Dalla Cucina

イタリアの旅の記憶を中心に
あれこれ書いています。

アッチデンティーな物語☆長かったイタリアへの道・・・

2011-10-27 01:16:00 | ☆イタリア 記憶の風景


 ↑ホテルからの眺め。
 どこまでも青い海、小島を行きかう船を眺めつつ、あと1週間いてもいいね、
 などと言っていた私たちでしたが・・・


 早くその先を・・・と更新を待っていてくださった皆様、
 本当に長く間があいてしまいましたね。ase2
 私たちの珍道中の一日はいよいよ、というか やっとイタリアのトリエステに
 到着したところからでした。
 例によって ピンボケ写真を織り込んで話を進めてまいります。




 待っていた電車に乗り込んだ私たち、
 これでヴェネツィア(メストレ)に着けば、あとはヴェローナに行くのは簡単、
 むしろ船でバーリに帰って1泊し、飛行機と電車で行く元のルートより
 早く到着するはずです。
 でも、ローマの飛行場から日本へ帰る友人は時間との闘いでした。




 ザグレブの駅でクロアチアの通貨 クーナを使い果たしたときに買った
 夜食用のパニーノをまだ手元に持っていた彼女、
 不安でとても喉を通らない様子でした。
 「早く走って!」と願う私たちでしたが、この電車は遅れ気味、
 臨時列車だからか、変なところで停まって動かないときがありました。




 彼女はヴェネツィアの空港からローマをめざすことも考えていましたが、
 それは多分無理。
 やはりメストレから一番早いユーロスターに乗ってローマに行き、
 本来ならローマテルミニ駅から空港行の電車に乗るべきを
 タクシーで飛ばしてもらう・・・のが確実。  
 でも左に見えているアドリア海は弓なりになった陸地を遠くに見ながら、
 ずっと見えている感じがしました。



 ようやくヴェネツィア、メストレに着いたのろのろ電車、
 予定していたユーロスターはなんと定時に発車したあとでした。

 ショーペロだ、なんだかんだって言っておいて どうしてよりによって
 乗りたいユーロスターがちゃんと定時出発するのよ!

 この日もショーペロの影響で電車は全部が動いてはいませんでした。



 鉄道案内所に飛びこんで、急いで次のユーロスターを手配したものの
 飛行機の搭乗時刻にはとても間にあいそうにはありません。
 こんな事情を話してなんとか待ってくれませんか、と アリタリアに電話を
 かける友人。
 電波事情が悪く音声がとぎれたり、オペレーターがその都度変わったり、
 無理を聞いてもらえなかったり、と何度もかけるケイタイの電池はなくなりそうです。



 私のケイタイからも何度も書け直し、ついに彼女はイタリア語で話すことが
 パニックになりそうだから代わりに話して、と言いました。
 もちろん日本語の話せるオペレーターをとお願いしても「ここにはいません」
 と返ってくるのです。
 不安でいっぱいの友人に代わり、一度だけ電話をしましたが、
 「とにかく来てください、飛行機は待てないのが基本です」との答え。
 そりゃそうかも・・・
 しかし、話すのが苦手だから電話はどうも。。。なんて言っていられない
 ことも こうやって事実あるのです。



 次のユーロスターが到着し、彼女は一人で乗り込みました。
 ローマめざして・・・

 テルミニ駅からものすごいスピードでとばしてくれたタクシードライバーの
 おかげと、なぜかアリタリアの搭乗が遅れたおかげで、
 友人は予定の飛行機に乗れました。

 でも後日請求があったケイタイ料金にはたまげたそうです。
 
 一方、イタリアに残った私たちも無事に「アイーダ」を観ることができました。↑

 ドブロヴニクの山の上で
 「僕のマンマも明日 アイーダを観に行くんだ」とイタリアの若者が話していた
 ことを思い出します。
 あれからたった一日、でも私たちには すごく長かった一日でした。
 でもその明日に間に合ったのです。
 アレーナの簡易席で、初めての野外オペラに感動しながらも、
 体はまだどこか列車に揺られているようでした。

 これにて「アッチデンティ(しまった!)な物語」は完結です。
 たくさんの応援ありがとうございました。

 懲りずにクロアチアへも ショーペロもしょっちゅうのイタリアへも
 また行きたい私。
 
 これって「インクレディービレ!」”信じられない!”?
 

