☆情けない男
午後の予定に少し余裕があったので、たまにしかいかない店までランチに出かけた。久しぶりだ。ひとりなので案内されるまでもなく隅の席に着く。
「いらっしゃいませ」
にこやかにやってきたママさんが、不意に顔を近づけ、小声で訊いた。
「もう、少しは癒されましたか?」
ハッと気づいて、たぶん、ぼくの顔は狼狽に歪んでいたと思う。
前にもこのブログに書いたことがあるが、何も知らないはずのこのママさんにぼくはむぎの死で生じた心の闇を見抜かれている。偶然だったが、彼女もまたぼくより先に愛犬を失い、失意のどん底にあった。
「同病ですから感じたんじゃないでしょうか」とおっしゃるが、同じ哀しみに耐えながら、すっかり慰めてもらっていた(会社へもどりあわててこのブログを探すと、8月5日のエントリーに当時の顛末が残っていた)。
自分の哀しみをなんとかするのに精一杯で、同じ辛さをもつ他者への思いやりをぼくはすっかり失念していた。なんという情けない男だろうか。
☆無理をせずに悲しみましょう
少しずつ寂しさにも慣れているし、もう悲しむまいと決意したものの、やっぱりときおり揺り戻しのように寄せてくる悲しさに溺れそうになる。「ダメですね。情けないけど……」
ぼくはそんな現在の自分を包み隠さず手短に語った。
お昼どきの忙しいさなか、ぼくの話を黙って聞いていてくれたママさんが静かに首を振った。
「同じですよ。もう半年になるというのに、わたしも強い心になりきれず、後悔にさいなまれる繰り返しです」
ママの眉が一瞬曇る。
「でも、お互いに自分の気持ちに逆らわず、もうしばらく悲しんでいきませんか。無理することありませんよ」
ぼくにとってはなによりのありがたい励ましだった。曇っていたママの眉も晴れていた。
哀しみの淵をさまよっているのが自分だけではなく、身近にいてくれるというのも心強かった。
「ご家族を亡くしたお友達から、イヌくらいで何よ……って軽蔑されてしまったんです。でも、これは経験したものでないとわかりませんよね」
そういって翳りのある笑顔で奥へ消えたママをぼくは無言で見送った。
そうだ、愛するものを失ったつらさは当事者にしかわからない。
「わかってたまるか!」と思う。