これは、我家の木仏様である。
40年前、京都東山のあるギャラリーの片隅で微笑んでおられた。
その柔和なお顔に出会い、私の心がふんわりとしたのを覚えている。
仏教の言葉で言う「顔施(がんせ)」そのもののお姿であろう。
難しい経文は分からなくても、この笑顔に出会えば心が軽くなり、
辛いことや苦しいことなどが和らいでゆく。
温かな微笑みが、どんな薬よりもよく効き、有難いことか、、、
微笑みの仏像と言えば、江戸時代前期の行脚僧円空上人の「円空仏」が有名だが、
我家の木仏様はその写しである。
円空仏の特徴は、簡素なデザイン、ゴツゴツした彫面、そして不可思議な
微笑みをたたえているところにある。
円空上人は生涯で12万体の仏像を彫りあげたと言われている。
北は北海道から南は三重まで、行く先々で人々の悩みを聞き、救済の願いを
込めて仏像を彫ったという。
我家の木仏様は、そのうち飛騨高山の千光寺にある「三十一体観音」の
お姿を写したもののようである。丸太を四つ割りにして四体を刻んだ
「なたばつり」の素朴な仏様であり、穏やかなお顔が円空仏の特徴をよく
表している代表作ということだ。
*なたばつり(なたで荒削りにすること)
そうして庶民に与えられた微笑みの仏像は、荒削りな仏像にもかかわらず、
その多くが捨てられることなく受け継がれているとのことである。
円空上人の慈悲の心は、時を超えて人々に伝えられているのであろう。