 
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最高の歓びの日☆結婚式

2011-10-16 02:25:00 | ☆素敵なこと

 
 イタリア関連ではないのですが・・・

 10月15日は我が息子の結婚式でした。
 
 

    heart  heart  heart  heart  heart  heart  heart

   ありがとう。

   学生時代のあなたの友人たちに久しぶりに会って、
   皆 大人になったなあと うれしくて涙がでたのが今日のはじまりでした。

   笑顔が一番似合うあなたですが、
   嬉しいとき なぜか泣き虫になるのは親に似たのかもしれません。

   愛する人と永久の愛の誓いをたてるとき、
   友人からの祝福を受けるとき、
   親をエスコートするとき、

   泣き虫が何度も顔を出しました。

   そして

   やっぱり最高だと思うのは あなたの笑顔です。
   私がひそかに「あられちゃん」そっくりだと思っているその笑顔は
   今日 ぴかぴかに輝いていました。

   
   泣いたり笑ったり 忙しかったけれど

   本当に最高の一日でした。

   おめでとう。

 
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アッチデンティーな物語☆長い長い夜

2011-10-11 01:26:00 | ☆イタリア 記憶の風景


 ↑はドブロヴニク、城壁の崖にある人気BAR。
 突き出た崖のその先では 青い海にむかってダイビングをする若者たち。
 中にはへっぴり腰で、何度も引き返す気弱な若者もいて
 それを叱咤激励するBARのお客や、観光船の人々で賑わっていました。

 

 と、前日まではこんな優雅な気分を味わっていた私たち。
 一夜明けてまたもう一夜が過ぎるその頃、
 Veneziaをめざした列車の中ではえらいことになっていたのです。

 この先の写真は当然ながら無く、想い出いっぱいのドブロヴニクの写真を
 順不同に織り交ぜながら 話を続けてまいります。



 さて、食堂車の人からこの電車の行き先を聞いてたまげた私と相棒は
 ひとまず自分たちの車両へと戻りました。
 「この電車はショーペロでVeneziaには行かない」
 という情報は 徐々に伝わっていたらしくざわめく車内。

 私たちと反対側の席には Veneziaへ行くというクロアチアのご夫婦がいました。
 幸い、英語で話してくださるので、クロアチア語で話す車掌さんの言葉を
 教えてもらったり、ずいぶんとお世話になりました。
 我々のグループには英語を勉強している友人もいて助かったのも事実。
 彼女が丁寧に感謝の言葉を語り、クロアチアのご夫婦は
 「よっしゃ、まかしとき! いざとなったら止まったところから
 タクシーを手配するさ」と 頼もしい限りです。



 車掌さんも、みんなから質問攻めです。
 これは国際列車だし、切符を売っているのだから、何とかなるよね?と
 言われても「さあ、わからない」と答えるばかり。

 「とにかくこの電車はイタリアには行かないのだ」と言うのです。

 窓の外は真っ暗。でも電車は走り続けています。
 「どうか このままVeneziaへ連れてって。でないと友人はローマから飛行機に
 乗れない!」

 だんだん口数が少なくなる友人、きっと心配で心がはりさけそうになって
 いたのでしょう。



 灯りが少し暗くなって 夜行列車特有の静けさが訪れたころ、
 後方車両から ダッダッという複数の足音が近づいてきました。

 パスポートコントロールのようです。
 でも 調べる人たちは軍服を着ているように見えました。
 腰には重そうなものを身につけています。
 え?ひょっとして武器?・・・
 アーミーカラーの彼らは背が高く、私の記憶の中では
 暗い緑色一色に包まれた 一シーンとして残っています。

