柳町の来たに保命水という水場があります。
井戸ではなく、湧水をここまで引いてきているということですが、やわらかくておいしい水です。
旧北國街道はここで向きを変え、国道18号に沿って西に向かいます。
この先は昔を思わせるものは残っていません。二の丸通りを南に向かうと上田城の入り口に到着します。
上田城に来たのは2011年1月以来5年ぶりです。前回来た時には「真田を大河ドラマに」という幟があったように記憶していますが、その思いは5年越しで達成されたことになります。
上田城は1583年に真田昌幸によって築城されたとされており、徳川の攻撃を二度にわたって退けたことで有名になりました。その上田城は徳川が天下をとった後で破壊され、現在残っているのは江戸時代に仙石氏によって再建されたものですが、完成することなく幕末を迎えることになります。
これを書いている時点で大河ドラマ「真田丸」は5回まで放送されました。
「真田丸」は33年後まで話は続くはずですが、5回の放送でまだ4か月しか経過しておらず、まだ1582年のままです。したがって、まだ上田城はまだ大河ドラマには登場していません。
上田城の入り口には櫓と門が並んでいますが、城郭らしいのはここだけです。
上田城の南側は崖になっており、今では市街地が広がり新幹線の高架も通っていますが、昔は尼が淵という川が流れていました。
本丸前の堀は自然の風景のように美しい景観です。
本丸には真田神社があります。真田丸効果を期待してか、社殿が新しくなっていました。
真田神社の御朱印です。
それにしても、「真田」はやはり独特の響きがあります。
義経と同じで判官びいきのところがあり、また、NHKの人形劇「真田十勇士」とドラマ「真田太平記」の影響等はあるのでしょうが、個人的には優秀な一族だったからなのでは、と思っています。
真田昌幸の父幸隆、兄弟の信綱、昌輝、息子の信繁、信幸すべて優秀な人物として伝えられているのは、他にはなかなか例を見ないと思います。知恵を巡らせて戦国時代を生き残り、しかし梟雄ではないところが好感を得ているのではないかと思います。
ところで、現在、上田城跡公園内に「信州上田真田丸大河ドラマ館」というミュージアムが期間限定で開設されています。
内容は「真田丸」のメイキング公開、という感じで、まあ、それなりに面白かったです。
さて、結構歩いて疲れたので、少し早いですが本日の宿に向かうことにします。
<その3に続く>