愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

神様がくれたむぎの化身なのか?

2011-08-17 12:48:33 | 残されて

 お盆といっても、東京では7月におこなうのが一般的なので、昨日の16日のたそがれどきに送り火を見ることはまずない。
 先月の8日が命日だったむぎの場合、新盆は来年になる。だから、来年の7月のお盆には、むぎのために形だけでも迎え火と送り火を焚いてやろうと思う。むぎには、小さなキャンドルがふさわしかろう。

 そんなことを考えながらマンションの前までくると、シェラと散歩から帰ってきた家人に会った。ぼくに気づくと、家人は意味ありげに「静かに!」とぼくを制していった。
 「あそこにねぇ、ネコちゃんがいるのよ」

 なるほど、マンションのエントランスの横の生け垣の下からネコが顔だけ見せている。
 「まだ子ネコなの。どうしたのかしら……?」
 ぼくが近づくと、ネコは茂みの奥に逃げ込み、手を入れると爪をたててその手を引っかいた。それでいて子ネコ特有の鳴き声をあげ続けている。

 家人がこの子ネコを連れていきたがっているのを承知でぼくはシェラを入れたケージ(ぼくが住んでいるマンションでは、構内の移動は抱くかケージに入れる決まりになっている)を押してその場を離れた。
 「むぎちゃんの代わりに同じ毛並みのネコちゃんがきたわね」
 エレベーターの中でも、家人は、あのネコは神様がわが家に遣わせてくれたのだといわんばかりの物いいで、「しょうがねぇな、連れてこいよ」というぼくの言葉を待っていた。

 シェラがやってきたとき、わが家には三匹のネコがいた。すべて捨てられていたネコばかりである。
 シェラはそうした三匹のネコと一緒に育った。ドッグフードよりもキャットフードをほしがり、ネコたちが食べ残すのをじっと待っていたくらいだ。ネコの食器に一緒に顔を突っ込んで食べたいところだが、それをやれば強烈なネコパンチが飛んでくるのを経験して、じっと待っていた。

 そうしてネコたちの中で育ったので、自分はネコだと思っていたきらいがある。はじめての散歩で向こうからやってきたイヌが怖くて、シェラのにおいを嗅ごうと近づけてきたそのわんこの顔を前肢で牽制したのは、いつも自分が浴びているネコパンチのつもりだったのかもしれない。


 むぎもまた、シェラ以外に二匹の老婆ネコたち(むぎがきたとき、いちばん気の好かったオスネコは交通事故で若死にしていた)に鍛えられて育った。むぎにとっては、自分のすぐ上にシェラがいて、ネコたちはさらにその上に君臨していたことだろう。なんせ、母親代わりのシェラがネコたちに一目置いていたからである。
 そうやって育ったむぎはイヌにもネコにもフレンドリーだった。シェラが、いまだにイヌが嫌いで、ネコにはフレンドリーなままなのは、もしかしたら、いまなお自分はネコの仲間だと信じ込んでいるからかもしれない。

 だから、あの子ネコを連れてきても、シェラはあまり困惑しないだろう。だが、ネコのほうはかわいそうだ。とにかく、子ネコからみたら、なんともでかいわんこがいるのだ。さぞや怖かろうと思う。

 昨夜は、ぼくが子ネコに興味を示さないということで、家人もどうやら半分は諦めてくれたらしい。
 「あのネコちゃん、ノラかしら?」とか、「きっと、飼われてた子が迷子になっちゃったのよね」などと、ぼくにカマをかけながらも、諦める言い方になっていた。それで、ほんとうに諦めたかどうかはわからない。
 あれはむぎの化身だと思い込むつもりでいるのだから。

 今朝、シェラの散歩で外へ出ると、同じ場所から子ネコが首を出して鳴いていた。近づくとまた茂みの中へ隠れてしまう。この写真は、ぼくの出勤前に再び茂みに逃げたネコを手持ちのiPhoneのカメラで撮ったものである。

 今夜、家に帰ったら、シェラとこの子ネコが待っていたなんてことにならないといいのだが……といいつつ、ぼく自身、こんな写真を撮っているくらいだから、「神様がくれたむぎの化身」と思いはじめて……いや、そう思いたいのかもしれない。