こちらは宿場町平福を代表する町屋の川端風景です。
作用川に沿って川座敷や土蔵が立ち並んでいます。
※兵庫県景観形成重要建物
佐用町は
岡山県に隣接する兵庫県南西部に位置しています。
平福はこの佐用町に属し
江戸時代には因幡街道の宿場町として栄えました。
今では邪魔者にされる背高泡立ち草ですが
作用川の縁を彩ってきれいでした。
向こうには川座敷や土蔵の家並みが見えています。
作用川は澄んで清らかな水が流れていました。
美しい街並みや美しい川面は
時代を越えて受け継がれてきたんですね。
宿場町平福の案内板です。
大名が参勤交代時に泊まった本陣や
雲を衝く「利神城」、宮本武蔵の初決闘の場など
コンパクトに
歴史ある史跡が沢山詰まっているのが分かります。
まずは
利神城ビューポイントである展望台に上ってみました。
正面の山は「利神山」
その山上にあるのが「利神城(りかんじょう)」です。
麓には平福の宿場町の風情を残す町並みが広がっています。
雲を衝く如く三層の天守が聳えていたので
その威容から「雲突城」とも呼ばれていたとのこと。
元々は、貞和5年(1349年)赤松一族の別所敦範が
利神山山上に城を築いたことに始まる。
秀吉の播磨攻略時に最後に残った作用三城の一つです。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後
播磨52万石の領主・池田輝政公の甥・池田出羽守由之が
平福2万2千石の領主となり
5年の歳月をかけ三層の天守を備えた利神城を築いた。
※国史跡
以上、「平福の書」作用町商工観光課発行
時を越え戦国の地へ・官兵衛ゆかりの作用「三城」を巡る
作用観光協会発行(作用位置図含む)
二つのパンフレット参考
利神山の麓には智頭線が走っています。
兵庫県上郡駅から鳥取県八頭郡智頭駅を結びます。
左の黒い屋根の建物は「平福駅」
本陣名残の松
鳥取池田藩の本陣跡に残る老松です。
戦国時代、わずか30年で城下町としての用を終えた平福は
江戸時代には因幡街道最大の宿場町として栄えました。
金倉橋(かなくらばし)
この橋の西側は宮本武蔵が13歳で初めて決闘した場です。
「何人なりとものぞみしだい手合わせいたすべし
われこそは日下無双の兵法者なり」という
新当流の達人・有馬喜兵衛の高札を見て
ここ金倉橋のたもとで初勝負を挑み
一刀のもとに倒したといわれています。
(武蔵が著した五輪書序文にこれを述べている)
金倉橋のたもと、向こうに見えているところが決闘の場です。
五輪書序文一節の碑あり。
* * *
宿場町として発展した平福には
そぞろ歩く楽しみの他にも
こうした様々な歴史があることも知って
思いがけず実りの多い訪問となりました。
川座敷の「お休み処・瓜生原(うりゅうばら)」では
川面を眺めながら手打ちそばが頂けるそうです。
こちらは、次回の楽しみにしたいと思います。
*~ お休み処・瓜生原 ~*
兵庫県登録文化財(H26.3.6)
江戸時代から昭和初期まで鋳物業を営んでいた瓜生原家の
邸宅を改修した交流施設。
現存する建物は文化7年(1810年)の建築で
旧宿場町平福の町屋の特徴的な建築物とのこと。
※以上、ぐるり作用 参考ー作用町観光協会発行