愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

それって、ルイを守ろうとしているのか!?

2011-10-16 23:50:21 | ルイとの日々

ランチで入ったイタリアンのテラスでの今日のシェラ

☆しつけまでシェラがやってきた 

 週末の二日間、わんこのパパになったような心境である。
 ルイの面倒をみながら、要所要所でしつけにも神経をつかった。いまというこのときが大事だというのを実感するからである。
 シェラのときもむぎのときも、これほどしつけと向き合ってはこなかった。そのため、シェラはよそのわんこに吠えつくようになってしまった。ルイにもその傾向がうかがえる。いまのうちに厳しく矯正しておかないとまた同じ苦労を背負うことになる。
 
 むぎに関しては、しつけをした記憶がない。「座れ」「伏せ」「待て」「よし」などのひととおりがきちんとできたが、それはぼくが教えたわけではない。すべてシェラを見て覚えてくれた。
 
 まず、何かを教えたくてもシェラから離すのが不可能だった。シェラから離したら気もそぞろでまったく集中できない。シェラを探してキョロキョロするばかり。
 何かを教えはじめると、コマンドを耳にしたシェラがやってくる。シェラの姿を見て、むぎはうれしくてそちらへいきたがる。横ではぼくの発するコマンドをシェラがやって見せる。
 そんなわけで教育とか学習ができないままで終わった。

☆むぎが唯一できなかったこと 

 それでもむぎはシェラを見てひととおりのコマンドを理解し、やってのけた。唯一、できなかったのが「つけ」だった。シェラはきわめて簡単に理解し、ちゃんとぼくの左側についた。
 それなのに、むぎはぼくの右側につくのである。いつもシェラの横にいたがるむぎが、なぜ、「つけ」のコマンドに対してシェラから離れ、右側に移動したのかどうしても理解できないままだった。きっと、ぼくの両側を歩くほうが歩きやすかったのではないかと単純に考えているのだが……。


 今日は出かけた先の公園でルイにリードをつけて歩かせてみた。昨夜から今朝にかけての雨で地表が清められていたからだ。まずはルイがリードで歩けるようにしたかったのと、シェラとどこまで一緒に歩けるかをみたかったからだ。
 シェラは、不本意ながら(?)かなりルイを仲間として受け容れはじめている。二週間前からみたら長足の進歩である。
 
 シェラが嫌がるのは、ルイに跳びつかれることだけ。鬱陶しいのはよくわかる。もう、遊んでやる体力の余裕などないからだ。跳びつかれると、「やめて!」といわんばかりの吠え方で怒る。しかし、ルイにしてみるとそれも遊びと勘違いして喜び走りまわってまた跳びつこうとする。

☆元気復活のシェラが見せた意外性 

 一緒に歩きながら、ルイはやっぱりシェラの首に跳びついてはシェラに嫌がれていた。それでも外だとシェラもあまり吠えない。ぼくのほうでのリードコントロールで跳びつかせないようにしながら歩く分には問題ないことが確認できた。
 それよりもルイにはリードでのコマンドを理解させていくことのほうが必要だというのがよくわかった。むぎは散歩初日からまっすぐにひたすら歩き、何の苦労もなかった。その点、いまのルイは同じくらいの年齢だったときのシェラに近い。


 今日のシェラはよく歩いた。てんかんを疑われている症状もあれから出ない。いまはひたすら目障りなルイに苛立っているだけだ。また少し難聴が進行したようだし、目も見えにくくなっているようだが、食欲もあるし、気力の充溢に衰えは感じられない。
 ルイがきてから変わったことは、以前のように激しく吠えるわんこに戻ってしまったことだ。特にほかのわんこが近づいてくると不自由な身体にもかかわらず、激しく吠え、跳びつくようにして威嚇する。
 
 あれ? ルイを守ろうとしてのかな。
 そう思いたくなるような往年のシェラが復活している。ルイを仲間として受け容れてくれたのなら、いっそ、しつけのほうもやってくれるといいのだが……。 


