2014年 鳥来月 22日
今日は久しぶりに良い天気になった 横浜です
土曜日・・・・
朝から 忙しく・・・・
洗車をしていると のりこちゃんの両親がいらっしゃり
のりこちゃんは 美容院に行っていたので
お茶の用意をし
洗車の続きをして
のりこちゃんが帰宅してから 出発♪
行き先は・・・・

防災 船着場
と言う割には 見ていると隅田川を通る船の桟橋にもなっているようです
水に親しみ
水を身近に感じ
水の怖さも知る
と言うことは とても大切なことですね
川沿いに歩いていくと
勝鬨橋

このすぐ右の
つきじ 治作
さんで のりこちゃんの従姉妹の結婚式があり
お呼ばれしたのです

この写真は
治作さんのホームページからの転載で大きさがわかりませんので
同じく ホームページの 文章から大きさを想像してください・・・・
昭和六年(1931年)、つきじ治作は初代総料理長兼店主、本多次作により創業されました。
それまで各地で幾多の料理店を成功させ、
「戦前日本の割烹王」とまでいわれた本多次作が、
満を持しての東京進出でありました。
初代総料理長本多次作は、非常に豪快な人柄で、
慶び事、人を驚かせる事が大好きでした。
つきじの山水に見る事ができる巨大な石灯籠や輪塔は、
本多次作がその大きさに目を付け、各々が夫婦(めおと)になるよう各地から運ばせた物です。
中でも玄関脇の「吃驚土瓶(びっくりどびん)」は、創業当時、
土瓶で水たきを給していた事に由来し、
本多次作が信楽の窯元に焼かせた物だといわれており、
搬入の際、新聞に乗るほどの大騒ぎになったと記録されております。
吃驚土瓶は、現在でもつきじ治作のシンボルとしてお客様にお喜び頂いております。
大きさ 判りました??
近くにある スカイツリーと肩を並べる・・・・
わけはないのですが
僕の背より大きな
びっくりどびん
です
なんでも 岩崎弥太郎さんの別邸だったそうで
板敷きのところがありません・・・・
廊下 階段? すべて畳敷き
当然 結婚式は和装
最近 和装の花嫁さんを見かけないので
とても新鮮でした
ヤッパリ 着物素敵ですね~
帰りに のりこちゃんの妹さんを送りがてら
スカイツリーの周りを車で回り 見学
同じ隅田川沿いなのに随分距離がありました
海に注ぐ河口付近なので
隅田川といってもかなり入り組んでいるんですね
今日は久しぶりに良い天気になった 横浜です
土曜日・・・・
朝から 忙しく・・・・
洗車をしていると のりこちゃんの両親がいらっしゃり
のりこちゃんは 美容院に行っていたので
お茶の用意をし
洗車の続きをして
のりこちゃんが帰宅してから 出発♪
行き先は・・・・

防災 船着場
と言う割には 見ていると隅田川を通る船の桟橋にもなっているようです
水に親しみ
水を身近に感じ
水の怖さも知る
と言うことは とても大切なことですね
川沿いに歩いていくと
勝鬨橋

このすぐ右の
つきじ 治作
さんで のりこちゃんの従姉妹の結婚式があり
お呼ばれしたのです

この写真は
治作さんのホームページからの転載で大きさがわかりませんので
同じく ホームページの 文章から大きさを想像してください・・・・
昭和六年(1931年)、つきじ治作は初代総料理長兼店主、本多次作により創業されました。
それまで各地で幾多の料理店を成功させ、
「戦前日本の割烹王」とまでいわれた本多次作が、
満を持しての東京進出でありました。
初代総料理長本多次作は、非常に豪快な人柄で、
慶び事、人を驚かせる事が大好きでした。
つきじの山水に見る事ができる巨大な石灯籠や輪塔は、
本多次作がその大きさに目を付け、各々が夫婦(めおと)になるよう各地から運ばせた物です。
中でも玄関脇の「吃驚土瓶(びっくりどびん)」は、創業当時、
土瓶で水たきを給していた事に由来し、
本多次作が信楽の窯元に焼かせた物だといわれており、
搬入の際、新聞に乗るほどの大騒ぎになったと記録されております。
吃驚土瓶は、現在でもつきじ治作のシンボルとしてお客様にお喜び頂いております。
大きさ 判りました??
近くにある スカイツリーと肩を並べる・・・・
わけはないのですが
僕の背より大きな
びっくりどびん
です
なんでも 岩崎弥太郎さんの別邸だったそうで
板敷きのところがありません・・・・
廊下 階段? すべて畳敷き
当然 結婚式は和装
最近 和装の花嫁さんを見かけないので
とても新鮮でした
ヤッパリ 着物素敵ですね~
帰りに のりこちゃんの妹さんを送りがてら
スカイツリーの周りを車で回り 見学
同じ隅田川沿いなのに随分距離がありました
海に注ぐ河口付近なので
隅田川といってもかなり入り組んでいるんですね