青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

大木金太郎さん死去

2006-10-26 | スポーツの話題

必殺技の頭突きで日本と韓国のプロレス界で活躍した元プロレスラー、大木金太郎(本名・金一)さんが26日、ソウル市内の病院で死去した。77歳。病院関係者が明らかにした。糖尿病や内臓疾患などで長期入院していた。韓国の通信社・聯合ニュースによると、26日午後、慢性腎不全症などのためソウル市内の病院で死去。

1929年2月、韓国全羅南道生まれ。韓国相撲でならした後、58年に故力道山にあこがれ、船員として貨物船に乗り込み日本に密入国。拘束されるが、力道山が身元引受人となり、59年日本プロレス(当時)に入門。「頭突き」を得意技として、ファンを魅了した。故ジャイアント馬場、アントニオ猪木とともに若手3羽がらすとも呼ばれた。63年に米国遠征。65年には韓国でプロレス興業を成功させた。72年にボボ・ブラジルを破りインターナショナルヘビー級王座に就いた。日本プロレス分裂後は全日本、新日本、国際の各団体に出場。「猛虎」の異名で馬場、猪木と激闘を重ね、韓国での後継者育成にも力を注いだ。95年には東京ドームで日本での引退式が行われた。

昭和のプロレス界において、「このレスラーといえばこの技」という技を一流レスラーは持っていたが、ニックネームにまで技の名前がついたレスラーは少ない。馬場を「16文の馬場」とは言わなかったし、猪木を「コブラの猪木」とは呼ばなかった。しかし大木金太郎は「頭突きの金ちゃん」と呼ばれて親しまれた。こういうケースは非常にまれであった。

大木の場合興奮すると、手加減なく相手に頭突きをぶち込んだ為、対戦者には大いに嫌われたという。テキサスでルー・テーズのNWA世界選手権に挑戦したときなどは、気負いすぎて頭突きをテーズに連発し、テーズの怒りを買って逆に額にパンチを叩き込まれて頭部裂傷の大怪我を負って病院送りにされたほどである。ブッチャー、ブラジルとの頭突き合戦もファンを沸かせた。

またアントニオ猪木と対戦した際にも、猪木に頭突きを連発。猪木はこれを受けきるのだが、心の中で「大木さん、もういいだろう!」と叫び、額にパンチを叩き込んで、攻守交替をして大木をマットに沈めた。日本プロレスでの下積み時代にはルームメイトで、苦楽をともにした二人の間には次第に大きな溝ができた。猪木の日本プロレス追放に際には大木は猪木追放に急先鋒となった。しかしその溝を埋めるかのように、大木は頭突きを叩き込み、猪木はそれを受けきった。試合後両者はリングの上で号泣しながら抱き合ったのである。この試合ほど大木の頭突きが光った試合もなかろう。必殺技にはこういったストリーも必要なのである。

最後まで力道山の作った「日本プロレス」を守ろうとした姿勢、極真空手への「力道山先生を侮辱した」としての果し合い申し込みなど、レスラー魂を持った人だった。レスラーとしての一途な生き方は、馬場・猪木のように財を成さなかったが、韓国の故郷の島に、個人資産で電気を引くなど、立派な生き方をした。また1人、本物のプロレスラーがこの世を去った。黙祷。

アントニオ猪木氏「力道山道場で最初に練習した後の『私は韓国人、あなたはブラジル人(実際は日本からの移民)。仲良くやりましょう』という言葉を覚えている。力道山先生に殴られた後、焼き肉に連れて行ってもらった。6月20日にソウルで会った時は元気で、良かったと思ってたんだけど…燃え尽きたと思う。」「この度は大木金太郎さんの逝去に際し、謹んでお悔やみ申し上げます。突然の訃報に、悲しみともに今はただ思い出を懐古するかぎりです。デビュー戦、新人時代、タイトルマッチなど大木さんとの思い出は尽きません。また、韓国でのプロレス・格闘技の発展に尽力を注ぎ、現在の礎を築いた故人の功績を、我々は次の世代へ引き継いでいかなくてはと思います。謹んでお悔やみ申し上げ、故人の冥福をお祈りいたします。」

坂口征二氏「この度は大木金太郎さんの逝去に際し、謹んでお悔やみ申し上げます。大木さんとは、日プロ時代から一緒で私が新日本プロレスに移籍した時には大変な物議をかもし、その後大木さんが新日本プロレスに参戦し遺恨試合行った事が思い出されます。今年の2月に約10年ぶりに大木さんと会って「坂口、元気でがんばれよ」と逆にこっちがお気遣い頂いたばかりで、非常に残念でなりません。大木さんの意思をこのプロレス界に引き続き残していくばき、我々もまだまだがんばっていきたいと思います。謹んでお悔やみ申し上げ、故人の冥福をお祈り致します。」

山本小鉄氏「謹んでお悔やみ申し上げます。大木さんとは、NWAタッグチームとして数々の試合をしました。仙台でジム・バーナードと大木さんが試合をした時にバーナードが角材で大木さんの頭を殴りにいった時に、大木さんが避けた瞬間に角材が耳にあたり、耳の三分の一切れてしまい救急車で運ばれ病院まで一緒に行ったその時の大木さんの形相が凄く印象に残っています。壮絶な現役生活でした、どうぞ天国では安らかにお休みになって下さい。本当にお疲れ様でした。」

星野勘太郎氏「この度は大木金太郎さんの逝去に際し、謹んでお悔やみ申し上げます。大木さんとは焼肉をご馳走になったり、どつかれたりと一言では語り尽くせない程の思い出が蘇ります。こんなに早く天国に行ってしまうなんて残念でなりません。大木さん天国から引き続きプロレス界を見守っていて下さい。謹んでお悔やみ申し上げ、故人の冥福をお祈り致します。」