再び後悔に襲われて

2011-10-15 23:52:47 | シェラとむぎそれぞれ
☆トリミングルームのコーギーたち 

 昼間、近所のペットショップへ出かけた。ときどき、ルイがケージの中のトイレに敷いたシーツを引っかいてボロボロにしてしまうので、メッシュ・タイプを買うためである。
 シェラのとき、こんなに苦労しただろうか? むぎはどうだったろうか? 思い出そうとしてみるけど、もう10年以上前の記憶はきれいに消えている。少なくともメッシュのついたトイレなど、その当時はなかったと思う。
 
 トイレを探して店内を歩いていると、トリミング・ルームにぶつかった。どこもたいていそうであるようにガラス張りで中の様子がひと目でわかる。数匹の中小型犬がトリマーさんの世話になっている最中だった。
 珍しくコーギーが二頭いる。そういや、むぎをペット美容院でトリミングしてもらったことはなかった。むろん、シェラも……。



☆夏バージョンはぼくの手で 

 毎年、夏が近づくと、シェラの毛を手持ちのハサミと電動バリカンでぼくが刈ってやった。最近はだいぶ上手になったが、最初のころは上の写真のような毛並を下の写真(どちらも2004年7月同日撮影)のように穴ぼこだらけのいわゆる“トラ刈り”になってしまってひどいシーズンを送った年もあった。ひと月足らずで目立たなくはなるが、それは無残な姿にしていた。
 お医者さんによっては、果たして暑さ対策に効果があるのだろうかと疑問視する方もいたが、シェラは明らかに夏バージョンにしてやると楽そうだった。
 
 近年、ぼくがひどい姿にしてしまうので、ちゃんと美容院で刈ってもらおうと家人がいっていたが、連れていく前にぼくがカットしてしまっていた。別に料金を惜しんだわけではなく、家族以外に身体を触られるのを嫌うシェラのストレスが可哀相だったからである。
 まして、預けられて身体を洗われるだけでも大変なストレスになる。挙句にハサミやバリカンで刈られるのである。どんなに怖がるか想像できる。
 だから、シェラが醜くならないようぼくなりに必死にカットをしてきたのでだんだん上手になったともいえる。




☆素直でおとなしかったむぎ 
 
 今日、二頭のコーギーがきれいにトリミングを施されているのを見て、ぼくはむぎのことを思った。むぎもまた、一度も美容院のお世話になったことがない。シャンプーはいつもぼくが風呂場でやっていた。
 足の裏の無駄毛のカットなどもぼくがカットしていた。足の裏の無駄毛カットについては、いやがるシェラをだましだましやっている情景を、むぎはいつも恐るおそる眺めていた。そして、シェラを終えて、「むぎ、おいで。今度はむぎの番だよ」と声をかけると、ビクビクしながらやってきて、ぼくの前でゴロンと身体を横たえた。

 かくのごとく、ほんとうに手のかからない、よくいうことを聞くいい子だった。 
 夏バージョンにするため、美容院に頼もうといいだした家人は、むぎもたまにはプロのトリマーさんの手できれいにしてもらったほうがいいといっていたが、結局、一度も実現しなかった。
 他人の手でやってもらうより、ぼくがシャンプーをしてやったほうがストレスが少なくてすむからと考えたからである。



☆さぞや暑かったろうね 

 ああ、むぎをこうやってきれいにしてやればよかった。
 今日、トリミングのスタジオできれいに整えられているコーギーを目にしたとき、突然、ぼくは激しい後悔に襲われた。こうやってプロにやってもらったら、もっと可愛いコーギーになれたのに……。
 「むぎ、ごめんよ」
 思わず、心の中でつぶやいていた。
 
 だが、クルマに戻りながら考えた。やっぱり、シェラは他人の手にゆだねたくない。むぎもいっときとはいえ、シェラから離され、不本意なトリミングは可哀相だ。シェラを差し置いてむぎだけきれいにしてやるわけにもいかない。
 それよりも、シェラよりも暑さに強いからという理由でむぎに夏バージョンのカットを施さなかった愚を悔やんだ。もう高齢だったむぎもやっぱり短く刈ってやるべきだった。
 ぼくはもう一度、「むぎ、ごめんよ」とつぶやいた。


年越しキャンプへやっぱりいこう!

