むぎを突然さらわれてきょうでひと月になる。
最初の「月命日」はまたたくまにやってきた。
嘘だろ、悪い夢だよな……あの日の朝、絶命しているむぎを抱き上げ、それがしばし信じられなかった。「これは現実なのだ」と気づいたときを思い出すと、いまも胸が苦しくなる。
泣き叫ぶ家人の横で、ぼくはむぎを抱いたまま呆然としていた。
ひと月は恥も外聞もなく心の中で号泣し、悲しみを吐露しよう。そして、ひと月経ったらもう悲しむまいとひそかに決めていた。
だが、そのときはあっという間にやってきた。
なぜ、あんなにあっけなく逝ってしまったのだろう?
もう詮索すまいと思いながら、つい考え込み、折に触れて家人とそれを話しては悔恨を新たにしている。
むぎの身体の不調にもっと早く気づいてやれなかったのか。あの日、散歩を早めに切り上げてくればよかったのに……。
死因は、もしかしたら熱中症だったのではなかったのか。コーギーは短足で地面に身体が近い分、輻射熱のダメージも大きいと思える。シェラよりは暑さに強かったとはいえ、12歳という年齢、そして、春先からの衰えぶりにぼくたちはもっと神経質になってやるべきだった、と……。
どんなに悔やみ、自分たちの迂闊さを呪っても、所詮、あとの祭り。もう、むぎは死んでしまった。
わかっていながら、時間が経つにしたがい、その悔恨が悲しみの彼方から黒雲のようにふくらんでくる。むぎをさらっていったこの夏をぼくたちは憎悪する。
寂しさや悲しみよりいまは悔しさに胸をかきむしる思いでいる。ひと月などという時間でこの悔しさを消化し、解消できるものではない。
いましばらく歯噛みしながら二か月め、三か月めの月命日を迎えるだろう。
ものいえぬむぎを守ってやれずに死なせてしまった自分が情けなくも恨めしい。