実るほど 頭を垂れる 稲穂かな (詠み人知らず)
私は最近、この姿を見ると、有難い気持ちでいっぱいになる。
この年になってようやく毎日のご飯が頂けることに感謝の気持ちが生まれたからなのである。
親世代は敗戦のどん底から這い上がり、どれだけ食べるために苦労をしたことか、、
その苦労の様子は父母からよく聞かされていたので、何となくは分かっていた。
しかし、戦後に生まれて、現代っ子と呼ばれ、経済の上昇気流に乗って育った私は何の心配もなく、
毎日ご飯が食べられるのは「当たり前」と思って暮らしていた。
そして、それはうかつにも、つい最近まで思っていたことなのである。
ところが、昨今の経済状態、超高齢化社会、未婚者の増加、少子化、それを支えていく若い世代の負担等々
そして、若い世代がもらえる年金は?
それらを考えると、子供達が皆社会人になった今、この子達が老後も「当たり前」にご飯が食べられる
だろうか、、と心配になるのである。
「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」という詠み人知らずの俳句がある。
日本の美しい秋の情景を詠ったものだが、格言的に使われることが多い。
私も父によく言われたものだ。
英語でも「一番実のなっている枝が、一番低く垂れ下がる」というのがある。
「実るほど、、」の俳句にそういった意図があったのかは分からないが、私なりに「食べられること」に
感謝の気持ちを持つことから全てが始まる、そう思うようになったきっかけの俳句である。
私はこれからの若者が「食べていくこと」の大変さを考えると、元々稲が瑞々しく実る国であった日本が
これからも発展し「食べる心配」の無い国でありますようにと祈るばかりである。
稲穂に感謝を込めて「秋の日の 稲穂に垂れる 頭かな」 (越後美人) お粗末様でした。