青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

リーインカーネーション ~記憶に残る怖い映画!

2024-03-23 | 青春・名画劇場

昔観た映画で、何かがきっかけでふと思い出す。そんな作品、誰にでもきっとあると思います。細かいことまでは覚えていないけれど、何とも言えない不気味さと、納得いかない結末・・。

主人公は湖で全裸で泳いだ後、ボートに乗った女にオールで強打され、湖底に沈む夢を毎晩みる。ただの夢なのか何なのか・・・。記憶にない女、記憶にない湖岸のホテル、記憶にない建造物・・・。そんなある日、TVの歴史紀行番組を偶然見ていた彼は、夢で見た通りの建造物を見る。TV局に取材場所を問い合わせ、車を走らせ現地に向かい、遂に夢で見た建造物を発見する。「ここだ・・ここで自分は殺されたんだ・・」

そういうはじまりの映画「リーインカーネーション」、1975年の作品です。今ではTVで観る機会もありませんが、「月曜ロードショー」というメジャー枠でも放送された作品です。

公開時のチラシですが、怖そうでしょう?この映画、マニアックなスリラーと片付けるにはちょっと違う。何せ監督が「ナバロンの要塞」のJ・リー・トンプソン。原作・脚本が「赤ちゃんよ永遠に」のマックス・エーリッヒ。音楽が「パットン大戦車軍団」「パピヨン」「スタートレック」等のジェリー・ゴールドスミス!

キャストも「おもいでの夏」で美しき未亡人を演じ、一躍ハリウッドのスターになったジェニファー・オニール。そして主役が最初は「帰って来たウルトラマン」に変身する郷秀樹を演じた団時朗さんか?と思った「ひとりぼっちの青春」のマイケル・サラザン。

豪華スタッフとジェニファー・オニール目当てに、ついつい映画館に足を運んでしまいました。鑑賞後の感想は何とも言えないものを観た・・の一言。

僕は当時大学では英語を専攻していて、リーインカーネーション “reincarnation =転生(輪廻)という意味” なんていう単語、一生使わないだろうと思っていたのですが、お金を出して観た映画のタイトル単語・・忘れようにも忘れられず覚えてしまいました。ところがアメリカで生活中、この単語をよく耳にしました。日本人=仏教と思われるのか、「リーインカーネーションを信じるの?」というような質問をされることが多かったのです。ちなみに僕は「神道」なので、そういうことは信じていません。

2年前にDVDで45年ぶりに鑑賞した感想は・・・ジェニファー・オニールが魅力的で、何とも言えないストーリー。でも、ラストには今回も納得出来ませんでした(笑)

 


1978年夏の“OS劇場”は熱かった!

2024-03-21 | 昭和の映画館

久しぶりにブログのカバー写真を代えてみました。と、言っても選んだのは大阪梅田にあった「OS劇場」。当時大阪一の大きなシネラマスクリーンを持つ劇場でした。指定席も常時備えた、他の劇場よりワンランク上に位置付けられた大劇場。前回は白黒写真でしたが、今回は別角度からのカラー写真です。

ただし、今回も前回と同じ時に撮った写真なので、上映している映画も同じ「スター・ウォーズ」で昭和53年(1978年)7月24日の写真です。

こちらが前回のカバー写真につかっていたもの。

夏の暑い日に、と言っても今ほど暑く感じない昭和の夏の、スター・ウォーズに熱かった青春の1ページです。今の梅田とこの頃の梅田・・・比較にならないくらい、70年代の梅田が僕は大好きです。

最後に・・僕は春の選抜甲子園を楽しんでいますが、今日の広陵=高知の試合で、広陵が攻撃時に「炎のファイター」の曲を演奏しているのが嬉しかった。演奏している高校生、聴いている観客の中には、それがアントニオ猪木のテーマ曲だと知らない人もいるとしても。


これだけで「英語」が話せました!

2024-03-20 | 本は友達・読書も大切です!

英会話。今も昔も英語を学ぶ場所や機会は山ほどあるのですが、英語ペラペラという人を僕は多く見ません。英語が話せる日本人よりも、日本語が話せる外国人の方が、実際に多いのではないでしょうか?

僕は40年以上前の大学時代に、英検1級。社会人になって転職の折にTOEIC990を取りました。「英語が話せるようになりたい」と子供の頃に思い、「英語を使う仕事に就きたい」と学生時代に目標を定め、その結果、英語が話せるようになってから、どの程度の実力なのかを測る為に資格試験を受けただけ。試験が目標ではありませんでしたので、試験勉強をしたことがありません。英検やTOEICの過去問も予想問題もやったことがありませんでした。

僕は英語を道具として使う為に学びました。でも、大勢の人は学問として英語を学んでいる気がします。これがTOEIC高得点の人でも、話せない、ネイティブと会話が出来ない理由かもと思うことがあります。僕は映画や洋楽を理解出来るようになりたい、外国人と友達になりたいが目標だったので、英語は独学で、教材は自分の興味があるものでした。試験問題や受験参考書のように、興味も面白味もない英語の文字の羅列を読むような、続かないことはそもそもしませんでした。興味がある、何時間でも出来る飽きない楽しいものを教材に使いました。