 映画みたい・・・

 そして ひとつ国を超えたのだ、と実感しました。



 親切な隣の席のクロアチアのダンナさんが 何やら情報を得たようで
 私たちに言います。
 「この電車が次に止まったら、乗り換えるので荷物を用意しておくように」
 「ええっ、その先は?」
 「わからない。そして乗り換えた電車が止まったら、すぐ降りるように。
  私が合図するから。」
 とのこと。

 
 


 電車は走り続けています。
 いつ止まるのかわからない状態での睡眠はできるわけもなく、
 疲れだけがたまっていく、そんな感じでした。

 そして、何時間か過ぎたころ、キシ~ンとブレーキがかかり、
 電車は停車しました。
 「降りるぞ。早く!」とクロアチアダンナ。

 私たちの電車には、想像以上のたくさんの人が乗っていました。(びっくりするほど)

 彼は次の電車がどんなものか知っていたのかもしれませんが、
 「早く!」と促してくれたおかげで、コンパートメント車両の一室に
 無事に座ることができました。
 実はこの部屋には外国人男性(当たり前ですね)が先客で座っていて、
 アジア女性のグループが荷物ごと入り込んできたので、ずいぶんと驚いたようすでした。
 (次の停車まで無言で固まっていました。)
 入口のカーテンを閉めて、ほぼ真っ暗な中で次の停車まで待機です。

 
 


 乗り換えに手間取った人々が廊下を荷物を持って行きかう物音が
 長い間聞こえていました。
 乗り換えた電車は たぶん車両が少なかったのでしょう。
 廊下にも人があふれ、荷物で通路は塞がれ、クロアチアのご夫婦とも
 離れ離れになってしまいました。

 でも 乗り換えるとき
「次に降りるときまた合図できたらするね。チャオ!」と言ったクロアチアダンナ。
「チャオ」はもはや、世界共通語になっているのですね。

 コンパートメント席では、さすがにうとうととしてしまいましたが、
 何時間かの夢うつつをまたしてもブレーキのきしむ音が打消しました。

 電車を降りなければなりません。
 こんなにも人が乗っていたのかとびっくりしながら、どこだかわからない
 小さな駅に降り立った私たちを待っていたのは何と2台のバスでした。
 たった2台では当然全員が乗れるわけはありません。
 「とにかく乗って」というバスの人に、このバスはどこへ行くのかと聞いたら
 「トリエステ」という答えが返ってきました。

 トリエステはイタリアの街。
 ということは、このバスでイタリアへ入れるということ!

 積み残しの人もいたけれど、30分ほどバスに揺られて着いた「トリエステ」。
 夜明けの紫色に染まった坂の街は、どこか淋しげに見えました。

 バスを降り、人の流れに沿って行くと、そこは駅でした。
 Venezia行きの電車が私たちを待っていて、みんながそれに乗り込みます。

 「よかったね」とはいえません。
 だってVeneziaは まだまだ先なのです。

 なので、次回へまだ続きます。
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アッチデンティな物語☆Veneziaめざして・・・

2011-10-03 00:03:00 | ☆イタリア 記憶の風景


 ↑ この写真がこの旅での一番傑作だと思っていたのに
 やはりピンボケでした!
 がっくり、の一枚です。でも大好き!kirakira2

 例により、写真は順不同ですが 話を進めて参りますね。



 ↑クロアチア上空。
 きれいな夕日が見られてひととき幸せな時間を過ごしました。

 なんとかドブロヴニク空港へ着いた私たち。
 「すぐ着くよ」とタクシードライバーは言ったけれど
 途中 工事だかなんだか渋滞もあり決して「すぐ」ではなかったと感じたのは
 やはりかなり気がせいていたのでしょう。

 でもカウンターではインフォのお姉さんたちの連絡のおかげで
 とてもスムーズに手続きができました。
 このとき思ったのは「どこでも飛行機の手配はできる」ということ。
 イタリアばっかり行っている私は、よその国に行くのが
 少し不安になっていたところがありました。
 この思いがけない経験で「世界の空はつながっている」安心感を得ました。
 ただし、お金と英語が必要。




