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あの子はほんとうの可愛かった――他人からのそんな褒め言葉が、いまとなっては大きな慰めとなって寂しさという隙間風に震える心を慰めてくれる。
家人の友達が、むぎがお世話になっていた動物病院(シェラは相変わらずお世話になっている)の元スタッフの方とたまたまおつきあいがあり、むぎが死んでしまった話をしたそうである。
その方はたいそう驚いて、「あの子は特別可愛いコーギーだった」といってくださったという。ぼくたちへの思いやりだったとしてもうれしい心くばりである。
そして、この言葉をぼくと家人はお世辞とは思わず、額面どおりに受け取った。
むぎがいちばん可愛い顔みせてくれたのは、病院でぼくたちの手から離れ、つかの間、奥のレントゲン室や処置室へ連れていかれて戻ってきたときだった。むぎはいつもスタッフの方に抱かれて帰ってきた。
キョトンとしたその顔が見慣れているはずのむぎでありながら、このときはとりわけ無性に可愛く見えたのは、頼みのシェラから離され、ぼくたちの顔も見えない場所でわけもわからずいじくりまわされて緊張感を強いられ、あげく、知らない人に抱かれて連れてこられたための驚き顔だったからかもしれない。
むぎのみならずシェラさえもまた同じだった。20キロからある体重のシェラはさすがに抱かれてはこないが、リードで引かれて待合室へ戻ってきたとき、やたら可愛い顔に変わっている。
これはきっと愛情を注いでわんこを飼っておられるすべての方が体験ずみなのではないだろうか。
いまだから、恥ずかし気もなくいってしまえば、病院の待合室で、ウチのそんな子を、「なんて可愛いんだろう」と何度思ったことだろう。いつも以上に「ウチの子は特別だ」と、とことんうぬぼれることができた。
世のすべての飼い主の例外にもれず、まさしく、「ウチの子は世界一」である。
だれであれ、「あの子は特別可愛い」といっていただいたこで家人もぼくもとても救われている。それを、家人の友達は彼女に伝えるべきかどうかで大いに迷ったという。 また、新たな寂しさのスイッチを入れてしまうかもしれないからだ。
「そんなことはないわよ。とってもうれしいし、どれだけあの子の供養になったかわからない。ありがとう」
家人は心からの謝辞を友に伝え、元スタッフの方にもことづけた。
ぼくもまたうれしい。
むぎ、よかったね。
きみがウチの子だったことをいつまでも誇りに思っている。
いま、ぼくの目に滲んでいるのは悲しみではなく、
うれしさの雫(しずく)なんだよ。