この本は今も持っています。僕の学生時代にお世話になった本だからです。紀伊国屋さんで買ったもので、ペーパーバックではありますが、よくあるそれとは違います。

映画「天国から来たチャンピオン」の全ストーリーが写真を使った漫画のようになっています。だから、セリフが全て英語で書かれていて、退屈な状況描写のようなものは皆無。映画のセリフ、今ならDVDからいくらでも読めますが、40年も前にはそんな気の利いたものは存在しませんでした。

この映画が好きな方なら、映画のどのシーンかくらいはすぐにお判りでしょう。そして、どういう話をしているのかも。だから英語も分かりやすい。分からない単語は分からないものとして、適当に飛ばしても何を言っているのかは分かります。慣れてくると「多分、こういう意味の単語だろう」とメモしておいて、後で調べて「ビンゴ!」と喜んだことも多々ありました。

電車の中や人待ちの喫茶店で何度も眺めて、普通の会話を自然と覚えて行きました。すると、この本で覚えた英語のセリフを使ったり、一部の単語を入れ替えて使ったりして英会話が苦も無く可能になりました。こういう映画の本を数冊ローテーションして、いつも目を通すだけで、しっかり英語が頭の中に入ったのです。

分からない所は、日曜洋画劇場でこの「天国から来たチャンピオン」の放送(日本語吹替)を録画したビデオを取り出して、日本語のセリフを聞いて、なるほどそういうことかと学びました。現在であれば、DVDの英語字幕と吹替音声が入った安価なDVDで簡単に出来る作業です。昔は苦労して見つけた書籍と、タイミングよく放送されたから録画出来たビデオ。この2つが無いと出来ない作業でしたが。

昔は名作と言われる洋画を観るには、2番館や3番館でのリバイバルを探して足を運ぶ。テレビで深夜枠に至るまで放送予定を調べ、そしてその時間にTVの前に座る。又は、高価なビデオデッキをアルバイトで貯めたお金で買って録画する。時代の流れで登場したレンタルビデオ屋に行く。こういうお金も情報も足も使う努力をしてこそ、映画通になれました。今では自宅でネットを使うだけで、相当な映画作品を今すぐにでも観ることが出来るし、安価にDVDを家にいるだけで翌日には入手可能です。

しかし、昔に比べて今の若者はそんなに多くの映画を観ていないし、映画通も随分減ったと思います。映画専門誌もかなり消えてしまいました。いつでも観れるは、滅多に見ない!に繫がるのでしょう。観る機会がなかったからこそ、僕は夢中になれたのかも知れません。

英語を学ぶ機会も、習える場所も増え、いつでも学べる環境は山ほどあり、英語の必要性も分かっているのに学ばない人が多いのは、レンタルビデオさえ無かった時代と、サブスクでいつでも観れる環境のある現在との違いと同じなのかも知れません。モノが溢れて当たり前になり、その価値を見失うのかも知れません。通訳ソフトがスマホのアプリに入っていて、それが使える優れものになって来たので、英会話はスマホを使って何とでもなると考える後輩を随分見ますが、彼らはネイティブとプライベートな楽しい会話をしているのではなく、単に連絡事項を伝え合えるだけ。しかもスマホが無ければ何も出来ません。

僕はジェームズ・ボンドのように英語を話し、美しい金髪の外国人美女ともいつかはお付き合いしてみたい・・・そんな考えで頑張ったから英語が身に付いたのかも(笑)その夢は勿論叶いました。TOEICスコアが高くても何も起きませんが、英語で本当に思うことを自由に話せたら、どこに行ってもストレスを感じないし、外国人の輪の中で、楽しい経験を沢山積むことが出来ました。

英語を道具として使い、自分の考えを伝えることが出来る若者が増えてほしい。知識を集めるだけで終わっては駄目です。そういう方向に学校での英語教育も替えてもらいたいのですが、海外に行ったことも無ければ、外国人の友達の1人もいないような英語教師ばかりだから、正直無理なのは分かっています。しかも、知識しか教えることが出来ない「なんちゃって」講師も世の中には溢れかえっていますから、お金を使ったからと言って話せるようになるとの保証もありません。だからこそ、英語を学びたい人には頑張ってほしい。本当に英語がモノになれば、このご時世、高い報酬だって手に出来るし、世界がこれだけ狭くなったのですから、海外での生活だってエンジョイ出来るからです!

 


スポーツは地上波を大切にしろ!

2024-03-18 | 今を考える

急な寒さの戻りがあり、春来た?という雰囲気の大阪です。今日思いついた事を独り言として、一気にしゃべります(笑)

春の選抜が始まりました。新規格のバット導入で、打撃の音が随分変わりました。強豪校の中から頂点に立つのはどこか?2週間楽しませて貰えます。若い力が躍動するスポーツはいい!
 
