私的美遊空間

美しく愛しいものたちへのつぶやき

ぼさぼさ頭の効用

2014年10月31日 | 思うこと

昨日は「万里片雲なし」の晴天
朝晩の冷え込みが増して、藤の葉が黄色く染まり落ち葉が多くなったので
重い腰を上げて葉っぱ取りをした

絡みつく枝と枝の間から手を伸ばし葉っぱを取る
すると、束ねていた髪が枝に引っかかって、ゴムから抜けたり、はみ出たりする
もう頭はぼさぼさだ
始めたからには、さっさと終わらせたい!
なりふり構わず取って下を見ると葉っぱの絨毯ができていた
さあ、もう一息だ!これを袋に入れれば終わる!

そう思った時に「ピンポーン」チャイムが鳴った
「はーい」そう返事して玄関に急ぐと
そこにはきちんとスーツを着た若者が立っていた

「こんにちは、○○証券の△△と申します、奥様でいらっしゃいますか?」
頭を撫でながら「はいそうですが、うちはそう言ったお話は関係ないんです」と断ると
この青年はあっさりと「そうですか、失礼しました」と言いながら、何となく笑って
いるように思えた

そうか!このぼさぼさ頭を見て余分なお金の無さを感じたのか、、
まあいいや、いつもなら「うだうだ」と話しを聞いてしまって長居されてしまうのだから、
ちょうど良かったわ!

そう言えば、ずっと前に黒柳徹子さんが、しつこい電話勧誘の撃退法をある本に書かれて
いたのを思い出した
有名人だからよく電話がかかってきて困っていたので、ある時にお手伝いのおばあさんの
振りをして「奥様はお出かけです、私はこの家のお手伝いさんなのでなんにもわかりません」
と声色を変えて話してみたところ、相手はすぐに受話器を下したということだった

我家に来たあの○○証券の△△さんにも、このぼさぼさ頭のおばあさんの見てくれは
「何を言っても無駄!」と諦めさせる力があったということであろう
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また誰かの手に

2014年10月25日 | 「いと をかし」なものたち


長女が買った中古のダイハツのミラジーノ。
私に似たのか、新しさや機能面よりもデザイン重視で、古くてもジーノかラパンに的を絞って探していた。
どちらも人気があって、入庫してもすぐに売れてしまうのでなかなか巡り合わなかった。

ある時、長女が職場近くのリサイクルショップの前を通った時
何となく視線を感じて、その方向を見るとこのジーノだった。
彼女は「これだ!」と直感して家に電話してきた。
「ジーノが出てるんだけど、すぐ来て!売れてしまう!」

行って見ると、外観はどこも痛んでいないし、ボディはパールホワイトでビューティフル!
内装は木目調でジーノの中でもグレードが高そうだった。
だけど、年式はかなり古い。
お店の人の話では、前の持ち主は一人だけで、その人が大事に乗っていたのだろう、と言うことだった。

ライトカバーの中に水滴がついていたのが気になったが、35万円の値段で納得して彼女の物になった。
免許取得から10年以上もペーパードライバーだったのだから、初めて乗るならこの程度で充分だった。



そして、彼女とジーノの生活が始まった。
心配性の彼女と古い車はいいコンビ。
40キロ制限の道を30キロくらいでトロトロと走って行く姿はまるで長女そのものだった。

その彼女が東京の職場に移るという時に、このジーノを置いて行った。
「お母さん、この子を可愛がってあげてね」

そんないきさつで我が家のセカンドカーになり、彼女が名付けたように「マロ」と呼んで可愛がっていた。
そのクラッシックなデザインを家族も愛していたが、寄る年波には勝てなかったようで、毎年のように
修理が必要になってきてしまった。

修理し続けて骨董品と云われるまでも置いてあげたいが、息子が車を買うことになって置く場所がなくなった。
今までに普通乗用車を三台乗り継いで来て、それぞれに思い出があって手放す時は辛かったが、この「マロ」は
今までにない辛さなのだ。


中古車センターの人に連れて行かれる時には、可哀想な気持ちでいっぱいだった。
古いけれど、まだきれいなボディー、、どうか廃車にしないでオークションに出してあげてね。
センターの人に、くれぐれもよろしく!とお願いした。

どこかで、またこのジーノを愛する人に巡り合えますよう祈るばかりである。
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備前焼祭り 天津神社とお茶席

2014年10月24日 | 旅の楽しみ

天津(あまつ)神社 備前市指定文化財(昭和56年7月24日指定)

