愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

一緒に老いていくために

2011-09-05 22:42:25 | シェラの日々

☆いまでは尾も下がり… 
 今朝の散歩は台風の影響で曇り空の下だった。道路がびっしょり濡れているところを見ると、うまく雨の中休みらしい。蒸してはいたが気温は高くない。
 移ろう季節に少しずつ涼を得て、このところ、朝の散歩でシェラの歩く距離も延びている。まだむぎがいた初夏のころでは考えられないくらい歩いている。
 あのころの二倍は歩く。といっても、せいぜい片道100メートルほどではある。
 
 歩く姿はすっかり変わってしまった。
 あのころ、疲れてくると尾が下がり気味になり、ぼくが、「シェラ、シッポが下がってるぜ」とよくからかいながら歩いたものだ。尾が下がりはじめたら散歩はフィニッシュとなった。疲れてきた証拠だからだ。
 いまでは、歩きはじめた当初から尾は下がったままになってしまった。歩く姿もすっかり老犬である。半年で急速に老いが進んでしまった。

 ドッグイヤーとはよくいったものだ。
 本来は、情報テクノロジーなどの技術革新の早さを人間の七倍の速度で年とっていくイヌの1年にたとえた言葉ではあるが、老犬の姿を見ていると、たしかに老いの速度が目に見えてわかる。
 シェラにしても、たったひと月で変わってしまう。

☆そんなに生き急がないでくれ 
 いつの間にかぼくに追いつき、老犬の翳りが見えてきたシェラに、「おい、シェラよ、一緒に年とっていこうな」なんていっていたのはついこの間のことだった。それなのに、あっけなく追い越していく。
 いまや「そんなに急ぐなよ」といってブレーキをかけ、バックギアにシフトできるものならやってやりたい。でも、すでにぼくより先を歩いているシェラをどうすることもできない。
 
 いま、一緒に散歩ができる毎朝がこの上なく貴重な時間である。
 衰えゆくシェラの姿を見るのは辛いけど、こうして歩いていられる残り少ない時間がぼくには何ものにも代えがたく尊い。
 シェラが疲れないように、引き返す距離も計算しながら歩いている。
 
 やがてシェラとの朝の散歩もままならなくなる日もそう遠くはないだろう。たとえ、シェラが歩けなくなっても、毎朝の外出は続けるつもりでいる。ときどき、台車から降ろし、道端のにおいを嗅がせてやろう。排泄する場所もどこがいいのか、ぼくはもうすっかりわかっている。
 
 外をひと回りして、家に戻ったら、ゆっくりやすめばいい。
 そうやって一緒に老いていこうと思う。