毎年、新しい年を伊豆のキャンプ場で迎えるようになって10年ほどになる。むろん、ずっとシェラとむぎが一緒である。暮れの30日に現地へ入り、31日は、昼間にキャンプ場主催の蕎麦打ちを楽しみ、静かに元旦を迎えている。
常連さんも多く、ぼくたちも欠かさず年越しキャンプを重ねるうちに顔見知りが増えていった。親しく話をするわけではないが、テントが近ければ、「今年もよろしく」と挨拶を交わし、散歩の途上で出会う人には笑顔で挨拶している。
4年ばかり前、5月の大型連休でいった長野・松本のキャンプ場にコーギー連れのキャンパーがいた。毎年、伊豆のキャンプ場でご一緒している方だった。年齢はぼくより少し上の方とお見受けした。
毎年、挨拶だけでお話をしたことはなく、しかし、お互いに顔だけは憶えていたので奥様も交えてしばし立ち話に花が咲いた。コーギーのご縁でもあった。
撤収の日、「また年末に伊豆でお会いしましょうね」と約して別れた。
それだけに、その年の年末はもうひとつの楽しみを胸に年越しキャンプへと出かけた。だが、翌日の大晦日になってもその方の姿はどこにもない。
管理棟で訊ねると、コーギーが急死したので今年はキャンプをする気になれないというハガキがきたと教えてくれた。
去年から今年にかけての年越しキャンプで、久しぶりにその方にお会いすることができた。若いコーギーが一緒だった。
「お元気でよかった」と思いつつ、お悔みを述べ、ご挨拶をしたがいまひとつ表情が晴れない。新しい子がいるというのに、顔にはいまだ寂しさの色が濃いままである。
お互いに帰る予定の年明け2日、少し話をする機会があった。
やはり前の子のことが忘れられないのだという。
「(新しい子を)比べたらいけないとわかっているのだけど、つい、比べてしまう。この子にもかわいそうなんです」
絞り出すような苦渋をにじませた声が痛々しかった。
それを思い出すたびに思う。
むぎの身代わりなんかいないのだ。むぎを失った寂しさをむぎに似たコーギーで慰めようとすべきではない。ぼくにとっても、家人にとっても、むぎはむぎでしかないのである。
宿世の常として、いまとなっては思い出だけがむぎとの心通わせる手段となっただけのこと。
だから、むぎとのたくさんの楽しい思い出を大切にしていきたい。
*写真=上:テントの中のむぎ/下:キャンプ場の展望台から初日の出を浴びて
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