創建が 応永十八年(1411年)以前の古い歴史を持つお社です。
祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと),菅原道真公,天太玉命(あまのふとたまのみこと)、大巳貴命(おおなむちのみこと)の四神。
ご神徳は病気平癒、学業成就、陶業繁栄で備前焼の里の氏神様として知られている。
神門、随身門の屋根瓦は備前焼、参道脇に備前焼窯元、作家の作品が多数奉納されている。 参考 岡山県神社庁

写真は神門で、壁も屋根も獅子のレリーフもすべて備前焼です。




この狛犬も備前焼です。質感、色、造形など素晴らしくまるで銅像のように見えます。
こんなに大きな像がよく焼けるものだと、その技術力の高さに感心してしまいました。



山門の屋根です。瓦がすべて備前焼です。
窯変で一枚一枚の瓦の表情が違っていてとても美しい屋根です。



随身門から山門を見下ろしたところです。
ずっと続いている参道は、備前焼の陶板が敷き詰められています。
屋根瓦と同じく、一枚ずつの色や窯変による模様が違い、表情豊かな参道になっています。
備前焼の参道とは、この地ならではのことですね。



参道沿いの 塀には、作家の陶印入りの陶板が埋め込まれています。
そして、その塀の先にワンちゃんがすくっと胸を張って立っています。
このお社を守るんだ!という心意気が感じられる凛々しくも微笑ましい像です。
作者の気持ちを代弁しているかのようです。



小さいけれど迫力満点の獅子です。
がっしりと踏ん張った後ろ足と、目いっぱい恐ろし気な顔で、今にも口から火を噴きそうな勢いです。
邪悪なものはこの先一歩も通さない!そんな気迫に溢れています。
この像も、お社へ寄せる作者の気持ちがひしひしと伝わってくるようです。



本殿前の敷石です。こちらも全て備前焼の陶板で、色味も模様もそれぞれ違います。
タイルやレンガとは違った味わいがありますね。
我が家も、キッチンのタイルが備前焼だったなら、、、どんな風になるでしょう?
想像するだけでも楽しく夢が膨らみます。



ちょこんと石の上にお座りしている仔犬がいました。
あまりの可愛らしさに、誰かがお駄賃をあげたのでしょう、、10円玉が一つ。
人間の子供なら幼稚園くらいの年でしょうか、、この10円を握りしめて駄菓子屋に走って行って
「おばちゃん、それちょうだい!」なんて言って小さなお菓子を買ってくることでしょう。

このお社には、この様な備前焼の像がたくさん奉納されています。
それぞれに作者の心がこもっていて、お社への信奉の厚さと愛着の深さが感じられ
私まで心がほっこりとする思いでした。



境内のお茶席に寄せて頂きました。
お店巡りで疲れた体を休め、乾いた喉を潤すことができました。
そして、お点前は静かに進み心もゆったりと、、、

使われているお道具は、さすがに全て備前焼でした。



短冊は「竹清風自起 (たけ せいふう おのずから おこる)」曹源 筆
花は「見返り草」



お茶碗はやはり備前焼。
お菓子は薯蕷饅頭でご銘は「菊の香」
美味しく頂きました。ご馳走様でした。


この地の人々が大切に守り続けてきた天津神社。
これほど愛され、人々の手のぬくもりが感じられるお社は今までに遭遇したことがありません。
これから先も備前焼の里を見守り、人々の心の寄る辺として温かさを増していくことでしょう。
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秋の日の大石神社骨董市に遊ぶ

2014年10月16日 | 時空を超えて来たものたち

       10月15日 秋晴れの大石神社骨董市
         ちょっとぐずぐずしていて、到着が8時半過ぎ、広い駐車場の半分以上は埋まっていた
         ナンバーを見ると「北九州」「香川」「京都」「大阪」など、結構遠くからの車だ
         遠くから来てこの時間、熱意のほどが見て取れる
         熱心な骨董ファンが来場とあらば、こちらも益々元気が出るというものだ
         兜の緒を締めて、いざ!出陣!



