私的美遊空間

美しく愛しいものたちへのつぶやき

歳月人を待たず

2014年12月29日 | 思うこと

人生根蔕(こんてい)なく
飄(ひょう)として陌上(はくじょう)の塵の如し
分散し風に随いて(したがいて)転ず
此れ(これ)已に(すでに)常身(じょうしん)に非ず(あらず)
地に落ちては兄弟(けいてい)となる
何ぞ必ずしも骨肉の親(しん)のみならんや
歓(かん)を得なば当に(まさに)楽しみを作す(なす)べく
斗酒(としゅ)もて比隣を聚めん(あつめん)
盛年(せいねん)重ねては来たらず
一日(いちじつ)再び晨(あした)なり難し
時に及んで当に(まさに)勉励(べんれい)すべし

歳月人を待たず

* * *

人の命は、これをしっかりと繋ぎ止めてくれる木の根や果実のヘタのようなものがなく
ちょっとした風にもさーっと散る路上の塵のようなものだ
ばらばらになって飛び散り永遠に変わらぬ姿を保つことは出来ない
この世に生れ落ちたからには皆兄弟だ
それは必ずしも血を分け合った者だけのことではない
歓楽の機会があればぜひとも楽しもう
なみなみと器に満ちた酒をもって、近所の仲間を集めよう
盛んな若い時代は二度とはやって来ないのだ
一日に二度の朝はない
この機会に充実した時を過ごしておかなければ
時の流れは人を待ってはくれない

* * *

陶淵明(とうえんめい)のよく知られた詩であるが、特に最後の四句が好まれてきた。
「人生は、はかないのだから、時を失わずに行楽しなさい」と勧めているのだが、
「勉励」を「寸刻を惜しんで勉強する」に意味を取り違えて読まれていることが多い。
私もつい最近までそう思っていた。
全句を読んでいなかったからだ。

本来の意味が分かってからは、この最後の「歳月不待人」の一句が心の中に深く響いて来るようになった。
まさに人生の喜びがどこにあるのか、真に理解できたように思うからである。

* * *

人生は根無し草のように不安定で、風に吹かれて飛び散る塵のようにはかない
だから人は孤独であってはいけないのだ
周囲の人たちに心を開いて豊かに生きていこう
さあ!みんなを呼んで酒を飲もう!
その機会を逃してはならない
歳月は人を待たず
そして、人も人を待たずである

多々感謝
よいお年を!



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~☆サンタさんありがとうございますぅ☆~

2014年12月25日 | 思うこと

これは次女が小学校4年の時にサンタさんからもらったプレゼント。
彼女はその年までサンタクロースの存在を本気で信じていた。

~☆~☆~☆~

クリスマスの朝、目覚めると、枕元に小さな包みがあった。
「わーあ!プレゼントやあ!」さっそく開けて見ると、中からドラえもんが出てきた。
彼女は見るなり手に取って、額に押し当てて「サンタさん!ありがとうございますぅ!」と
サンタさんに感謝を捧げていた。

~☆~☆~☆~

そしてその日1日は、兄弟姉妹、近所の友達とプレゼントの報告会で忙しくしていた。
だけど、次女以外の皆はサンタクロースがいるなんて、もう誰も信じてはいなかった。
自分の四つ年下の弟でさえ知っていた。「サンタさんはお父さんなんや」って、、

しかし、それが不思議なことに、誰も次女に言わないのである。「サンタなんていないんやで」と、、、

そして、「みったんなあ、サンタさんからドラえもんのゲーム器もらったんやあ」
「そうなんやあ、みったんそんなええもんもらったんやねえ」
「うん、ほんまは違うもんお願いしとったんやけど、これも欲しかったんや」
「ほんなら、ちょうど良かったなあ」
そんな会話をあちこちで繰り返していたようだった。

三つ年上の姉ともそうだった。
普段はいじめたりしても、サンタクロースの存在を信じる妹の夢を壊すことはしなかったのである。
あまりにも信じ切っている姿に感じるものがあったのだろうか、、、
皆で「みったんには言わんとこな!」と相談付くだったのだろうか、、、

