「東ベルリンから来た女」(12年)の
監督×主演男女コンビが再び。
「あの日のように抱きしめて」59点★★★
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1945年、ドイツ降伏の前月。
ユダヤ人の元声楽家ネリー(ニーナ・ホス)は
強制収容所で顔に大けがをさせられるが
親友レネ(ニーナ・クンチェンドルフ)の手はずで
なんとか整形手術を受ける。
終戦後、顔の傷が回復したネリーは
生き別れた夫ジョニー(ロナルト・ツェアフェルト)と再会することを望む。
だが、レネはそれに反対する。
ネリーは反対を押し切って、夫ジョニーに会うが
ジョニーは彼女を自分の妻だと気づかない――。
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うーん。
ミステリアスな題材なんですが
まず、そもそもの設定に引っかかってしまってダメだった。
いくら混乱の状況だったとしても
いくら顔が変わっていても、
――妻であるかそうでないか、夫なら気づかないか?って。
でもね
これはたぶん
そういう話じゃないんだと思います。
ミステリー要素を想定してしまったのが
ワシの敗因。
というか、二人の過去とか回想シーンとか一切ないので
見てる間はわかんないのです。
まあ
見てからのお楽しみにしたい方はここまで
で、映画を見た方を想定して話すと
この話、見終わって時間がたつと
「この夫、本当は妻だとわかっていたんじゃないか?」と思いません?
「フレンチ・アルプスで起きたこと」
の夫が、プチ雪崩に遭遇したとき
とっさに妻と子を置いて、ひとりで逃げてしまったことを
「え?そんなことしてないよ?」と言う、あの精神状態みたいなもので
記憶の誤操作っていうの?
それもあるかもだし、
そもそもこの夫は
成功した声楽家であるユダヤ人妻の財産を狙ってたんじゃないか?
で、やばくなって彼女を密告したんじゃないか?
その記憶を
自分でも消そうとしているんじゃないか?
とかね。
そう考えると、おもしろい。
さらにドイツ語がわかる方には
もっと理解の手がかりがありそう。
プレス資料にあるドイツ文学者の松永美穂さんによると
(松永さん、『ツウ本2』にもご登場いただいています!)
この映画ではドイツの親称の二人称と、
敬称の二人称がさりげなく使い分けられていて
「妻であることに気づかない夫が
ずっと敬称を使っているのに、ふと親称になることがある」んですって。
これ重要なヒントだと思うのですが
実は
『ツウ本 2』で
「東ベルリンから来た女」について伺った
ドイツ語ネイティブのサッシャさん(ラジオDJ)も
まったく同じ指摘をしていたんです。
「主人公(ニーナ・ホス)と医師アンドレ(ロナルト・ツェアフェルト)の
親称と敬称の使い分けが、二人の関係に
とても大きな役割をしている」って。
監督の手法、ここに見たり?(笑)
ラストは好きだし、
見終わったあとに、じっくり考えるタイプの作品かもです。
★8/15(土)からBunkamura ルシネマほか全国順次公開。
「あの日のように抱きしめて」公式サイト