       あれこれと物色中
       このひと時がたまりません♪
       どこからか、ノスタルジックなサンタルチアが聞こえる♪
       古い蓄音機からの音色は温かくて素敵だった       
       




       須恵器風の焼物が面白い店,
       障子の桟やガラス戸など、古い木のぬくもりが素敵です
       木の物は、時を経れば経るだけ魅力を増します
       捨てられずに骨董市に並んでいるのは嬉しいことです
       
       




       時代タンスとランプシェード
       いい色になっています
       玄関に小ぶりなタンスを置いて、その上に花を生けたら素敵でしょうね
       その玄関にガラスのランプシェードを吊るすのが目下の夢
       いつか出逢えますように、、
       




       9時を過ぎた頃、添乗員さんらしき人に先導されて
       大勢の人達が来場して来ました
       駐車場の入口に大阪ナンバーの大型バスが二台停まっていました
       お天気がよくてよかったですね




       こけしや籠、塗り物など上品な品揃え
       綺麗に並べられた商品にご主人の人柄が偲ばれます
       女性たちが熱心に見ていました
       お目当ての物は見つかったかな、、
      



       本当におもちゃ箱のような雑貨屋さん
       若い女性たちが楽しそうに物色していました
       小さい小物でも、なかなかお洒落な物あり
       見るだけでもとーっても楽しい♪




       同じ雑貨屋さん 変哲のない物の塊、だけどこれが宝の山です
       今日はアイアンの写真立てを買いました
       ト音記号のデザインが楽しい気分にしてくれます♪
       壁かけにもなるように作られています


                



       和歌山の柿
       6つで300円、種無しで結構大きくて、その上甘くて美味しかった
       入れ物は女流作家の作品で揖保川焼です(これは作品展で購入した物)
         



       会場は赤穂城趾公園の中 広い芝生が清々しい
       




       11時半に帰る頃には駐車場はいっぱい
       会場ではまだまだ皆さん奮闘中です

       いやあー、楽しかった!
       何ででしょうかねぇ、、この楽しさはどこから来るのでしょうか、、
       父の骨董好きが私に遺伝して、その血を姪っ子が受け継ぎました
       いまでは、姪っ子と骨董談義、益々楽しくなりました

  
         

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ル・ポン 国際音楽祭2014開幕

2014年10月15日 | 「いと をかし」なものたち

               昨晩、兵庫県赤穂市にある文化会館(ハーモニーホール)で室内楽を聴いて来ました。
               ベルリンフィルで第一コンサートマスターを務める樫本大進氏が音楽監督です。

               お母様が赤穂市の出身で、ご本人も幼少期の数年を過ごしたというご縁でこの地に
               2007年国際音楽祭ル・ポンをスタートさせました。

               ヴァイオリンのソリストとして、ベルリンフィルのコンサートマスター、室内楽の他の
               アーティストとの共演等々、忙しく世界中を駆け回っておられますが、この音楽祭は
               樫本氏の重要なライフワークの柱になっているそうです。

               17歳にして5つの権威ある国際コンクールで優勝するという輝かしい経歴の持ち主です。
               その後の活躍は周知のところで、ロリン・マゼール、小澤征爾、マリス・ヤンソンスなどの
               著名な指揮者のもと、国内外のオーケストラと共演を重ねました。

               ル・ポンは「音楽を架け橋として、人と人のきずなを大切にし、平和で幸せな世界を作りたい」
               という樫本氏の願いが込められており、彼の声掛けで世界一流の若手奏者が集います。
               身近なところで、このような音楽祭の聴衆になれることは本当に幸せです。
                                                                                                                                    
       今回の出演者は、コントラバス奏者のナビル・シェハタ氏(元ベルリン国立歌劇場の
       首席奏者)やラディク・バボラーク氏とブルーノ・シュナイダー両氏(ホルンのスーパースター)
       など素晴らしい顔ぶれです。

       オーケストラと違って、それぞれの楽器の音色がよく聴こえます。
       一つ一つの音を聞いていると、ふわーっと夢の世界に誘われるようです。
       拍手が鳴りやまずに、三度の舞台での挨拶も、さらに感動の余韻を広げるようでした。

       終わってすぐに次回が楽しみになる、そんな素敵な音楽祭でした。



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おめでとう!7777番目の訪問者様

2014年10月13日 | 「いと をかし」なものたち

          うわーあ!7777!
          私の大好きなゾロ目、しかもラッキー7が四つも並んでる!

          昨日の最後に訪問して下さった方の番号です。おめでとうございます!
          こんな素晴らしいゾロ目はそうあるものではありません。
          本当に素晴らしいです!快挙です!
          どなたか分れば記念品を差し上げたいくらいの喜びです♪♪♪

          7777様の輝かしい未来に乾杯!
          
