~ 50年前の銀座3丁目風景 ~
私たちの世代は、
戦後の高度経済成長期に育って「現代っ子」と呼ばれた。
子供ながら、社会や家庭がどんどん豊かになっていくのを見て
自分の将来はバラ色に思えて何の不安も感じていなかった。
だから、
学校に通い、卒業すると就職して、
年頃になると結婚して、子供を育てて幸せな人生を送る。
それが当たり前の夢だった。
素敵な旦那様と可愛い子供たち、
明るく素敵な家に、庭にはいっぱいの花、そこには犬もいて・・・
この写真はそんな夢をみていた頃の私。
友達と銀ブラを楽しんで記念撮影。
* * *
その後、50年経って、
この時には、まだ見たことも無い未来に生まれる娘が、
この地で仕事をしているとは、思いも寄らないことだった。
そして、中国武漢から侵入した新型コロナウイルスの感染拡大、
緊急事態宣言、外出自粛要請の下で、銀座が閑散としてしまうなど、
この時の私には全く思いも寄らないことだった。
50年前の私には、
思いも寄らない銀座にまつわる二つの出来事から、
未来は予想もつかないことが起きると知った次第。
悪い未来は避けて、良い未来を呼び込みたいものである。
私たちの世代は、
戦後の高度経済成長期に育って「現代っ子」と呼ばれた。
子供ながら、社会や家庭がどんどん豊かになっていくのを見て
自分の将来はバラ色に思えて何の不安も感じていなかった。
だから、
学校に通い、卒業すると就職して、
年頃になると結婚して、子供を育てて幸せな人生を送る。
それが当たり前の夢だった。
素敵な旦那様と可愛い子供たち、
明るく素敵な家に、庭にはいっぱいの花、そこには犬もいて・・・
この写真はそんな夢をみていた頃の私。
友達と銀ブラを楽しんで記念撮影。
* * *
その後、50年経って、
この時には、まだ見たことも無い未来に生まれる娘が、
この地で仕事をしているとは、思いも寄らないことだった。
そして、中国武漢から侵入した新型コロナウイルスの感染拡大、
緊急事態宣言、外出自粛要請の下で、銀座が閑散としてしまうなど、
この時の私には全く思いも寄らないことだった。
50年前の私には、
思いも寄らない銀座にまつわる二つの出来事から、
未来は予想もつかないことが起きると知った次第。
悪い未来は避けて、良い未来を呼び込みたいものである。
僕がここいらを歩き始めたのは1972年から。
すれちがったことあったのでしょうか。
まぶしいエネルギーに溢れていて、
明日はアカルイヒだった頃でした。
甘酸っぱいセイシュンの日々。
遠くなりましたね。
色々と落ち着かない世の中ですねー
ほんと地球規模で変わる世の中になるんんて。。。
以前、ブログ内にて美人さんの小さな頃のお写真
拝見しましたが、今回はお姉さん♡
とってもキュートなお姉さん♡
私は若い頃横浜にいた時、銀座は敷居が高くて
(大人の街?)一度行ったきりでしたー
また銀座に行って楽しめるような時間が
はやく来ないかな~
美人さん!!
私もこの頃、親友が東京に居ましたので偶に出かけては夜まで遊び彼女の家で一泊・・なんて事が良く有りました。
でも上野駅まで迎えに来て貰わないとホームから出られないと言う田舎の娘だったんですよ。
あの頃は良かったですね。
高度成長期と言う事も有り活気に満ちていました。
過去に戻れるならこの頃がいいですよね~。
かなり以前に、小坂明子の「あなた」という歌が人気を呼びました。
越後美人さんが、当時夢見られた生活は、あの歌詞そのものの世界ですね。
乙女の頃の夢が現実となり、感慨深さもひとしおでしょう。
今はどうなのかわかりませんが(失礼)、均整のとれたスマートな体型ですねぇ。
今はコロナ騒ぎの最中でマスクが必要なのでしょうが当時は不要です。
マスクを外してください。(笑)
そうです!
まさにその頃です♪
すれ違うところか、50年後にこのようにブログでつながるなんて知らずに、隣にいたかも知れませんね(*^^)v
本当に未来は明るく広々と開けていて、夢がいっぱい見られる時代でしたね。
同時代に青春を送っていたんですね。
フリージアの香りのような日々、遠くなりました。
はい、元気に自粛生活を送っています。
50年後に日本や世界がこんなことになっているとは、夢にも思いませんでした。
地球規模で恐ろしいことになりましたね。
岩手は唯一感染者のいない県ですね。
関所を設けて、県外者をブロックしたいですね。
このままゼロが続きますよう祈っています✨
はい、今回はお姉さんの私です。
まだまだ箸が転んでも可笑しい年ごろです。
関西から新幹線に乗って遊びに行ったんですよ。
関西弁で話していてよく振り向かれ、お上りさん丸出しでした(^^;)
そうですね、また安心して銀ブラが楽しめるようになるといいですね~(^_-)-☆
はい、50年前の箸が転んでも可笑しい頃です。
大人の女性に憧れて背伸びしたり、やはりまだ子供だと気落ちしたり、
精神的にもアップダウンを経験しながらも、活発に動いていました。
私の故郷の友達は、進学というとたいてい東京でしたから、
関西から出て行っても案内してもらえて有難かったです。
私も、もちろん右も左も分からないお上り娘でした(^^;)
あの頃は良かったですね~
日本の長い歴史の中で一番良かったと言えるかも知れませんね。
この頃に日本が戻れるといいですね~(^_-)-☆
銀座3丁目の思い出いですね
バラ色の人生を夢見るころですね
思い出しました。皇居の二重橋に向かって歩いて(ロープが張られていました)ポリさんに注意されました。 お上りさんでした(笑)
小坂明子の「あなた」ですね♪
白い家にはあなたがいて、芝生の庭には坊やと犬がいて、という歌ですね。
全く私の夢をそのまま歌にしてくれたようでした。
その頃の若い女性の夢でしたね。
この写真から5年後に結婚して、二人の女の子と男の子一人、それと柴犬一匹。
小さいけれど白い家を建てて、幸せな人生を歩んで来ました。
ははは~(^^;)
今はシルエットでさえ無理です(笑)
この時は、一年間の美容体操と食事管理で10㎏体重をおとしてスリムになった頃です。
記念に撮ってもらって良かったでした(*^^)v
当時は、50年後に皆がマスクをして歩く姿など想像だにしなかったです。
この度は、コロナ感染予防でマスクが必要なので、半分隠すのにちょうど良かったです。
残念ながら外せないです~(^_-)-☆
まあまあ~♪
下半分を隠しておいて良かったです~笑
この写真は本当に良い記念になりました。
この頃は若かったので、あまり恥ずかし気もなくポーズも取れましたしね(^^;)
バラ色の夢がいっぱいある頃でした。
この頃は社会も明るくて、みんな元気な時代でしたね。
チー子さんも東京見物をされたんですね。
お上りさん仲間でしたね(^_-)-☆