 飛行機は遅れていました。
 搭乗口には「こんなに乗るのか」と思うほどたくさんの人であふれています。
 中には前日のサマーフェスティバルの司会をしていたひときわオーラのある男性
 (たぶん有名人?とりまきもいっぱい)の姿も見えます。



 そのざわめきの中、どうしても予約したローマからの飛行機に乗らなければ
 ならない友人はひとり皆と離れ、静かな場所でアリタリアに電話をしていました。
 
 時刻を計算すると、予定のフライトに間に合わない可能性があったのです。
 格安航空券が変更不可だったというのもあるけれど、乗り遅れること自体
 仕事にさしつかえるからです。
 長い電話は電池が心配です。案の定彼女のケイタイの電池はずいぶん減っていました。



 飛行機はかなり遅れました。
 しばし機上からクロアチアの空と海と大地を眺めたあと到着。
 ザグレブの空港から鉄道駅までまたタクシーに乗ります。
 何時ごろだったか、あたりは真っ暗、
 ザグレブ駅もたぶんすごく大きくて風格があるのだろうけれど、
 この前の日本の節電状態よりもっともっと暗いのです。
(その後テレビで見たザグレブは素敵な街でしたが。)


 


 ↑ザグレブ駅構内。このホームで深夜の電車を待ちました。

 窓口でヴェネツィアまでの切符を買い 一安心した私たち。
 朝にはイタリアです。
 もう クロアチアの通貨「クーナ」を使うことはないだろうと、
 残ったクーナを集めて夜食用のサンドイッチや、なんとクロアチアの
 ビールまで買ってほとんど全部使ってしまいました。
 残しておいてよかったでしょ?腹が減っては戦はできぬ!なあんてね。

 と 思ったのが浅はかでした。
 ビールを飲んだ結果、行きたくなった駅のトイレは有料で 入ったところに
 体の大きい怖い感じの女性が座っていて「一人○○クーナ」と
 クロアチア語(たぶん)で言うのです。

 「クーナはこれだけしかないからお願い」ちゃり~ん。
 「NO!」(Noは万国共通なようです)
 ますます怖い顔になった彼女、仁王立ちして私たちの前に立ちふさがります。
 
 もう最後の手段。
「ユーロではどう?」
「あらあ、ユーロなら大歓迎よ。どうぞどうぞ、ゆっくりしてってね。」
 (と クロアチア語で言ったと思う)

 お金とるならもっときれいに掃除しておいてね、と言いたかったけれど、
 何が起こるかわからない外国では その国を出るまでは いくらかの通貨を
 残しておくべきだったと深く反省。


 



 ↑クロアチアカラーの電車。

 深夜、ヴェネツィア行の夜行列車が到着。 ほっ・・・
 自由席だった私たちの車両はかなり混んでいました。

 ほとんどの人がヴェネツィア観光に行くようす。
 しばらくして 相棒が「この電車に寝台車両があるなら席を移ろうか。前方の車両に
 見えた気がする」「賛成!車掌さんを探しに行こう」

 そして相棒と私は前方の車両へと進みました。
 お客のない暗い食堂車両を通り抜けて、その先へ進もうとしたとき、
 食堂の制服を着た人が 声をかけてきました。

 「メイ アイ ヘルプ ユー?」 おっ、久しぶりの英語だあ。
 でもその後、彼と何語で話したか記憶にないのですが・・・

 「車掌さんを探しているんです。寝台車両に移りたくて・・・」
 「この電車に寝台車両はないよ。どこまで行くの?」
 「終点のヴェネツィア」
 「この電車はヴェネツィアには行かないよ。知らないの?
  イタリアは今日鉄道のショーペロ(ストライキ)なんだよ。
  だからこの電車は国境まで行ったら引き返すのさ。」
 「そんなあ!どこへ引き返すっていうの?!」
 「ハンガリーのブダペスト。」

 そ、そんなことってあり?
 世界地図が頭の中を駆け巡った瞬間でした。

 次回に続きます。




 
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