☆帰り着いたわが家には
むぎという存在を失くしただけですっかり様変わりしたぼくにとっては大切な情景がある。
毎晩、家に帰りついたそのときの情景である。扉を開け、玄関に入っても部屋の中は静まり返っている。いつだったかこのブログに書いた記憶があるが、むぎが健在だった当時は、鍵をカチャリと回した瞬間、扉の向こうでむぎが激しく吠えはじめていた。
いや、門扉を開くと同時にだって吠えるので、いつも音を立てずに帰ってきたものだった。
いまや、ぼくが帰り着いたわが家では、家人とシェラがリビングでぼくを待っている。ときどきシェラが寝ていたりすると、ぼくは静かに着替え、声をひそめて家人と必要な会話を交わし、夕餉の席に着く。
聴力が衰えてしまったシェラがぼくに気づくのは、ふと、目が覚めてみたらいなかったはずのぼくがそこにいたときである。でも、その日によっては、ぼくに気づいたものの、ぼくが帰ってきたのだとわかるまでに時間がかかってしまうこともある。
少し間をおいてから、「あ、そうだ、とーちゃんは外から帰ってきたんだった」とわかり、あわててにじり寄ってきて喜んでくれることも珍しくない。
ときには、それさえもわからなくなり、「お帰りなさい!」の熱烈歓迎を受けない日だってある。
お互いに歳をとってしまったのだ。そんな日があったっていいじゃないかと思う。
☆残された時間がわかっているだけに
16年と半年、長い時間を一緒に暮らしてきた。それなのに長いとは感じていない。もっともっと長く一緒に生きていきたい。
でも、ぼくたちに許された幸せな時間は、きっともうそれほど長くはない。毎日毎日をこれまで以上に大切に生きていきたい。
別れの日が訪れる、そのときまで……。
むぎとの別れのように、その瞬間がある日突然現実になるかもしれない。
別れはいつも悲哀と悔恨を残していく。だからこそ、少しでも悔やまずに別れを受け容れることができるように今日という日を送りたい。