愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

とうとうパピィがやってくる

2011-09-24 21:37:56 | 残されて

☆出逢い
 これを運命的な出逢いといっていいのかどうか……。
 たしかにコーギーの可愛いパピィ(♂)だった。ホームページで見た写真とは少しばかりイメージが違ったが、可愛さを損なってはいない。 
 
 喜ぶ家人とせがれを見ながら、ぼくは彼らのようには喜ぶ気にはなれないでいた。新しい子がくることでシェラが寂しさを感じてしまうのではないかと危惧してしまったのである。
 もし、シェラの死期を早めてしまったら、取り返しがつかないではないか。そんなことになったら、ぼくたちだって生涯の傷として残るだろう。
 
 それにまだむぎを亡くして三か月足らずである。むぎへのうしろめたさも、ぼくにはあった。
 新しい子を迎えることに同意して、ぼくはシェラを連れて外へ出た。パピィを抱いて有頂天になっている家人やせがれの横にシェラの居場所が稀薄になっていた。
 「シェラ、オレはずっとおまえを大事にするか心配するなよ」 
 すぐ横の公園までいき、耳の聞こえないシェラにぼくは語りかけた。たとえ声は聞こえなくても、ぼくの心の声は届くと信じている。

☆拒否はしないシェラ
 売買手続きに時間がかかっている家人のいる店内と外をシェラは何度往復しただろうか。店へ戻ってもすぐに外へ出たがった。その度にぼくは黙ってシェラにつきあった。
 一度だけ、抱いたパピィをシェラの目の前に出してみた。吠えたり、嫌がったりはしなかったが、かといって、歓迎しているという様子もなかった。ひどく緊張しているだけだった。
 シェラとしては、これが最大限の譲歩であり、許容のサインだったのかもしれない。
 
 ぼくの心の中では様々な想いが交錯していた。いや、いまもしている。
 シェラを失ったあとの喪失感を考えれば、いまからその哀しみを受け止めて、希釈してくれる新しいわんこがいてくれたほうがいい。 
 むぎを失ってから時間の経過とともに、哀しみや寂しさは癒えるどころか、さらに重みを増している。ぼくはかろうじて留まっているが、家人が耐えつつも揺れているのは痛いほど感じてしまう。もし、この上、シェラまで失ったら、どうなってしまうのだろうかと、ぼくは懼(おそ)れてもいるのだ。

☆さらに強い絆を
 くだんのパピィは、いま、風邪気味なので来週の土曜日にわが家にやってくる。写真だけは何枚か撮ってきた。家人に見せてやると、驚いたことにむぎの写真を見たいという。むぎの死後、「辛いから」と決して写真を見たがらなかったというのに……。パピィにむぎの面影を見つけたかったのだろう。
 手元のiPadにあるむぎの写真を何枚か見せた。むぎに会いたくなったとき、ぼくがいつもひそかに見てきたとっておきのむぎの写真ばかりである。
 
 「可愛い……」そういって何枚かのむぎの写真を見ていた家人だったが、すぐに耐え切れなくなってiPadを抱きしめ、「むぎちゃん、ほんとうに可愛かったね。あなたが恋しくて、よく似た子を連れてくるけど許してね」と嗚咽がはじまった。
 シェラが死んでしまう前に哀しみを救ってくれるであろう天使とめぐり会えて、やっぱりよかったのかなと少し思えるようになった。
 
 シェラとのさらに深い絆を残り少ない時間の中でぼくは強固なものにしていきたい。ぼくだけは、決してシェラに寂しい想いをさせまい。
 

あの夜のシェラの深い哀しみ

2011-09-22 23:45:41 | シェラの日々

☆錯覚だなどといわせない 
 昼間、家人はせがれにそそのかされて、昨夜、ネットで知ったコーギーの可愛いパピィを売っているペットショップへ電話をしていた。購入の予約したわけではなく、まだ店にいるかどうかを確かめただけだという。
 店のほうからは、かなり可愛い子なので早くこないと売れてしまうかもしれないと釘を刺されたそうだ。ま、その店にしてみれば、金を払って買ってくれる客ならだれでもいいのだから。
 