今日~明後日の大リーグ開幕戦の大谷選手の2試合は、民放でも放送されます。ネットの有料放送、WOWOW等の有料チャンネルでの放送では、観戦する人が限られます。やっぱり地上波で放送しないと、多くの人に目に触れず、結果、メジャー競技として長く続かない。有料放送による収益化は結構なのですが、多くのチャネルが数少ないコンテンツを奪い合うので、我々視聴者にすれば「もういいや」と思ってしまう。ゴルフの4大メジャーを観ようと思えば、どこと一体いくつ契約すれば良いのかも、毎年変わるからもう面倒!そうやってゴルフが目に触れなくなり、今や完全マイナー競技です。ジャンボ尾崎や青木功、松山&石川時代の賑わいはもう戻って来ません。松山がマスターズ、渋野が全英女子と日本人がメジャーを制しても、この程度?という盛り上がりでした。青木が全米オープン2位の時の方が、日本中が沸きました。
 
大人気の大谷選手にしても、日本のマスコミは大谷の奥さんの報道ばかり。スポーツ選手の奥さんを追い掛け回す・・タブロイド紙のすることです。それなら3発もミサイル打った北朝鮮に、政府はどういう対応をすべきであるとかの報道特集をすべき!日本は朝鮮半島に対して甘い!韓国もホワイト国から除外すべきです。韓国や中国の為に動いている政治家は全員辞めるべきです。トランプさんを見習えとは言えませんが、「ジャパン・ファースト」と胸を張れる政治家はいないのでしょうか?
 
「2月中旬はコロナのピークで死者も結構出ていた。なのにコロナが終わったつもりの人が多過ぎ!うちに来た人でコロナ陽性の人はみんな言う・・まだコロナってあるんですか?」・・僕のかかりつけ医の話です。さすがにかかる人のほとんどが、対策を考えないどころか、コロナが完全に終わっていると思っている!これもマスコミに責任の一端はありそうです。
 
猪木元気工場(IGF)は本日18日、2月に横浜市で開催した「おかえりなさい、猪木さん~燃える闘魂・アントニオ猪木展」の収益の一部を1月に起きた能登半島地震の義援金として石川県の馳浩県知事に寄付しました。また、本日開幕した第96回選抜高等学校野球大会に出場する同県の星稜、日本航空石川にはアントニオ猪木語録のタオルを寄付しました。タオルには「道は険しくとも、笑いながら歩こうぜ」という猪木さんのメッセージがプリントされています。
 
 
写真左から力道山夫人の田中敬子氏、馳知事、猪木の弟・猪木啓介氏、猪木展プロデユーサーで能登町で被災した宇田川氏。
 
最近ブレイキングダウンの出場選手が悪事に手を染め、続々逮捕されていることが報道されていますが、(本物の)プロレスラーにそんな人はいなかった。強くて仕方がない人は、暴力に訴えません。相手が死ぬからです。弱いチンピラだから、それほでもない腕力を、すぐに弱い者虐めにひけらかせます。ボクシングの元世界王者竹原さんが、「弱いじゃん」とブレイキングダウンの選手に対してコメントされますが、確かに弱い人が多いのでしょう。心も体も。強い人は逮捕されるのではなく、そこから飛躍して行くでしょう。ブレイキングダウンは僕は認めていますが、この人は・・と思う人が出過ぎ。反社会的というか、普通の人が近づきたくない人で更生しない人に取り合っていると、ブレイキングダウンで成功するチャンスを失う若者が増えてしまうと考えます。
 
高校野球は今も地上波で春も夏も全試合見ることが出来ます。だから、すたれません!強くて仕方がない人が、プロとして大観衆を沸かせるプロレスが毎週テレビで楽しめた時代、土日の昼間にスーパーショットでギャラリーを沸かせたゴルフ中継が、スターを次々排出していた時代、毎晩のようにジャイアンツの試合が放送されていた昭和は、やっぱり良かった!
 

四ツ橋・電気科学館 ~プラネタリウム初体験

2024-03-17 | 昭和・懐かしい大阪の風景

大阪で子供の頃の、学校の社会見学と言えば・・・「大阪市立電気科学館」です。昔は四ツ橋駅前にありました。

東西に流れる長堀川と南北に流れる西横堀川が、交差するところに架かる四ツ橋。かつては大阪の名所の1つであったと聞きます。長堀川は昭和35年(1960年)から、西横堀川は昭和39年(1964年)から埋め立てが始まり、共に昭和46年(1971年)に完了した。この四ツ橋の北西にあったのが、大阪市立電気科学館。

昭和12年(1937年)3月に開館し、平成元年(1989年)に閉館、建物も取り壊されました。写真は昭和30年のものです。現在は中之島に大阪市立科学館として開業しています。

社会見学で何を覚えているかというと、プラネタリウム体験!ここは日本で初めて設置されたプラネタリウム(ドイツ製)が名物で、僕の人生初プラネタリムは、この時でした。ワクワクしました。このプラネタリウムには、少年時代の手塚治虫も足しげく通ったことで有名です。

その時のクラス写真。昔はイベントごとには写真屋さんが同行して写真撮影を行い、希望者に写真を販売していました。卒業アルバムを担当している写真館が、そういう役目を果たしていました。僕も、昔の風景写真を得るために、そういう所と連絡を取るのですが、当時の写真やネガは、もう60年も経っていることもあって、残念ながら保存されずに破棄されていることがほとんどです。