青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

プロの凄さ、スーパースターの人格!

2022-12-15 | 素晴らしかった興行・イベント

「私のスイングを見てくれませんか?もっと上手くなりたいのです!」

世界のスーパースター、アーノルド・パーマーに、僕はとんでもないことを言いました。しかし、パーマーは顔色1つ変えず、「何が悩みなんだい?」と優しく微笑んでくれます。僕のハンディが当時7でしたが、背が低くて体重もないので飛距離が出ない悩みを話し、実は生まれて1度も誰からもレッスンを受けたことが無く、ジャック・ニクラウスの技術書「ゴルフ・マイ・ウエイ」から独学で学んだことを、恥ずかしながら伝えました。



すると、パーマーは少し席を外したのですが、何と彼のキャディがパーマーのバッグを担いで現れたのです。「それじゃあ、君のスイングを見せてもらおう!いいアドバイスができればいいんだけど」とパーマーが言ってくれたのです。同席していたゲイリー・プレイヤーも一緒にホテルの中庭に出て、世界最高のゴルファー2人の目の前でスイングすることになりました。パーマーに渡された7番アイアンは重く、長かった。憧れのスターの本物の愛用のクラブです。傷をつけないように緊張していると「折れないから心配しないで」。

何回かスイングしているうちに、パーマーとプレイヤーが相談を始め、「君は私と体格が近いから、私の方が的確なアドバイスを出来ると思うよ」とウインク。ゲイリー・プレイヤーは黒豹と異名を取った名選手ですが、身長は僕とさほど変わりません。

プレイヤーが僕の脹脛や腕の筋肉、身体の柔軟性をチェックし、「何のスポーツをしているんだい?ゴルフに必要な筋肉はたくさんついているけど、ゴルフだけじゃないね・・」と言われるので、「柔道です」というと、「体操選手かと思ったよ。バランスがいい。」と感心してくれました。そして僕の終生の宝になるスイングについてのアドバイスと、その練習方法をピンポイントで教えてくれたのです。3日後、打球場に飛び込んだ時、教えられたとおりに打つと、それまでとはまったく違う球筋で、遥か遠く300ヤードに届くショットが出ました。

ほんの少しの時間で僕のスイングの欠点を見抜き、僕が理解できるように何が悪いのかを教え、それが直るように具体的なアドバイスをピンポイントでしてくれた。そして、その結果、驚くほど僕の打球が変わった。世界の頂点に立つ人のアドバイスというものは、こんなに凄いのかというのを身も持って体験しました。プロとはこれほどまでに凄い!

更にパーマーは、いつの間にか私たちを取り囲んでいた大勢の日本人に向って言ったのです。「日本のファンはいつも私たちを応援してくれます。そのお礼にあなたの悩みにもアドバイスさせてもらいます」。世界最高の2人が、日本のファンに無料でレッスンしようというのです。例え何百万円払おうとも受けられないレッスンを無料でしてくれるというのです。ファンを大切にしてこそ、業界の隆盛はあるということを、世界の頂点に立つゴルファーたちが実践していました。

ところが誰一人として、手を上げる人がいなかった!全員が沈黙!

パーマーが「通訳してくれるかい」と言うので、「誰でもいいですよ。ビギナーの方でも私のように上手くなれます。」という彼の素敵なジョークを通訳したけれど、誰も手を上げません。プレイヤーが日本語で「あなた、こちらに来て下さい」と声をかけると、「私は結構です」と後ずさりする始末。その場にいたゴルフファンの人たち、みんな僕より年齢も上で、おそらく高額なクラブセットを持ち、会社でもそこそこの地位のある方たちの様でした。英語だって出来る人がいたと思います。しかし、こんなまたとないチャンスに誰も教えてもらおうとしなかった

「おいおいどうしたんだい?」とパーマーが苦笑いした時、「教えてくれますか?」と、前に出てきた年配の方がいました。思わず笑ってしまいました。杉原輝夫プロ。ジャンボ尾崎らと時代を築いた日本を代表するプロゴルファーです。このホテル、選手の宿舎になっていたようですね。

あんたらアホかいな。総理大臣になっても、こんな人らに教えてもらうことなんかできへんで。しかも金もいらんのに。生まれ変わってもこんなチャンスないで」との杉原選手のぼやきに、みんなは笑っていましたが、杉原の目は怒っていました。「何でこんなチャンスを捨てるんや」とブツブツ言いながら、パーマーの前に行き、「僕のスイング、こんな変なスイングなんですけど、何とかなりまへんやろか?」と、杉原がその場を収めました。リー・トレビノが「誰もあなたをプロなんて思わないから、2人でベガスに行って、億万長者相手に賭けゴルフで儲けよう」とジョーク。パーマー、プレイヤーもこのジョークに大笑いしました。

こんなすごい場所に居合わせながら、そのチャンスを手にした人は僕以外に誰もいなかったのです。僕は本当に驚きました。遠慮とか、度胸がないとかそういう問題ではなく、日本人には何かが欠けていると感じました。

この数時間後、明日に挙式を控えた従弟の家族と夕食を食べましたが、おめでとうの話もそこそこに話題はこの一件に。「お前は俺の式に来てくれたのか、パーマーに会いに来たのかどっちや?」と笑われてしまいました。幸運に恵まれた僕には、このレッスンの時の記憶はハッキリと覚えているのですが、兄貴の披露宴の記憶は今では失礼ながらあまり残っていません。(少し罪の意識がありますね。)

チャンスというものは、それを生かせば一生忘れないものを手に入れますが、逃した人は、その時は気が付かなくても、二度と取り返しのつかない不幸を体験しているのだと思います。

 



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