☆追慕の念にさいなまれ
「いたたまれないほどむぎに会いたい。切なくて、切なくて……」
夕飯のとき、家人がポツリといった。
涙に暮れたり、見るからに暗い顔になっているわけではないが、いま、家人が心の闇にさまよいこんでしまった。黙っていたけど、一昨日からだという。
引いては寄せる海の波にも似て、むぎへの追慕の念がぼくと家人に交互にやってくる。幸い、まだ同時にきてはいない。いずれ同時にふたりで鬱の闇をさまよう日もあるだろう。
「シェラちゃんがいてくれるからまだいいの。もし、この子がいなくなったら、やっぱり、わたし、耐えていく自信なんてないわ」
足元にきて寝ているシェラをさすりながら家人がいう。
ぼくだって同じである。この上、シェラまでもいなくなったらと思っただけで、いまから暗澹たる思いになる。
☆むぎによく似た子がいる場所は
「ね、あした、あそこへいってみたいの。むぎちゃんと最初に出逢ったあのお店に……」
家人がいきたがっている場所はわかっている。むぎが売られていた横浜のホームセンターである。
もしかしたら、むぎによく似たコーギーのパピィがいるかもしれない……そんな妄想をぼくも何度となく抱いてきた。
同じブリーダーから、むぎのDNAを持った子がそこにきているかもしれない。埒もない妄想だとわかっていながら、のぞいてみたい誘惑は次第に強まっている。
仮にそんな子がいたとしても、それはむぎではないのだけれど、そこへいけばむぎがいるような気がしてならない。ぼくもずっと家人と同じ妄想にとらわれてきた。
コーギーならなんでもいいわけではない。むぎがいなくなってから、無意識のうちにむぎによく似たコーギーを探している。ときおり出逢う散歩中のコーギーとむぎの違いが際立ってわかるようになってしまった。
そのあまりの違いにいつも失望を新たにしている。
☆気がすむならばいってみようか
明日、きっとぼくたちはあのホームセンターへいってみるだろう。一度はすませておかなくてはならない、悲しみから脱却するための通過儀礼なのである。
理性ではそう思いつつ、もしかしたらむぎのようなコーギーがいるかもしれない。むぎに逢えるかもしれないとぼくも期待している。そして、あとさきのことなど考えずに連れて帰ってくる自分が見える。
むぎに似た子がいてほしいと思っているからである。
こんなザマでいて、いざ、シェラがいなくなったらぼくたちはどうすのだろうか。そう遠い先の現実ではないというのに……。