昨年、亡くなってしまったが、近所に17歳で頑張っていたわんこがいた。最後のほうは、散歩なかなか容易ではなく、歩いては止まり、歩いては止まりにご主人も奥さんも根気よくつきあっていた。
ぼくたちにとってはこの子が目標だった。奥さんから、亡くなったと聞いたときは少なからずショックだった。もっと長生きして目標を先におきたかったからである。
ショックではあったが、「励ましてくれたありがとう。ゆっくりやすんでください」と心から冥福を祈った。
それからしばらく飼主だった老ご夫妻をお見かけする機会もなく、「お変わりなければいいのだが……」と心配していたが、半年ほど経って家人が奥さんとお会いした。わんこの老々介護から解放され、溌剌として出歩いているとの近況を聞き、ホッとしたものである。
そうなりたい――とぼくたちも思う。いつまでもメソメソと悲しんでいないで、これまでシェラとむぎがいたために断念していたヨーロッパ旅行へもいきたい。ドライブの途中で偶然見かけたこぎれいなレストランへも入ってみたい……などなど、シェラやむぎを失って取り戻せた自由を満喫して寂しさを断ち切るのだと心に誓ってきた。
「それがね……。わんこの寂しさはわんこでなくちゃ癒されないのよ」
家人が、昨日、仕事で出逢った方から言われた。二匹のゴールデンレトリバーを相次いで失くし、悲しみのどん底に落とされてしまった。やはり、60代もなかばのご夫婦は、新しいわんこを最後まで面倒みることができるかどうかわからないし、せっかく、わんこたちがくれた自由だから、あちこち旅行へでもいって楽しませてもらおうと思っていた。
わんこたちが死んだ直後は、こんなに辛く、悲しいのだから、もう二度とわんこは飼うマイまいと決意を新たにしたそうだ。自分たちがもっと年老いてまたこの悲しみは耐えていける自信がない……と。
だが、二か月後、新しいわんこ(シバイヌ)を迎えてしまった。
「二か月もよくがまんできたと思うわ。わんこがいなくなった悲しみは、わんこでなければ埋められないよ。自由なんかなくてもいいし、どこへもいかれなくてもいいの。すぐ横にわんこがいてれるのが何よりの幸せだってわかったのよ」
その気持ちはわかり過ぎるくらいわかる。