28日の夜中に出発し、東北道を北へ向かいます。
途中、仮眠をとりながら、若柳金成インターで高速を降り、まず向かったのは、日帰り温泉「金成温泉延年閣」。
旅行の時、翌日をフルに利用するため、車で長距離の場合夜間移動することが多いのですが、朝は温泉で一息つきたいものですが、意外と早朝からやっている温泉施設は少ないもの。ここは朝7時からやっているのが嬉しいです。開店早々に行ったのですが、結構ひとがはいっていました。
公共の施設のため、温泉かけ流しは望むべくもありませんが、それでもかなりぬるぬるした感じのある良い温泉でした。
さらに、早朝に現地に着くと、朝食も困りもので、大体コンビニでおにぎり、とかで済ませることが多いのですが、今回は一関市内の24時間営業のマクドナルドで朝マックすることができました。
座って朝食をとれるだけで、全然違います。
一息ついた後、本日の目的地、平泉へ向かいます。平泉に来るのは、十数年ぶりです。
まず行ったのは、毛越寺。
小雨が降ったりやんだりの天気ですが、湿った木のにおいが好きなので、このような観光地を巡るときはかえって好ましいです。
朝一だったため、ほとんど他の客はおらず、静かに見ることができました。ただ、裏側のすぐ見えるところを東北道が走っており、車の音が結構聞こえてきます。
昔の姿をしのぶにはのどか過ぎる毛越寺を後に、中尊寺へ向かいます。ちょうど、中尊寺へ向かう道の桜並木がは満開でした。
ここから月見坂を上っていきますが、月見坂の勾配の急なこと!以前に来た時はこれほどきつかった印象はないので、やはり訪問者が年をとったということなのでしょう。
紀行作家の、故・宮脇俊三氏は、著書の中で、数十年ぶりに同じ観光地を訪問すると、観光地は変わらないのに自分は年をとっていることに愕然とする、と言っていますが、まさにその言葉がわかります。
長い参道を登り、まずは讃衡蔵へ。ここは昔、木造の古い建物だった記憶がありますが、新しい建物になっていました。
ここの収蔵品はなかなか面白く、泰衡の首桶とか、遺体をくるんでいた布とか生々しいものがあったりするのですが、個人的に一番興味深いのが、副葬品の砂金でした。
砂金、というより石金と呼ぶのがふさわしい大きさの金の塊です。
奥州藤原氏の栄華の源は、砂金と言われていますが、1000年前の東北の河川にはこのような金塊がごろごろしていたのでしょうか?鉱業のことはわかりませんが、金鉱がないと砂金は産出しないのでは?だとすれば、鎌倉幕府が奥州藤原氏を滅ぼした後、鎌倉幕府は大量の金を手にしたはずですが、歴史上そのような事実がないのはなぜでしょう。奥州藤原氏4代100年の間に東北中の砂金を採りつくしてしまったのでしょうか。
歴史に消された歴史を秘めた展示物を見た後、讃衡蔵を出て金色堂へ。
最初に見た時には、その小ささに驚きましたが、今回は大きく感じました。
ここもまだ早い時間だったので、結構すいていてゆっくり見ることができましたが、見終わる頃には続々と団体が到着していました。
ところで、同行者によると、ここはパワースポット的なものを感じるそうです。残念ながら私はそのような気配を全く感じない人なのですが。
駐車場へ戻る道の途中で見た看板。「アー県なー」が何か理解するのにしばらくかかりました。
中尊寺を出て高館義経堂へ。義経最期の地、となっていますが、北上川を背にした細長い尾根状の場所で、さすがにここで最期ということはないだろう、と思いましたが、北上川に浸食されて現在の姿になったとのことです。
ここもいつの間にかすぐ下を国道のバイパスが通っていて、車の音が途切れることがありませんでした。
次に行ったのは、無量光院跡。
ここは宇治の平等院を模した建物があったとのことです。初めて平泉に来た時、ここにきて、平泉が思っていたよりはるかに優れた文化を持っていたことを認識させられました。