いじめたり、いじめられたり、仲良くなったり悪くなったり、子供社会も大変だけど、
そうは言っても、こんな事もあったりして、中々いいとこもあるじゃない!
クリスマスの嬉しい思い出である~☆
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もろびとこぞりて

2014年12月24日 | 思うこと


讃美歌

もろびとこぞりて むかえまつれ
久しく街にし 主は来ませり
主は、主は来ませり

この世の闇路を 照らしたもう
たえなる光の 主は来ませり
主は、主は来ませり

罪と欺きはもう育たない
いばらも地に生えない
主はその恵みを溢れさせ
呪いを全て覆わせる

平和のきみなる
み子をむかえよ
救い主とぞ
ほめ、たたえよ

☆明治の洋館・赤穂市立民族資料館☆
この建物は大蔵省塩務局庁舎として明治41年(1908)に完成。
現存する庁舎は珍しく国内最古級である。(兵庫県重要有形文化財)
12月20日~25日午後5時~9時までクリスマスライトアップされる。
神戸新聞記事参考
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猿の惑星☆楽しさ絶好調!

2014年12月22日 | 「いと をかし」なものたち

母の納骨で実家に戻った時、玄関を開けると奥からドドドーッと駆け寄る音。
「キャーア!なんじゃこれは!」ドドドーッとまた奥に引っ込む音。
「こりゃーあ!お猿じゃないかあ、待てー!」ドドドーッと逃げ回る音。

こんな楽しいお出迎えを受けた私はすっかり嬉しくなってしまった。
なんでだろう?いくつになってもこんなおふざけが大好きなのである。
童心に戻るとよくいうが、私の場合、子供以上に子供なのかも知れない。

* * * * *

学生の頃、保育所実習に行ったことがあった。
そこでは「子供たちと自由に遊んであげてね」と言われて
張り切って、鬼ごっこや電車ごっこなどしてたっぷり遊んだ。
遊んであげたのではなく、自分が目いっぱい遊んでしまったのである。
そして午後お昼寝の時間がやってきて、子供たちを寝かしつけることになった。
子供の側に横たわると、いつの間にか寝てしまっていたらしい。

、、、ザワザワするので目が覚めた、、、
すでに子供たちの何人かは起き出していて「おねーちゃんねてるー」と声が聞こえた。
慌てて先生に謝った。「すみません、いつの間にか寝てしまって、、」
すると先生は「構わないよ、あれだけ体を動かしたら疲れるでしょうよ」といって笑っていた。
こんな失態を学校に報告されたら困るなあ!あーあ!絶対報告されるわあ!そう思っていた。

そして、実習期間が過ぎ、学校に行ってみると、先生からお呼びがあって「うわー!叱られる!」と
覚悟して行くと、なにやら先生がニコニコして「あなた、実習先の先生が褒めていたわよ」と言われた。
「子供とどうやって遊んだらいいのか分からない実習生が多い中で、
あんなに一生懸命に子供たちと遊んでくれる実習生は始めてだった」と喜んで下さったとのことだった。

* * * * *

実習先で、遊んで、お昼寝して、褒められた、、、なーんて幸せなんだろう、、、
電車ごっこでも自分が運転手さんで、「はーい♪電車しゅっぱーつっ♪ゴットンゴットン、ポッポー♪」
子供達は「わーあ!」といって私の後ろにつながる。こんなのが楽しくってしょうがないのである。

この度の帰省は、お猿のお面を被った姪っ子の息子達を、わーわー言いながら追い回して、たっぷり遊んだ。
猿の惑星☆楽しさ絶好調!であった。

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断捨離の賜物、山水画沈金の会席膳

2014年12月16日 | 時空を超えて来たものたち

友達の家で眠っていた会席膳を頂いた。
最近、断捨離をしているのだとか。
「あなたお茶で使わない?」と有難いお申し出に「はーい!頂きますよー!」
善は急げと早速に出かけて持ち帰って来た。

一枚一枚点検すると、ほとんど傷んでいないし光沢も失われていなかった。
輪島塗の十客揃いで木箱入り、お膳を包む和紙には「竹中榮蔵」と塗師の名前があった。
インターネットで調べてみると、現在70歳の男性がこの塗師の会席膳をオークションに
出していて、そのお膳はその方の曽祖父の代からあるものだということだった。

