝ってしまった。

 ずっと頼ってきたシェラではなく、シェラの老いにしたがい、最近、甘えることを覚えた家人のそばまでやってきての瞑目だった。


 つい先ほどの散歩で、「さあ、あそこまでいって帰ろう」というぼくに、嫌がる様子もなくおとなしく従ったむぎの姿がよみがえった。
 余分な100メートルは、さぞや辛かったに違いない。悔んでも悔やみ切れないぼくの失態だった。

 あの日以来、シェラは散歩のとき、むぎを探すかのよう自ら進んで花壇の周回に向かっていく。そこへたどり着いてぼくはいつも胸を痛めている。
 ここまでこなかったら、むぎを死なせずにすんだかもしれないのに……。

 ぼくはあまりにも鈍感だった。