2011-10-14 23:53:18 | シェラの日々


☆冬のキャンプの申し子 

 この10年ばかり、わが家は年末からキャンプに出かけ、キャンプ場で新年を迎えるのが恒例になっている。場所は伊豆の里山の一角にある高規格キャンプ場である。
 12月の30日に現地へ入り、正月2日もしくは3日までテント生活を楽しむ。温暖な伊豆とはいえ、真冬のアウトドアである。朝方は0℃を切ることも珍しくない。雪に見舞われた年もあった。寒いけどやっぱり楽しくて、毎年心待ちにして出かけてきた。

 「一体、この幸せがいつまで続いてくれるのだろうか」
 特に近年、そんな思いを噛みしめながら出かけてきた。問題は、老年期を迎えたシェラがどこまで真冬のアウトドア・ライフに耐えられるかである。キャンプという家にいるよりは過酷な環境がいままでどおり快適だと感じてくれるかどうかでもある。
 少しでもシェラの負担になりそうならいつでもキャンプをやめることにいささかの躊躇もない。

☆シェラはベテランキャンパー 

 物心ついたときからキャンプに連れ出されてきたシェラはベテランのキャンパーである。正確に数えたことはないが、16年間の半生で200日に至らんとするキャンプでの夜を送ってきた。
 わんこながら、キャンプでの過ごし方、楽しみ方を熟知している。何よりも、テント生活が大好きである。真冬のキャンプは寒さにめっぽう強いシェラの独壇場だ。

 シェラに比べたらむぎのほうが寒さに弱かった。去年から今年のかけての年越しキャンプでは、テントの床をホットカーペットで暖めているにかかわらず、寝るとき、むぎはぼくのシュラフに潜り込んできた。
 シェラはというと、相変わらずホットカーペットの上を避け、テントの隅のほうで床からの冷たさをものともせずに寝ていた。

 あれから半年ほどの今年6月、シェラは不意に足の衰えを自覚したらしく、毎朝の歩き慣れた散歩コースを拒否して反対方向の近場を散歩の場所にした。一切の妥協を排したシェラの頑ななまでの自己主張にぼくはただただ圧倒されて従うだけだった。



☆ルイのキャンプデビューへ! 

 そして、7月、むぎの死に遭遇する。
 9月、少しでも元気を取り戻そうと、ぼくたちはシェラとともにむぎの追悼キャンプに出かけた。いつもむぎと一緒にいった白樺の森へ……。
 むぎのいないあまりの味気なさに、年越しキャンプへの意欲を失った。 
 
 だが、ルイが家族の一員となったいま、家人とシェラの会話に変化が生じた。
 「シェラちゃん、元気になってみんなでまたお正月のキャンプへいこうよ」
 シェラが今年の年越しキャンプにいかれるかどうかは微妙だが、家人の言葉は、ぼくたちの共通の希望でもある。
 
 ルイの登場によってシェラに元気がよみがえり、今年も年越しキャンプに出かけて新しい年を共に迎えたい。それはルイのキャンプデビューでもある。
 

また少し歳をとってしまったね

2011-10-13 23:57:28 | シェラの日々


☆ほとんど目が見えないわんこ

 またひとつ、シェラの老いが進行した。どうやら、目がかなり弱ったようだ。
 老いの衰えは突然やってくる。人間もまた同じなのかもしれないが、わんこの場合、人間の7倍の早さで成長し、年老いていくというから老化現象もまた駆け足で進行するのだろう。

 ぼくのキャンプ仲間で姫路在住の方がいる。シェラと同じ歳のシバイヌ(♀)のサクラがいて、数年前に本栖湖のキャンプ場ではじめてシェラと会った。シェラが吠えたので、普段は吠えないはずのサクラも吠えることを憶えてしまったと、あとで飼主さんから文句をいわれた。