頂いたお膳がいつの時代のものかは分からないが「竹中榮蔵」なる塗師が
同じ人なのか、代替わりした人なのかは別として、
古くから存在していた「名前」なのだと分かって嬉しかった。

~ ~ ~ ~ ~

このお膳は黒の本塗で、表面に山水画が描かれ(彫られ)、建物と舟、飛ぶ鳥の三点に沈金が施されている。
シンプルで静かな雰囲気がすんなりと自分の中に入ってくる感じだった。
茶道具も着物も、よく「出会い」と言う言葉を使う。たまたま出会った物で、自分の気持ちにすとんと落ちる物が
「もともと自分に縁がある物」と言う意味だが、このお膳はまさにそんな感じだった。
友達の断捨離のお陰で「良い出会い」を頂いた。物との出会いは本当に面白い。


*沈金(ちんきん)ー漆器の装飾技法の一つで、漆面に刃物で文様を彫り、この瘡に金箔や金粉を押し込むこと。
彫ったままで、何も埋め込まない場合は沈金とは言わず「素彫り」と言う。

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地味な色大島を帯で生き生きと

2014年12月13日 | 着物の楽しみ

色大島は絹織物の一種で、色物の大島紬のことを言います。
本来の大島紬が自然の染料で染められるのに対して、色大島は化学染料で染められたものです。

~ ~ ~ ~ ~

この色大島は、嫁入りの折に母が持たせてくれたものですが、洋服感覚で選んだので
着物としては地味で、長い間着ることもなく箪笥の肥やしになっていました。
そろそろ着れる年頃かと思い、出して見ましたがやはりまだ少し地味なようです。
ですが、この色柄ではさらに年を取っても、地味でなく着れる保証はありません。
そこでこの地味な着物をなんとか生き生きと着る方法を考えてみました。

大島紬はどんなに高価であっても、あくまでもお洒落着として着るものです。
合わせる帯は、礼装用の帯とは歴然として違うもので、格よりもお洒落感のあるものを選びます。
織りの着物に「染めの帯」と言われ、塩瀬羽二重の帯地に季節の草花などを染めた名古屋帯が
定番ですが、櫛織り(くしおり)やふくれ織りなど織りの帯で素材感の面白いものも似合います。

~ ~ ~ ~ ~

そう言えば、朱色の地で椿の花の部分がふくれ織りになった帯がありました。
この帯は若い頃に黒地に更紗模様の着物に合わせていた帯ですが、最近は派手になってしまい、
どの着物に合わせても気後れするようになっていました。

そこで、「まだ地味な色大島」に「もう派手になった帯」を合わせてみると、帯の派手さが
気にならなくなり、想像していた以上に着物が生き生きとして見えるようになりました。

~ ~ ~ ~ ~

ですが、
帯の色が明るくはっきりしているので、このままでは帯と着物が持つ色の明度のバランスが取れません。
そこで、帯締めと帯揚げの色を着物の中の一色と、帯の中の椿の葉の色と合わせました。
こうすることで着物と帯の明度のバランスが取れて、帯はおとなしく、着物は明るくなりました。

一般に「帯に派手なし」と言われますが、この組み合わせでいったい何歳まで着ることが出来るでしょうか、、
地味でおとなしい着物、派手で元気な帯、この間を取り持つ小物たち、、どう変わっていくのかは分かりません。
未来の自分への宿題として、自分でも楽しみにして行きたいと思います。

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古い木の本棚との再会

2014年12月10日 | 時空を超えて来たものたち


古い古い本棚

就職が決まり、赴任先の住宅に荷物を送ろうとしていた時、突然、父が「これも持って行きなさい」と
この本棚を渡してくれた。骨董好きの父が、就職祝いのつもりで買って来てくれたのだろうか、、
自分が使うつもりで買ったのか、初めから私のために買ったのか、聞かなかったが
古くて味わいのあるところが気に入って、有難く他の荷物と一緒に送った。