 明日、わが家より先に買い手が見つかってくれたら……といまも思う。
 13年前の、むぎがわが家にきて一週間ほど経ったころの、ある夜の場面を思い出すたびにぼくは胸が痛んでならない。
 
 その夜、ぼくはシェラの心の深い哀しみをのぞいてしまった。これから書く顛末を、あるいは信じてなどもらえないかもしれない。でも、ぼくは自分が感じたシェラの哀しみをただの錯覚だなどととうてい思えない。これは紛れもない真実だと確信している。
 
☆シェラの目が「さよなら」と… 
 むぎがわが家にやってきたのはシェラが幼犬から成犬へと成長を遂げたばかりのころだった。三歳を迎え、シェラにも落ち着きが身につきはじめていた。
 とはいえ、突然、目の前に差し出された仔犬にシェラはすっかり面喰ってしまった。どう扱っていいかわからず、ただただむぎから逃げまわっていた。それがぼくたちには、ほほえましくもあり、滑稽でもあった。
 
 ついこの間、自分が仔犬のときは、三匹のネコたちを「ねぇ、遊ぼうよ! 遊んでよ!」とばかり追いかけまわしてさんざんネコパンチを食らい、それでも、懲りもせずに追いかけていってはフラれ続けていた。
 おとなしい性格のむぎは、シェラにじゃれついたりはしなかったが、まだ母イヌが恋しいのか、シェラのそばに寄りたがった。しかし、シェラは逃げて寄せつけない。しかたなく、たいていは家人かぼくに抱かれていた。
 むぎをサークルの中で寝かせるのは、夜、みんなが寝るときくらいのものだった。
 
 そんな日が一週間ほど過ぎたある夜、シェラが玄関の扉の前に座り、リビングのほうをじっと見つめていた。家人の膝の上でむぎが眠っていた。
 尋常ならざるシェラに気づいたのはぼくだった。
 「おい、シェラが家出する気らしいぞ」
 扉の前のシェラは、扉のほうへ身体を斜めに向け、見たこともないような暗い目でぼくたちのほう見つめていた。その目が何を語っているのか、ぼくには痛いほどわかった。
 「新しい子がきて、もう、わたしは必要なくなったようなのでどこかへいきます。ここを開けてください」
 そんな目だった。

☆捨てられたトラウマ 
 シェラはわが家にきた当初から自分が捨てられたことを明確に自覚していた。まだ、赤ちゃんイヌ(パピィ)だというのに、再度捨てられることをひどく怖れていた。 
 散歩に連れ出すと、立ち止まっては振り向き、あたりの風景を確認してまた歩き出すのである。散歩道の要所要所で……。
 
 生まれて半年もたっていない仔犬でありながら、「また捨てられても必ずここへ帰ってきてやる!」との強い意思をぼくはひしひしと感じていた。裏を返せば、わが家の子になれて幸せを感じていたとも思えてならなかった。
 「シェラ、もう捨てられっこないから心配するなよ」
 特に新しい道へいくとしつこく振り向きながら歩くシェラにぼくは何度もそういってたしなめた。

 3年間、ぼくたちの愛情を一身に受けて育ったシェラにとって、むぎの出現は、はかり知れないほどの衝撃だったのだろう。「やっぱりまた捨てられるんだ」と思い、哀しみと絶望のあまり自分から出ていこうとしたのではないだろうか。そう思えてならない。

☆もし、扉を開いてやったら… 
 あのとき、もし、扉を開けてやったらどうしただろうか。力なく立ち上がり、うつむいて外へ出ていっただろう。振り向きもせず、トボトボとあてもなく歩きだし、どこかへ消えていく……そんなシェラの姿が目に浮かぶ。
 いや、一度くらい振り向いただろうか? その目は涙で潤んでいたはずだ。