 今年、7月のキャンプで久しぶりにサクラに会った。もう目がほとんど見えなくなって、においだけを頼りにぼくを確認していた。老いて得た穏やかな顔つきがぼくにはとても好ましく見えた。
 シェラよりも早く老いの症状が進んでいたが、シェラもまたすぐサクラのようになるのだと悟ることができた。

 サクラは昼間もキャンプベッドの上でほとんど寝ていた(写真=下)。たまに下ろしてやると、ぼくのまわりをぐるぐる回るだけだった。目が見えないからどこへもいかれないのだろう。
 いよいよ、シェラも目があやしくなっているとすると、散歩のときにそれなりに気をつけてやらなくてはならない。サクラの様子を思い出す度にシェラの近未来を想像して緊張する。




☆一緒に散歩は無理かもしれない

 視力の衰えたシェラの散歩に、どんな行動をとるかわからない突貫小僧のルイを連れて歩くのは危険きわまりない。今月末に三回目、最後のワクチンを投与するとルイを散歩に連れ出せる。連れていってやらなくてはならない。
 ルイにとってもうれしいだろうし、ぼくも楽しみにしてきた。しかし、いま、不安を感じざるをえない。

 いつぞや、シェラが倒れ、意識を失ったときも、ルイをトートバッグに入れて肩から提げていた。ルイがもう少し大きくなり、一緒に歩かせているときだったらもっとぼくは苦労していただろう。
 突貫小僧のルイがぼくたちを確実に癒してくれているけれど、ますます身体の自由を失くしていくシェラにとって断じて邪魔な存在にしてはいけない。その鍵を握っているのは飼主であるぼくたちである。

 シェラの視力の衰えが、いまはさしあたって散歩の支障が出るまでには至っていないが、目の前の餌を見落としたり、ぼくが近づいたのもわからないときがある。家人は、日々刻々の変化を素早くキャッチしているようだが、いつも一緒にいるわけではないぼくには、かなり進行してから、その異常さがわかった。
 
 ルイの存在がシェラの老いの進行を少しでも緩めてくれることを祈るばかりである。
 

もっと「愛してる」と……

2011-10-12 23:56:34 | シェラの日々


☆いまこそ必要なセレモニー

 むぎがわが家にやってきて一週間経ったころのシェラを思い出す。ショックのあまり自分から家を出て行こうとしたあの夜のシェラの姿を思い出す。ぼくたちに向けられたシェラの暗い瞳の底の絶望の色を思い出す。

 いまはもう、出て行く気力もないほどに老いてしまった。そんなことの無意味さを知る賢さを身につけて……。パピィのルイを怖がるほどに自信を失くしてしまった。だからいまこそ必要なのだろう。シェラに「この世でいちばん愛してるよ」といってやることが。

 昨日、家人から、「シェラを抱いて『愛してるよ。この世でいちばん愛してるんだよ』と何度もいってやって」と強要された。恋人のむぎをうしなってこのかた、ぼくの愛人たるシェラに、家人のいないところでは、何度もやってきた。しかし、いまこそ、この儀式が必要らしい。

 13年前、むぎがやってきて同じくらいの時間が経ったとき、家を出て行こうしたシェラに、やはり傷つき、戸惑う現在(いま)の老いたシェラが重なった。だからもっと「愛している」といってやる必要があるのだ。



☆みんな愛してるんだよ

 ルイは、間違いなくむぎを失って途方に暮れていたぼくたちの空白を埋めてくれた。ルイの存在にぼくたちから笑顔が絶えない。いたずらも楽しませてくれるし、ケージの中のウンコやオシッコの始末にも寛容になれる。
 少しでもルイがおとなしくしていると、家人は「元気がないけど、どうしたのかしら?」と気に病んでいる。
 
 シェラは、ぼくがルイを抱いているのを見ると、スーッと奥の部屋へ消えていく。見たくないものを見てしまったとでもいいたげに……。
 むぎを喪って悲しみの底にあっても、ルイがきてくれて救われたとしても、ぼくたちにとってやっぱりシェラこそが大切な子なのだとわかってほしい。そのためには、抱いて、言葉にして声をかけてやらないとならない。

 みんな愛してる。