そして、二年間の赴任中、私の部屋の主のようになっていた。
すっかり自分の生活に溶け込んだ頃、結婚することになり、
また荷物の整理をしていると父がやって来て「これは置いていきなさい」と言った。
「あれえ、これはくれたんじゃなかったの?」と聞くと「嫁に行く時には古いものは
持って行くもんじゃない」との答えに、そんなものかと思って言われるままに置いて行った。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
それから数十年、毎日の忙しさに明け暮れ、その本棚のことはすっかりと忘れていた。
それが先日、母の納骨で実家に帰った時、骨董好きの姪っ子と骨董の話をしていてふっと思い出した。

「そう言えばね、独身の頃におじいちゃんがくれた古い本棚気に入って使ってたんだけど、結婚する時に
返せって言うから返したんよ、その後どうなったかわかんないんだけど、、」「これくらいの高さで、、」と
姪っ子に説明していると「それなら二階にあるぞ、このくらいの高さのだろ?」と傍にいた兄が言った。

「えーっ!あるの?」「二階の物置にあるよ」
そんなこんなで、その懐かしい本棚との再会を果たした。
その後、家に送ってもらい無事にまた私の部屋の一員となった。

すっかり忘れ去られていた本棚、またこうして出会えたのはよほど私の元に来たかったのだろう。
そうか、、そうか、、よかったね。心から嬉しい再会であった。

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同じ着物に帯三本

2014年12月04日 | 着物の楽しみ
「着物一枚に三本の帯」と昔からよく言われています。
同じ着物を三本の帯で雰囲気を変えて着回すことを言います。
限られた予算の中でいかに上手におしゃれを楽しむか、、、
昔も今も考えることは一緒ですね。

今回は一つ紋色無地の着物を使って格と用途を変えてみたいと思います。



唐織の帯で華やかに格調高く

着物は一つ紋の色無地ですが、裾濃(すそご)になっており、
帯次第で訪問着風にも付け下げ風にも着こなせます。
ここでは唐織の帯で格調高さと華やかさを加え、訪問着風に装ってみました。

唐織の帯は、光沢のある色糸を浮かせて文様を織り出すため、華やかさと重厚感があります。
もともとは中国から入った技術ですが、室町時代の末期には西陣で織られるようになりました。
当時は将軍などごく限られた人しか着ることが許されていませんでした。

格としては、振袖、留袖、色留袖、訪問着に着用可能です。
金、銀を使わずに光らないので、格の高いお茶席にもよく似合います。
この時に使う帯締めは帯の中の一色をとったぼかし染めです。
控えめでありながら改まった雰囲気を持った帯締めですので、
帯の華やかさと格調の高さに負けることなくしっくりと収まっています。

※裾濃(すそご)
ぼかし染めで、裾の方を濃く、上にいくに従って淡くぼかして染めたものです。
微妙な色の移り変わりが美しい染め方です。




錦(にしき)の帯でしっとりと

着物は同じですが、光線の関係で明るくなってしまいました。
本来の色は、上の唐織の帯に合わせた着物の色です。
ここではちょっとおとなしい古典柄の錦の帯を合わせて、付け下げや江戸小紋風に装ってみました。

錦は多くの色糸を使って美しい文様を織り出したものです。
唐織のような縫い取りがないので糸錦とも言います。
この帯は「檜扇」「牡丹」「橘」など格の高い文様に、さらに「松竹梅」「菊」の吉祥文様が織り込まれています。
地色がおとなしく、金銀も使っていないのでしっとりと落ち着いた雰囲気にまとまります。

格としては、訪問着、付け下げ、江戸小紋に着用可能です。
文様の格が高く吉祥文様があるため初釜、茶事などでも使えます。
この時に使う帯締めは文様の中の一番濃い色に合わせて、おとなしい帯を引き締め、ちょっと華やぎを持たせます。
それが一色ですと身体の上下を分断してしまいますので、この場合違う色と金糸の入ったものを使いました。
こうすることで、濃い色ながら、なじませつつもメリハリをつけることができます。




白の帯で軽やかに

白い帯はカジュアルな雰囲気になります。
文様の雪輪自体は平安時代からある古典柄で能装束にも使われています。
使われ方次第では振袖や留袖にも通用する文様ですが、この帯の場合は
雪輪の中の「ひった模様」の格がやや落ちるため、格式のある席には不向きです。
一つ紋色無地をおしゃれ着風に装ってみました。