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我は海の子

2014年10月08日 | 思うこと

             ザップーン、、ザザザー、、
              
               うねる波に乗り、白波を潜り、引き潮に身を任せてたっぷり遊んだ。
               潮の香りと潮騒の音が脳裏に染みついた、私は根っからの海っ子である。

               文部省唱歌にある「我は海の子」をよく歌ったものだ。
               この歌は元々7番まであるが、4番以降は敗戦後、国防思想や軍艦が登場する
               という理由でGHQの指示により教科書から削られたそうだ。

               この歌は、海辺で育つ少年が「たくましく成長し、やがては日本の国を護る」
               と言った国防意識を少年に植え付けるための意図を持ったものだったとのこと。
               1番から3番までは問題ないとされ、今に歌い継がれて日本の歌100選にも
               選ばれている。

             我は海の子

               1)我は海の子白波の さわぐいそべの松原に
                 煙たなびくとまやこそ 我なつかしき住家なれ

               2)生まれてしほにゆあみして 波を子守の歌と聞き
                 千里寄せ来る海の気を 吸いてわらべとなりにけり

               3)高く鼻つくその香に 不断の花のかをりあり
                 なぎさの松に吹く風を いみじき楽と我は聞く

               4)丈余のろかい操りて 行手定めぬ波枕
                 百尋千尋海の底 遊びなれたる庭広し

               この歌は、海が好きな自分の気持ちを代弁している様でお気に入りだった。
               その頃の思い出が一気に溢れ出す懐かしい歌である。               

               今でも 我は海の子 なのである。               
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雲の向こうへ

2014年10月06日 | 思うこと

                  10月2日 母が雲の向こうの人になってしまいました。
                  まるで、この雲のようなか細い息がすーっと消えました。

                  600キロも離れて暮らす私が母の人世の終わりに立ち会えたことは
                  悲しいながらも、こんなに嬉しいことはありません。

                  9年前に脳梗塞で倒れてから今まで寝たきりの生活でしたが、お義姉さんの
                  献身的な介護に支えられて、幸せな療養生活を送ることができました。
                  感謝の気持ちでいっぱいです。

                  荒い息づかいが段々と弱くなり、最後は安らかな寝息のようになって、ふっと
                  息がなくなりました。ああ、、お母さん、、やっと樂になったね、、よかったね、、
                  兄も義姉も間に合って、よかったね、、よかったね、、

                  葬儀の時には、分かっていたけれど、やはり母との別れは辛くて泣いた。
                  最後に頬を撫でて「お母さん」と呼んだ、本当にこれがもう最後、、


                  お骨になったら、辛さが少し和らいで、お斎(おとき)の席では皆さんと思い出
                  話などしながら楽しく過ごした。  ※ お斎(葬儀の後の会食)

                  そして、お斎も終わり、皆がぞろぞろと会場の玄関に向かった時に、誰かが言った。
                  「おばあちゃん忘れてる!」、、そうだった、、母の遺影と骨箱を飾ったままだった、、
                  「ああっ、お母さんごめんね、忘れて帰るとこだったわぁ、、」

                  「さっき、あれほど大泣きしてて、なんと、もはや、、」兄がそう言って笑った。
                  笑いで締めくくった葬儀。
                  朗らかだった母は呆れながらも、一緒に笑っていることでしょう、、


                  こんな私ですが、また頑張って生きて行きます。
                  人生泣いたり笑ったり、、旅は道連れ世は情け、、
                  また、皆さんよろしくお付き合い下さいね。
                 
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気軽な装いで

2014年10月01日 | 着物の楽しみ


                もう今日から10月ですね。
                何だか9月はあっという間に終わってしまった気がします。

                着物は10月に入ると、裏地の付いた袷(あわせ)に替えることになっていますが、
                日中はまだ暑いので、もうしばらくは、裏地の無い単(ひとえ)を着ようと思っています。

                もちろん、お茶席やきちんとした席には、決められたように袷の着物を着ますのでご安心を。

                この着物は薄グレー地に小さな地紋が織り込まれて、その上に白の模様が面白い着物です。
                帯次第で、かしこまったり、くだけたりできて便利です。

                この一揃いは、黄色の名古屋帯で気軽な雰囲気です。
                帯締めの色と帯揚げの色を合わせて、しっくりと馴染ませてみました。
                帯締めの白と赤がアクセントになっていて、おとなしい帯を引き立てています。

                小物の組み合わせ次第で雰囲気が変わる。それが着物の楽しいところですね。                             
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