昭和の時代、大阪の北摂にある「豊中」「箕面」の街は、住んでいる人間以外には馴染みが無いようにも思えましたが、デートにピッタリの場所が沢山点在し、道路の利便性が抜群に良かったこともあり、車が無ければ遊べない街だけど、車さえあれば最高のデートが約束されていた街でした。このブログでもどんどん紹介していますが、インターネットで検索すれば、今は無き青春の名店やデートスポットが山ほど出て来ます。
気分の良い空間と、美味い珈琲がいくらでもあったのが大阪は「北摂」地域でした。
阪急・箕面駅から南に一直線に走るあの有名なロマンチック街道。その途中を東西に走る、ロマンチック街道から新御堂筋に出て千里中央や江坂に向かう「小野原豊中線」(国道171号線と並行にある)の途中にあったのが、この喫茶店「ホットストリート」でした。
真っ黒な外装と、星条旗が人目を惹くお店で、店内はウエストコーストの雰囲気に溢れたデート向きの喫茶店でした。
何度も通ったお店でしたが、昭和50年代のある日、ロマンチック街道からこのお店に向かい、東へ一直線の小野原豊中線の急な上り車線を走っていると、突然対向車が目の前で中央線をはみ出して、僕が運転する車に正面衝突。その瞬間は景色が白黒になり、音は消え去り、全てがスローモーションに見えました。相手は僕の後続のタクシーにもぶつかり、歩道に乗り上げ停止。
僕はシートベルトもしていましたが、なぜか大破した「レビン」の後部座席に吹っ飛んでいました。ハンドルは運転席のシートに突き刺さっていました。後続のタクシーの運転手さんが、助手席の歪んだドアをこじ開けて救出、そして救急車を呼んでくれました。
事故原因は免許取り立て1週間の18歳の少年が、高校の卒業式の後、親の車に3人の友人を載せてドライブに。この道をはしゃぎながら通過中、助手席の少年が運転中の少年の腕を「しょうもない事言うなよ~、お前!」と、押したことによって対向車線の僕に激突したというもの。少年たち4人は無事で、「あ~恐かった」「ラッキー!」と喜び叫び、被害者のこちらには何の挨拶というか気遣いも無し!怒った僕がまともに歩けないのに、許せない!と殴りに行こうかとしたのを、タクシーの運転手さんが「兄ちゃん、喧嘩したらお金を取れなくなる、我慢や!」と止めてくれました。
車は全損となりましたが、僕のレビンは当時中古で買ったばかりでローンが30万残っていました。しかし、車の査定額がゼロ!(壊れていない状態で。年式が古かったので。)修理のしようがない全損車なので、お金で弁償するしか無いのですが、値打ちゼロのものにお金を払えないのが保険会社。しかも過失割合は100対ゼロなので、僕の保険は使えない。つまり、僕の治療費や休業補償、汚れた服や壊れた携行品にはお金が相手の保険の対人・対物から払われるのですが、僕の車に対しては1円も支払われない。ローン30万は残るのにです。しかも過失も当方はゼロなのに!
法律というか、保険の約款はどうあれ、車を壊したのは相手の少年の仕業ですから30万の支払いを迫りましたが、「こういう時に払うお金が無いから保険に入っていたので、お金は保険会社に言え」と少年の親。保険会社は「どんな場合でも保険が下りる訳ではありません」。両方が払わない。僕の事故車両を見た相手の親は、病院で「生きてくれていて良かった。どんなお詫びでもします」と言っていたのに、「息子は4月から社会人。車が運転出来ないと困るので物損事故にして欲しい、人身事故扱いにはしないでくれ」と懇願。
ところが人身事故扱いにしないと、病院代も後遺障害が出ても保険会社は金を払わないと言う。僕の車の残債30万すら払えない家が、「物損事故にしてくれたら、病院代は全額払います」と、健康保険も効かない医療費の支払いを申し出ても信用できる訳が無い。断って当然のことながら人身事故にすると、「お前のせいで息子は免停になった」と、見舞いや支払いどころか「人身事故を取り消せ!」と脅かしに来たほどでした。
幸い僕は当時柔道3段で鍛えた体もあったので、大きな怪我に至りませんでしたし、加害者が僕を脅かす為に雇った輩にも力ずくでお引き取り願えましたが、過失ゼロの降って湧いた貰い事故で30万円の損失を被りました。これもあり、その後損害保険(自動車保険や火災保険等)の特級資格まで取得しましたが、法律は知っている者の味方であり、正義や弱い者の味方ではないと学びました。
皆さん、事件・事故には本当に気を付けて下さいね!