格としては、色無地、江戸小紋、小紋に着用可能です。
この時に使う帯締めは帯の中にある茶色と金色を取って、茶色と金色の市松柄のものを合わせます。
そうすると、白い帯の持つ軽さにちょっと重みと華やかさが加わり、帯も着物も生きてきます。

金銀が入った帯締めは帯をよそゆき風にします。
上手に取り入れて着回しの幅を広げるといいですね。


※「ひった模様」ー匹田模様
鹿の子模様のことです。

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エレガントな千歳盆のお点前

2014年12月02日 | 茶の湯便り

本日の茶花
海桐花(とべら)と薬師草
唐銅水瓶形花入れ




千歳盆点前
このお点前は、先々代のお家元・裏千家十四世淡々斎宗匠の還暦のお祝いに
嘉代子夫人が考案され、お好みになったお点前です。

蓋付きのお盆の中に、お棗やお茶碗などお点前に必要なものを入れて持ち出し、
お客様の前で、蓋の上に順々にお道具を出してお点前をします。
美しい敷古帛紗を用いるなど、お道具のあしらいなどが優しくエレガントな雰囲気も
感じられるお点前です。

一番簡単な「盆略点前」を応用したお点前で、気軽に事務所や会議室の机上で
楽しむことができます。家庭でも、親しいお友達や家族と会話を楽しみながらの
お点前も温かい雰囲気でいいですね。

*気軽にできるお点前ですが、本格的なお茶席でも通用するお点前です。


千歳盆の命名
淡々斎宗匠の還暦のお祝いに詠まれた嘉代子夫人の「千歳万て 可わらぬ以ろの 耳は乃松
幾美可与者ひ裳 かくこ所 阿羅奈舞」ー千歳までもお元気でという御歌からの命名とのことです。
素敵な御歌ですね。清香院様(嘉代子夫人)のお優しさが伝わってくるようです。

目標あるお稽古
この4月よりお稽古を始められたアイさんが、今このお点前のお稽古中です。
家にある物を使って、気軽にお友達をおもてなししたい、というのが目標です。
炉の時期ですが、その目標に向かって盆略点前と千歳盆をまずマスターしようと頑張っています。

盆略点前はもう90%、千歳盆のお点前も80%の出来具合になりました。
千歳盆は無くても、家にある茶櫃(ちゃびつ)を使って、他のお道具もあり合わせの物でいいですし、
取りあえず、極々親しい方をお客様に頼んで、お稽古のつもりでお茶会やってみたら?などと促せるほどに。
目標がはっきりしているので、心のふらつきが無くいつも変わらぬ態度で黙々とお稽古されます。
その心映えなら、お友達と楽しくおしゃべりしながらのお茶会は、そう遠くない内に実現することでしょう。
楽しい様子が目に浮かぶようです。楽しみ♪楽しみ♪

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秋は夕暮れ

2014年12月01日 | 思うこと


9月から11月は母のことがあって、あっと言う間に終わってしまった。
今日はもう12月、、月日の過ぎ去る速さを実感している。

昨日、ある峠の道を車で走った。
赤や黄色の葉で山が彩られていた。
こういった自然の彩りを見ると、この世はなんと美しい所なんだろうとしみじみと思う。

日本には四季があってそれぞれに美しい。
そして、一日の時の流れにもそれぞれに美しいと思える瞬間がある。
その中でも、特に私は秋の夕暮れ時が好きである。

夕日が落ちて、西の空にまだ明るさの残る頃。
形あるものが黒くシルエットとなり、家々に明かりが灯る。
そんな風景は、昼間に拡散した気が元の場所にすーっと戻っていく様な安堵感を与えるからだ。
その感覚は、浮き立つような「春の宵」でも、暑さの残る夏の「夕方」でもないのである。
まして、日が早々に落ちて冷え込む冬にはそんな悠長なことは言っておられない。

ほど良い日暮れ時の長さと、寒さに向かう前のさほど寒くないが、冷涼で澄んだ空気感が必要なのである。

春宵一刻値千金というが、なんとも、秋の夕暮れも贅沢で素晴らしいものであることよ。

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