 3年前、抱き上げるとシェラは赤ちゃんわんこ特有のお乳のにおいがした。まだ母イヌのお乳を飲んでいるというのに引き離されて捨てられたわけだ。
 ぼくと出逢い、抱き上げられて安心できたのか、ぼくの着ているパーカの中にもぐりこんできてすぐに眠ってしまった。連れて帰ったわが家に、シェラはすぐになじんだ。寂しがることもなく、三匹のネコに交じって大喜びではしゃいでいた。
 以来、むぎがやってくるまでの3年間はただひたすら可愛がられて過ごした。十分に幸せだったはずである。
 
 むぎの出現は、3歳のシェラがその幸せに背を向けて出ていこうと思ったほどの深い哀しみを生んだわけである。
 このときのシェラの哀しみに、ぼくはイヌのメンタリティの深さを思い知らされた。イヌたちは、人間が思っている以上に……いや、ひょっとすると想像もつかないくらい豊かな感情を育む精神構造を持っているのだろう。
 なんせ、哀しみのあまり自ら身を引こうとしたのである。

☆あなたをいちばん愛している 
 玄関のシェラを見た家人は、腕の中のむぎをぼくに託すとそこへ飛んでいき、シェラを抱きしめて号泣した。
 「シェラ、ごめんね。あんな子を連れてくるんじゃなかった。ママはあなたのことをいちばん愛しているのよ。だから、もうそんな顔をしないで。お願いだから!」

 

 家人の気持ちが通じたのか、その夜を境にシェラはさらにもう一段階成長した。むぎから逃げなくなったのである。
 むぎのほうも、以前どおり屈託なく寝ているシェラへ遠慮がちに近づくと、まずは尻尾の先っぽを枕にして寝た。日を追ってその距離が縮まっていく。すぐに常時シェラにはりついているむぎになってしまったのはいうまでもない。
 
 その後のシェラとむぎの驚きの、信じがたいほどの関係は、稿をあらためてレポするが、ぼくが怖れるのは、あの夜の哀しみを新しいパピィによって再びシェラに与えてしまいたくないのである。
 まさか、家出をしようとはしないだろうが、ぼくたちの愛情が二分される寂しさを、年老いたシェラが受け容れことができるかと懸念するのである。
 
 それに、もう一度、母イヌの重責を担うには歳をとり過ぎたシェラである。それだけにぼくの悩みも深い。
 

コーギーのパピィがやってくる?

2011-09-21 23:55:00 | 残されて
 台風の接近で早めに会社を出たというのに、交通機関の混乱で夜中の帰還となった。その間、せがれが家にやってきて、ネットでコーギーのパピィを探してしまった。
 家人はすっかりその気になっている。シェラが存命中はほかのわんこは迎える気がないといっていたのに……。

 まったく余計なことをしてくれたものである。これまで苦労してようやく整えてきた気持ちがこの嵐の日に無残にも瓦解した。
 写真を見ると、たしかにかわいい。ぼくまでかなりその気になっているのが怖い。

 なぜ、ハマってしまったのかというと、ぼくたちの目にはむぎの面影を彷彿とさせるものがあるからだ。たぶん、他人様には「どこが似ているの?」というレベルだろう。それでも、とにかくかわいい子だ。
 明日の朝、電話をして、明後日、都内まで見にいくことになるだろう。

 もうその子が売れていてくれるのを願うしかない。


むぎネコが消えてしまった

2011-09-20 23:50:55 | むぎネコ


☆あの夜以来どこへ 
 むぎネコが消えてしまった。
 ぼくたちが散歩をしている隙にシェラのマンション内の移動に使っているクレートの中に入り込み、植え込みの茂みに逃げたのはいいが、尻尾だけ不用意に出していたあの夜を境に忽然といなくなった。
 朝の散歩のときも、夕方、あるいは深夜の散歩でもまったく姿を見せなくなった。

 外へ出るたびに舌を鋭く鳴らして呼んでみるのだがどこからも反応がない。家人もぼく以上に気にかけていて、夕方の散歩時はかなりしつこく探しているようだ。
 シェラにしてみれば、朝も昼も、そして、たまに夜中まで外へ出ればストーカーのようなネコ探しにつきあわされるなんて迷惑千万であろう。
 
