久々の涼しい朝を迎えた。土曜日の休みだというのに目覚めが5時過ぎだったのは、涼のせいばかりではない。雨に追いたてられて消えた子ネコのことが心のどこかに刺さったトゲのようにぼくの目覚めを促した。
きのうの夕刻、前のエントリーをコーヒーショップの片隅で書き終え、アップロードしているとケータイに家人からメールが入った。
あのこは何処かに行ってしまったみたいです。
夕方早めでしたが、雨の小降りの時に呼んでみましたが、応答がなく、今、お医者さんの帰りで雨はかなり降っているけど、もう一度呼んでも返事がありません。
あそこじゃ大降りの雨だとかなりきついかも。
可哀想なことをしました。
昨日何とかするべきだったかもね。
どこかで雨をしのいでいてくれるわよね。
夕方早めでしたが、雨の小降りの時に呼んでみましたが、応答がなく、今、お医者さんの帰りで雨はかなり降っているけど、もう一度呼んでも返事がありません。
あそこじゃ大降りの雨だとかなりきついかも。
可哀想なことをしました。
昨日何とかするべきだったかもね。
どこかで雨をしのいでいてくれるわよね。
ぼくは次の予定のための移動時間が迫っていたので手短に返信した。
大丈夫、ちゃんと雨を避けてるから。
家人から、すぐに再メールがきた。
だったらまた出てくるかしらね。
お腹すいてるだろうし、水飲めないだろうしね。
お腹すいてるだろうし、水飲めないだろうしね。
レスポンスを返す余裕がなく、ぼくはケータイを閉じてそそくさと店を出た。
そうか、やっぱり雨に追われていなくなったのか。すでに午前中、都心の大降りの雨を見ながら、これじゃ屋根のない植え込みの茂みにはいられまいと思っていただけに意外ではなかった。
むろん、もう二度と植え込みの茂みへ帰ってくることなどありえない。
雨に追われて不本意ながらそこから逃げざるを得なかった子ネコが不憫に思えた。家人のメールの「可哀想なことをしました。昨日何とかするべきだったかもね」という文面に心が痛んだ。
子ネコがいなくなってホッとする気持ちにはなれなかった。
あの子ネコがなぜ茂みに入り込み、出られなくなってしまったのかわからないが、やっぱりなんとかしてやるべきだったのだろう。
帰宅すると、子ネコを見失う前に家人がいつもお世話になっている動物病院へ電話をかけて相談した顛末を聞いた。ネコの保護や里親探しのボランティア活動をされている方も紹介してもらい、電話で話をしたという。
帰りがけにぼくも生垣の前を歩いて呼びかけていたが反応はなかった。それでも、もう一度と思い、シェラのケージを押して家人とともに外へ探しに出た。
生垣の下から家人が入れた水用と餌用のふたつの陶器の小鉢を回収した。どちらにも雨水がたっぷり溜まっている。こんな雨の降りだったらやっぱりここから逃げていかざるをえなかったんだとあらためて納得した。
シェラの散歩を装いながら、近所を呼びかけながら歩いたが、どこからも子ネコからの反応はなかった。
もし、捕まえることができていたら、やっぱりわが家で飼いたいと思ったはずだ。
最初のネコのときがそうだった。知人の秩父の実家で飼っているネコが邪魔になったので、山に捨てにいくと聞いてわが家で引き取ったのである。
里親を探すつもりで一時的に引き取るつもりが、そのネコの狂乱状態を見て、わが家でなんとかしてやるしかないと悟り飼いはじめたネコだった。そして、18年生きてたくさんの楽しい思い出をくれて天寿をまっとうした。
あの子ネコだって、“むぎの化身”と勝手に決めていたくらいだから抱き上げたら最後、もう手放せなくなっていただろう。
雨がどこかへ連れ出してくれてよかったのだ。茂みから解放された子ネコのためにも、そして、ぼくたちのためにも……。
むぎへの喪失感をいっとき稀薄にしてはくれたけど、また新たな喪失感が加わった。
だけど、どこかで元気に生き抜いてくれているだろし、もしかしたら自分の家に戻れたのかもしれないと思えるだけまだ救いはある。