ここのすぐ後ろには東北本線が通っており、頻繁に超大編成の貨物列車が通過していきます。
かつての交通を担っていた北上川を含め、主要交通がこれだけ狭い範囲に集中していることからも、この地が交通の要衝として重要であったことがわかります。
そして、柳之御所遺跡へ。
ここは奥州藤原氏の政庁跡と言われている場所で、発掘された遺跡跡は公園として整備されていますが、今回は天気と時間と体力の都合上、資料館のみ見学しました。
ここまで来るツアー客はいないようで、ゆっくり見学できました。資料館は無料ですが、当時の生活が生々しく伝わってくる展示物が面白かったです。
平泉最後の訪問地は、達谷窟毘沙門堂。
堂内から、法螺貝の音が聞こえてきます。
同行者によると、ここは空気が違う、それも普通ではないとのことです。ここでも私は何も感じなかったのですが。
堂前の2本の巨大なしだれ桜は、まだ2~3分咲きといったところでした。
平泉を一回りして、そろそろ昼時、せっかくなのでちょっと贅沢をして前沢牛を食べに行きました。
今回行ったのは、「和風レストラン 牛の里」。
さすがに美味です。
さて、本日の宿に向かう前に、温泉に立ち寄ります。
行ったところは、「大沢温泉」。ここは一般の旅館のほかに自炊部があり、なかなか風情のある建物が出迎えてくれます。
この日は、ちょうど「大沢金勢祭り」が開催されていました。
写真は、「入浴の儀」の光景で、金勢様を温泉自慢の露天風呂で清め、さらに子宝祈願の女性が金勢様にまたがって温泉の中を一周する、というストレートな行事です。
見ていた子供が、「なんでオ○○○○洗ってるの?」と聞いていましたが、だれか説明してやってください。
例年、この時期は桜が満開になるようですが、今年は天候不順のせいで全く咲いていませんでした。
温泉は、当然素晴らしく、今度はゆっくり泊まりで来てみたいと思いました。
さて、本日の宿は、台温泉「やまゆりの宿」です。
宿については、別記事で。
<2日目に続く>
途中、仮眠をとりながら、若柳金成インターで高速を降り、まず向かったのは、日帰り温泉「金成温泉延年閣」。
旅行の時、翌日をフルに利用するため、車で長距離の場合夜間移動することが多いのですが、朝は温泉で一息つきたいものですが、意外と早朝からやっている温泉施設は少ないもの。ここは朝7時からやっているのが嬉しいです。開店早々に行ったのですが、結構ひとがはいっていました。
公共の施設のため、温泉かけ流しは望むべくもありませんが、それでもかなりぬるぬるした感じのある良い温泉でした。
さらに、早朝に現地に着くと、朝食も困りもので、大体コンビニでおにぎり、とかで済ませることが多いのですが、今回は一関市内の24時間営業のマクドナルドで朝マックすることができました。
座って朝食をとれるだけで、全然違います。
一息ついた後、本日の目的地、平泉へ向かいます。平泉に来るのは、十数年ぶりです。
まず行ったのは、毛越寺。
小雨が降ったりやんだりの天気ですが、湿った木のにおいが好きなので、このような観光地を巡るときはかえって好ましいです。
朝一だったため、ほとんど他の客はおらず、静かに見ることができました。ただ、裏側のすぐ見えるところを東北道が走っており、車の音が結構聞こえてきます。
昔の姿をしのぶにはのどか過ぎる毛越寺を後に、中尊寺へ向かいます。ちょうど、中尊寺へ向かう道の桜並木がは満開でした。
ここから月見坂を上っていきますが、月見坂の勾配の急なこと!以前に来た時はこれほどきつかった印象はないので、やはり訪問者が年をとったということなのでしょう。
紀行作家の、故・宮脇俊三氏は、著書の中で、数十年ぶりに同じ観光地を訪問すると、観光地は変わらないのに自分は年をとっていることに愕然とする、と言っていますが、まさにその言葉がわかります。
長い参道を登り、まずは讃衡蔵へ。ここは昔、木造の古い建物だった記憶がありますが、新しい建物になっていました。