 飼猫であれば心配などしないが、家なきネコだから気になってしまう。あの子にかぎってはクルマにはねられるようなことはあるまい。ちょっとでもクルマの音が聞こえると物陰に走り込んでいるような用心深さを備えていた。

☆復活のそのときは 
 それじゃどこへ?
 むろん、野良という身軽さゆえ、どこか他所へ移動していった可能性もあるだろうが、考えられる唯一の可能性は、近所の家のご主人に捕まり、強制的に去勢手術を受けさせられているという可能性である。
 家人が、むぎネコの素性を調べる過程で、ご近所のご主人から、いずれ捕まえて去勢手術をやろうと思っていると聞いている。そのご主人に家人もなかなか出逢う機会がないので確認できずにいる。

 ひょうきんなむぎネコが、どこかへいってしまったのではなく、やっぱり去勢手術でいっとき留守にしていたが、無事に手術を終えて復活してきてくれる日を楽しみにしている。大事なタマを抜かれてしまい、性格まで変わってしまわないことを願いつつ……。


この子はシェラを待っていた!

2011-09-19 21:30:28 | 残されて

☆いやがるシェラ 
 暑かった陽気がようやく一段落した夕方近く、今日も家人のリクエストで別のペットショップへ向かった。あそこならコーギーのパピィの一匹や二匹はいるだろうと思える大型店である。かつて、この店で何頭もの可愛いコーギーのパピィを見てきた。むろん、シェラも連れて……。
 
 シェラも伴って店内に入るとすぐにたくさんのパピィたちが目に入った。売れずに大きくなってしまった子たちは床のサークルにまとめて置かれている。ひと目でここにはいない。シェラもサークル内の子たちも無関心を装っている。
 シェラが「いやだなぁ」と思っているのがリードを通じて伝わってくる。

☆唯一、シェラに反応した 
 コーギーは、一匹だけ奥まったケージの中にいた。7月の、むぎが天に召されてまもなく生まれた女の子である。まだ二か月余りだというのにすでに大きな耳も立っている。
 ガラスの向こうでこの子はシェラを見つけて烈しく反応した。吠えながら、仕切りのガラスを何度も前脚で引っかいてシェラの気を引こうとしている。まるでシェラを待っていたかのように……。
 この行動にぼくたちは思わず顔を見合わせた。だが、シェラはというと、一瞥しただけで、まったく冷淡だった。
 
 時間をおいて、三度、ぼくはこのコーギーの前にシェラと連れっていってみた。その度にこの子は起き上がり、シェラに飛びつく動作を繰り返した。通路の側を、ほかのわんこが通ってもまったく興味を示さないというのにである。
 シェラを待っていた子だ! そう錯覚しそうになりながら、ぼくはどこかで冷めていた。家人も執着は見せていなかった。

 何十匹かいるパピィの中で、唯一、シェラに反応した子ではあっても、同じコーギーながら、むぎの面影の片鱗さえない。むしろ、それがなおさら寂しかった。
 昨日も二軒目のペットショップでお客さんが連れていた二歳になるコーギーと逢った。とってもフレンドリーで、こちらの笑顔に応えて何度もすり寄ってきたのでその度に撫でさせてもらったが、むぎを彷彿させる要素はひとつもなかった。



☆もうこれで気がすんだ 
 今日も二軒の店を見てまわり、結局、コーギーは最初の一匹だけしかいなかった。
 「シェラがいてくれる間はむぎの代わりなんかいらないの。もうシェラだけを愛していたいしね。コーギーだけじゃなくて、どの子もやっぱりむぎの代わりになんかなるはずがなかったわ」
 帰りにクルマの中で家人がいった。
 
 ぼくだけではなく、家人も気がすんだようだ。そう、むぎの代わりになるような子がこの世に存在するはずはない。最初からわかっていながら、どこかにむぎがいるかもしれないと妄想し、ようやくそれが埒もない幻想だったと気がついた。
 今日、シェラに反応したあの子は、あの子なりに可愛かった。きっと、優しい飼主に恵まれて幸せになってくれるだろう。

 もうむぎの幻影を追って迷うまい。