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2014年12月5日 奥飛騨旅行 1日目(その1)

2014年12月07日 22時23分30秒 | 旅行

温泉に入りに、奥飛騨まで行ってきました。

今回は鉄道+バスで向かいます。ということで、まずは朝のラッシュ真っ只中の新宿駅に向かいます。

通勤通学客が行き交う新宿駅は、東京駅と異なり、旅行客が時間をつぶせるような場所はほとんどありません。大きな荷物を抱えた旅行者は、肩身の狭い思いで特急ホームに向かいます。

 

8時30分発の「あずさ7号」に乗車します。

 

中央東線の顔であり、JR東日本の在来線特急型最大勢力のE257系ですが、外観も内装もカジュアルすぎて特急らしい雰囲気には欠けると思います。

しかし、 シートピッチは広めの960㎜、大きい背面テーブルに、小さいカメラ程度なら余裕でおける広い窓枠、大きな窓と広い室内と、実用的には非常に優れています。

2001年登場なので、13年経過していますが内装はきれいで、使用する材料の進化が感じられます。

残念なのはコンセントがないことと、座席が硬目なこと、床が滑りやすく座りなおす時に踏ん張れないこと位でしょうか。

この日は9両編成で運転、新宿寄りの先頭は貫通型でした。

 

すでに「あずさ」にはE353系投入が発表されており、この姿を見られるのもそう長くはないと思われます。

 

 

ところで、新宿から「あずさ」に乗るとなると、どうしても狩人の「あずさ2号」が頭の中をぐるぐるするわけですが、この曲の発表は1977年、すでに37年前になります。

当時の「あずさ」は季節列車も含め一日10往復、5往復が長野の189系12連(「あさま」と共通運用)、残りの5往復が幕張の183系9連(房総特急と共通運用)でした。「あずさ2号」は幕張車で運用されており、朝、幕張から新宿まで回送されるのですが、パッとしない房総特急運用にくらべ颯爽としているように見えたものです。

 

 

話は現代に戻り、「あずさ7号」は定刻に新宿を発車。満員の山手線を横目に西をめざします。

 

 

東京は非常に良い天気で、富士山がきれいに見えました。

 

 

 三鷹、立川に停車しこまめに乗客を拾い、豊田車両センターの横を通過します。

波動用の189系がこれから出動のようです。

現在6連3編成が在籍していますが、E353系導入後の動向が気になるところです。

 

 

そして、115系。

48年間、中央東線を走り続けてきた115系ですが、明日、12月6日で運行終了とのことです。

今回の旅行をこの時期にしたのは偶然ですが、中央東線115系を見送る旅にもなってしまうとは思いませんでした。

 

 

 

八王子でも結構乗車があり、指定席は8~9割の乗車率になりました。この257系、勾配とカーブの多い中央東線を走る割に俊足で、松本までの約220㎞を約3時間、平均速度70㎞/hになります。

しかし、ライバルである高速バスは新宿~松本間3時間12分とほぼ同じにもかかわらず料金は半分近く、なかなか厳しい戦いを強いられているのが現状です。

実は、今回向かう平湯温泉までも新宿から高山行の高速バスで直接で行くことができます。しかも、所要時間は4時間30分、松本から平湯温泉のバスの所要時間は1時間30分であるため、乗り換え時間を含めるとバスのほうが実質早いのです。

 

しかし、バスの4時間半に耐える自信はなく、松本まで鉄道で行くことにしました。

 

 

ところで、「あずさ」には、バスにはない車内販売があります。そして、そのメニューはなかなか魅力的です。そのメニューを載せておきます。

 

 

 

「あずさ7号」は大月に到着。早くも下車する人が結構います。半分くらいが外国人ですが、富士山でも行くのでしょうか。

 

その大月で、富士急行の2000系を見ることができました。

この車両が貴重なのは、国鉄165系電車の唯一の生き残りということです。

国鉄時代に「パノラマエクスプレスアルプス」として165系をタネ車に改造され、その後富士急に譲渡されました。6両のうち3両が廃車されましたが、残り3両はいまだ健在です。

かつてこちら側の線路を、サロ2両+サハシを組み込んだ、堂々の12両編成で走っていた165系の最後の姿です。

 

                           <その2に続く>