☆もしかしたら家の中に…
生垣に隠れているむぎと同じ色の毛並みの子ネコこと「むぎネコ」が気になって、昨日は8時前に家に帰り着いた。あの子が隠れているはずの生垣の前で呼んでみたが反応がさっぱりない。
ガッカリしながら、ホッともした。飼主が見つけて、連れ帰ってくれたのだろう……と。
いや、待てよ、もしかしたら、もうすでにわが家にいるかもしれない。そんな期待に衝き動かされてそそくさとその場を離れ、エレベーターに乗り込んだ。
家のドアを開け、「ただいま~!」というぼくに、キッチンからの「お帰りなさ~い!」という家人の声の調子で、むぎネコはわが家にいないことを知る。
耳が遠いシェラは今夜もぼくの帰宅に気づかず、ソファーの裏に入り込んで爆睡中だった。
「むぎネコ、いなくなっちゃったな」
ぼくは着替えながら、夕餉の支度をしている家人にいった。
「え、そんなことないわよ。さっきシェラの散歩で出たとき、垣根から出てきて鳴いてたから……。すぐに逃げちゃうんだけどね。だから、あとで餌をやりに行こうと思っていたの。いま、あなたがやってきてくれるといいんだけどな」
「いや、それはあとにしよう」といって、着替え終わったあと、ぼくはペットボトルに水を入れ、缶詰の空き缶と懐中電灯を持って部屋を出た。きょう一日水を飲んでいないはずだから脱水症が心配だった。
☆倒れてないか?
たしかに生垣の中から弱い鳴き声は聞こえたが、さっぱり姿が見えない。懐中電灯の光も手前の枯れ枝やら木の幹などに遮られてなかなか届かない。いま、どんな状態でそこにいるのかさっぱりわからないのである。もしかしたら倒れているかもしれない。そうだとしたら、救い出して医者へ連れて行き点滴を受けさせなくてはならない。
とりあえず、水を入れた空き缶だけを奥へ入れ、ぼくは部屋へ戻ってコンパクトカメラを持ってきた。狙いを定め、ストロボを使い、当たりをつけた生垣の下を探るがさっぱりむぎネコの姿が写らない。
角度を大きく変えて撮った二枚にようやく姿を捉えることができた。大丈夫だった。ホッとしてぼくはその場を離れた。
☆むぎネコ、ありがとう!
夕食後、ぼくたちはむぎネコに餌をやろうと外へ出た。
夕方の散歩でシェラが大きいほうを排泄していないと聞いていたのでシェラも伴った。シェラはすぐに用を足してくれたので、ひとまず離れたところに置いたケージに入れ、むぎネコへの餌(魚の水煮)やりを試みる。
家人が呼ぶと、すぐに近づいてきた。餌の入った空き缶を植え込みの根元に置く。よほどお腹が空いていたのだろう、すぐに、しかし、用心深く顔を出し、まず前足で餌に触れた。それを舐めてから食べられるものかどうか判断しようとしているらしい。なかなか利口な子ネコではないか。ますます気に入ってしまう。
次にそっと首を伸ばしてひと口だけくわえて奥へ引っ込んだ。やがて、小さな前脚が伸びてきて、餌の入った缶を奥へと引きずり込んでいった。
やられた! これでとうとう捕獲はできなくなった。
今朝の散歩でも、ぼくは何度か舌を鳴らして呼んでみた。だが、もうかすかな反応さえない。きっと、どこかへいってしまったのだろう。それでも念のために水だけを取り替えてやった。
マンションの管理上からも、これから毎日、子ネコのために餌やりを続けるわけには行かない。だからといって、ほんとうにわが家で飼ってやるのかといえば、シェラがいる以上、あの子ネコのためにも容易ではない。
いまは旧盆の送り火の日にやってきて、ぼくたちにつかの間ではあったが、夢と慰めをくれて消えた「むぎネコ」に心からの「ありがとう」をいっておきたい。