☆久々の留守番に焦る
「え、留守番なの? ひとりにしないで!」
シェラの必死な目がそう訴えていた。
むぎがいたころだったら、こんなときでもシェラはリビングの物陰で爆睡していたのに……。置いていかれないようにとあわてふためいていたのはむぎだった。
せがれの誕生日ということで、昨夜は外で食事をすることになった。早めに会社から戻り、家人とふたりで家を出ようとすると、ドアの前にシェラが立ちふさがった。ぼくが帰る前からぼくたちの夜の外出を察知して、ずっと家人のあとをついてまわっていたという。
やっぱり、置いていかれるのが不安なのだろう。
「すぐに戻るから待っててくれよ。な、シェラ……」
玄関からシェラを離し、家人を先に出したあと、顔を寄せてぼくは何度もシェラに言い聞かせた。かなり耳が遠くなっているから、どこまで聞こえていたのか……。それでも、あきらめたらしく、出ていくぼくをのぞいてはいたが、もう玄関へ出てこようとはしなかった。
カチャリと鍵を閉めてドアの前から離れても、中で吠える声も聞こえてこない。留守番を覚悟してくれたのを知りつつ、それもまた不憫になる。
☆果たせぬ思いは同じだけど
クルマで予約した焼肉屋へ向かいながら、ぼくたちはため息をついた。
今日も、夕方の散歩で、以前逢ったのとは別のコーギーに出逢ったそうだ。近づいてくるのをじっと見つめ、去ったあと、しきりににおいを嗅いでいたという。
「コーギーのパピィを連れてきて、シェラに『はい、お願いね!』って預けちゃいたいくらい」
家人がポツリといった。
思いはぼくもまったく同じだった。ただ、ひとつだけ違うのは、シェラのためではなく、自分たちのためのパピィである。
迎えるパピィはコーギー以外はイメージできない。どんな犬種でも同じだろうが、一度飼ってしまうと、自分の家のわんこの姿がこよなく愛らしい。わが家の場合、シェラのような雑種でも、似たようなわんこがいるとやたらかわいく見える。もうひとつがコーギーの体型である。
実際に飼いはしないが、ふと、「シェラに仔犬を預けたらどんな反応を示すだろうか」と想像してしまう。
12年前にむぎがやってきたときのように最初はショックを受けながらもすぐに母性に目覚め、ずっと母親をやってくれたことをもう一度望むのは酷である。耳はかなり聞こえなくなり、歩行だって思いどおりには歩けていない。きっと、目のほうだってぼくたちが考える以上に衰えているかもしれない。
いまさら、仔犬を押しつけられたって守ってやるすべなどないのである。
☆守る立場から守られる立場へ
この近年、シェラとむぎの立場は次第に逆転して、むぎの中にシェラを守ろうとする意志が明白だった。
ぼくがシェラのブラッシングや爪切りなど、シェラが嫌がることをはじめると、少し離れてむぎが見張っていた。ちょっとでもシェラが痛がったり、怒ったりすると、即座にむぎが反応し、飛んできて、「やめて! やめて!」とぼくに吠えて抗議した。
そのむぎもいまやいない。いないからこそ、シャキッとしてしてきたのだろう。シェラの元気のためとはいえ、パピィは荷が重かろう。
シェラにとって、衰えゆく自分を守ってくれるのは、唯一、ぼくたちだけであり、もう何も守れないとわかっているはずだから。
焼肉屋で合流したせがれに、「コーギーの赤ちゃんを連れてきたら、シェラはどうすると思う?」と、家人がせがれに訊いた。むろん、冗談としてである。
だが、彼は一瞬、眉を曇らせて何も答えなかった。
むぎが死んだ直後、「もう飼わないなんていまから決めつけないで、新しい犬が飼いたくなったらまたそのときに考えればいいじゃないか」といって、悲嘆にくれる母親を慰めていたせがれの意外な反応だった。
☆出迎えるシェラの笑顔
せがれが眉を曇らせたのはシェラのためではあるまい。いやま彼がいちばん恐れているのは、まだこれからはじまるかもしれない、むぎの死による母親のペットロス症候群であり、近々、確実に訪れるシェラの死によって、親たちがさらにどうなるかということであろう。
いまはかろうじて耐えているものの、そのとき、間違いなくペットロス症候群のスイッチが入ってしまうだろう……と。
シェラがむぎによって守られていたように、すでにぼくたちも主客転倒し、せがれに見守られる年齢になってしまったことを痛感した誕生会だった。
そのあと、帰ったぼくたちをシェラが小躍りし、笑顔で迎えてくれたことはいうまでもない。
この土曜日曜はシェラのための週末にしようと思っている。