青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

関西大学・応援団、創部88年目で初の外国人部員の誕生!

2010-05-09 | 日記

日本の外交下手は今に始まったことではありませんが、日本人の民間外交は昔から結構頑張っています。新聞が自民党の圧力で報道しなくても、アントニオ猪木のイラクでの人質解放を成功させた平和のイベントも、北朝鮮での19万人を動員したプロレス開催もそう。佐川急便の会長という後ろ盾があったけれども、新日本プロレスが借金を作ってまで行ったイベントで民間外交が行われたのです。また、力道山が北の出身であることをひたすら隠しながらも、当時の政府の要請を受け入れ、日韓国交正常化の為に何度も極秘に訪韓していたことも、今では人々の知る所になりました。

西欧諸国に関しては、昔から盛んでした。僕の友人の家にもアメリカ人がホームステイに来たり、そういう交流を通じて、僕も外国人の考え方と日本人の考え方のギャップを感じました。その後は僕自身、多くの外国人と交流を持ち、アメリカ人の友人の方が多い?みたいになるとは思いもしませんでした。もっと盛んな所では、大学の交換留学生のシステムがありますね。

僕が今回後輩から聞いたのは、僕の母校・関西大学に留学に来ている外国人の話です。その留学生は、米国ミズーリ大学セントルイス校からの交換留学生として昨年9月に来日した、トーマス・チャンセラーさん(21)。彼は文学部生として来日したのですが、関西大で初の外国人応援団員なのです。創部88年目で初の外国人部員の誕生!でした。

入団のきっかけは、本年4月、招かれた学友会の式典で初めて応援団の演舞を目の当たりにして、その雄姿に心を打たれたこと。学生服を着て大声を出し、統率のとれた行動を取る応援団を見て、文句なしに「かっこいい」と感じ、すぐに入団を申し入れたのです。ところが迎え入れる側の応援団では、この予想外の展開におおわらわ。チャンセラーさんの入団願いを受け、納得の上で入団してもらおうと、団の基本精神とも言うべき「綱領」を幹部総出で英訳し、チャンセラーさんへの説明に臨みました。

入団から1か月が経ち、団長の森山さんは彼の奮闘ぶりを見て「練習にも一生懸命で、言葉の壁を乗り越えて良く頑張っている」と評価。チャンセラーさん自身は「米国ではチアは女性がやるものだから、最初はびっくりした」というが、入団後の応援団の印象を「応援団は大きな家族。日本に家族ができて本当に嬉しい。日本の文化を知れて、難しいけど面白い。」と語っています。

写真は関西大応援団リーダー部団長の森山佳広さん(左)とトーマス・チャンセラーさん。6日、大阪・千里セルシーで部員23人と演舞を披露。

交換留学期間の終了まで残り2か月。これから帰国までの間、伝統の関関戦や舞台公演などで大忙しです。チャンセラーさんは「応援団らしく最後まで頑張りたい」と。そして「あ~、アメリカに帰りたくない」とも語っています。

僕の仲人さんは、何十年も先輩で、かつて関西大学・応援団の団長だった方でした。懐かしく思い出しました。