ここの収蔵品はなかなか面白く、泰衡の首桶とか、遺体をくるんでいた布とか生々しいものがあったりするのですが、個人的に一番興味深いのが、副葬品の砂金でした。
砂金、というより石金と呼ぶのがふさわしい大きさの金の塊です。
奥州藤原氏の栄華の源は、砂金と言われていますが、1000年前の東北の河川にはこのような金塊がごろごろしていたのでしょうか?鉱業のことはわかりませんが、金鉱がないと砂金は産出しないのでは?だとすれば、鎌倉幕府が奥州藤原氏を滅ぼした後、鎌倉幕府は大量の金を手にしたはずですが、歴史上そのような事実がないのはなぜでしょう。奥州藤原氏4代100年の間に東北中の砂金を採りつくしてしまったのでしょうか。
歴史に消された歴史を秘めた展示物を見た後、讃衡蔵を出て金色堂へ。
最初に見た時には、その小ささに驚きましたが、今回は大きく感じました。
ここもまだ早い時間だったので、結構すいていてゆっくり見ることができましたが、見終わる頃には続々と団体が到着していました。
ところで、同行者によると、ここはパワースポット的なものを感じるそうです。残念ながら私はそのような気配を全く感じない人なのですが。
駐車場へ戻る道の途中で見た看板。「アー県なー」が何か理解するのにしばらくかかりました。
中尊寺を出て高館義経堂へ。義経最期の地、となっていますが、北上川を背にした細長い尾根状の場所で、さすがにここで最期ということはないだろう、と思いましたが、北上川に浸食されて現在の姿になったとのことです。
ここもいつの間にかすぐ下を国道のバイパスが通っていて、車の音が途切れることがありませんでした。
次に行ったのは、無量光院跡。
ここは宇治の平等院を模した建物があったとのことです。初めて平泉に来た時、ここにきて、平泉が思っていたよりはるかに優れた文化を持っていたことを認識させられました。
ここのすぐ後ろには東北本線が通っており、頻繁に超大編成の貨物列車が通過していきます。
かつての交通を担っていた北上川を含め、主要交通がこれだけ狭い範囲に集中していることからも、この地が交通の要衝として重要であったことがわかります。
そして、柳之御所遺跡へ。
ここは奥州藤原氏の政庁跡と言われている場所で、発掘された遺跡跡は公園として整備されていますが、今回は天気と時間と体力の都合上、資料館のみ見学しました。
ここまで来るツアー客はいないようで、ゆっくり見学できました。資料館は無料ですが、当時の生活が生々しく伝わってくる展示物が面白かったです。
平泉最後の訪問地は、達谷窟毘沙門堂。
堂内から、法螺貝の音が聞こえてきます。
同行者によると、ここは空気が違う、それも普通ではないとのことです。ここでも私は何も感じなかったのですが。
堂前の2本の巨大なしだれ桜は、まだ2~3分咲きといったところでした。
平泉を一回りして、そろそろ昼時、せっかくなのでちょっと贅沢をして前沢牛を食べに行きました。
今回行ったのは、「和風レストラン 牛の里」。
さすがに美味です。
さて、本日の宿に向かう前に、温泉に立ち寄ります。
行ったところは、「大沢温泉」。ここは一般の旅館のほかに自炊部があり、なかなか風情のある建物が出迎えてくれます。
この日は、ちょうど「大沢金勢祭り」が開催されていました。
写真は、「入浴の儀」の光景で、金勢様を温泉自慢の露天風呂で清め、さらに子宝祈願の女性が金勢様にまたがって温泉の中を一周する、というストレートな行事です。
見ていた子供が、「なんでオ○○○○洗ってるの?」と聞いていましたが、だれか説明してやってください。
例年、この時期は桜が満開になるようですが、今年は天候不順のせいで全く咲いていませんでした。
温泉は、当然素晴らしく、今度はゆっくり泊まりで来てみたいと思いました。
さて、本日の宿は、台温泉「やまゆりの宿」です。
宿については、別記事で。
<2日目に続く>