10月25日(金)、空模様を気にしながら久しぶりに出かけました。
このところ天気がぐずつき気味 以下の画像は10月25日に撮影
コロナ禍が続き踊る団体が減ったこともあり、ここ数年撮影していませんでした。
津貫豊祭(つぬきほぜ)太鼓踊りは例年10月27日に、南さつま市加世田津貫の天御中主(あめのみなかぬし)神社に奉納されています。今年は選挙投票日と重なり日程変更のようでした。
少しぬかるんだ境内 砂を入れて補修
予報は曇り時々雨ですが、雨雲はまだ陸地にかかっておらずギリギリ降らずにすみそうでした。
南さつま交流センターにいななまる(270号線沿い)に車を止め、神社まで400m程度を歩きました。神社境内は祭り関係者の車が殆どのため、午後の踊りが終わるまで車が出しにくいので要注意です。
津貫小学校は閉校していた
県内各地で子供が少なくなり、小中学校の統廃合が進んでいます。今日は加世田中学校の1年生が団体で見学に訪れていました。
かつては中間(なかま)、干河(ひご)、上門(うえんかど)の3団体が踊っていましたが、コロナ禍も影響して1団体だけの時もあったようです。
鹿児島県指定無形民俗文化財 津貫豊祭太鼓踊
少し長くなりますが、鹿児島県のページから一部を引用して紹介します。
踊り手は総員20 名で 太鼓打ちの青年 (ヒラ)16 名 、中打ちの少年 (カネと小太鼓)、歌あげの老人数名が,それぞれ男神・女神・老神をあらわす。大太鼓の青年たちは,白装束に白いはちまき(昔は植物のカズラであったという)をし,孔雀や山鳥の羽根や造花で飾った矢旗を背負う。
また中打ちの少年たちは女物の衣裳をつけ造花の花かんむりをする。歌あげの老人たちは,紋付の羽織を着て細長い白いシベを下げた菅笠をかぶって歌に合わせ,青年の踊り手が円陣をつくり,太鼓やカネの連打で勇壮にリズミカルに踊る。(引用終わり)
中間保存会 ミッキが始まった
社殿での神事終了後、鹿児島県内の太鼓踊りでは珍しい「ミッキ」が始まりました。ミッキは「道切り」を意味する準備運動やデモンストレーションのようなものです。
若者が刻むカネのリズムに合わせて、太鼓打ちが輪になって5分間ほど掛け声とともに太鼓を打ち、踊りの機運を盛り上げます。
干河保存会のミッキ 外からは見えないほどの大人気
前回訪れた2019年には動画記録のボタンを押し忘れる大失敗で全く記録できませんでした。一脚に乗せたカメラを頭上高く持ち上げていたため、ミスに気付かず間抜けなことでした。
太鼓踊りは踊りの動きや衣装などの美しさもありますが、カネ太鼓の刻む音とリズムが心地良いものです。動画記録機能のある一眼レフカメラをお持ちの方には、一度は試してほしいものです。
以下4枚は2013年10月27日のミッキの様子
帯をきつく締めて さあ踊るぞ
これまでに数回撮影したことがあり、見覚えのある踊り子さんの姿もありました。今日は動画中心に記録し、三脚横に留まったので踊りの変化や周辺の様子などは殆ど記録できませんでした。
10時20分頃から中間(なかま)と干河(ひご)の順に踊り、前庭(まえにわ 午前の部)は11時35分頃に終わりました。昼食休憩後には後庭(あとにわ 午後の部)が踊られる予定です。
生憎と小雨が降り始めたこともあり、ここで神社を後にしました。夕方まで地区内各地で踊りが披露される予定です。
久しぶりにあでやかな衣装で息の合った踊りを拝見しました。小雨も降り出す中で、皆さまお疲れ様でした。ありがとうございました。
2019年に訪れた津貫豊祭太鼓踊りのブログはこちらからご覧ください。
この後は南九州市川辺町の大久保集落のヒマワリを探しに行きました。
このところ天気がぐずつき気味 以下の画像は10月25日に撮影
コロナ禍が続き踊る団体が減ったこともあり、ここ数年撮影していませんでした。
津貫豊祭(つぬきほぜ)太鼓踊りは例年10月27日に、南さつま市加世田津貫の天御中主(あめのみなかぬし)神社に奉納されています。今年は選挙投票日と重なり日程変更のようでした。
少しぬかるんだ境内 砂を入れて補修
予報は曇り時々雨ですが、雨雲はまだ陸地にかかっておらずギリギリ降らずにすみそうでした。
南さつま交流センターにいななまる(270号線沿い)に車を止め、神社まで400m程度を歩きました。神社境内は祭り関係者の車が殆どのため、午後の踊りが終わるまで車が出しにくいので要注意です。
津貫小学校は閉校していた
県内各地で子供が少なくなり、小中学校の統廃合が進んでいます。今日は加世田中学校の1年生が団体で見学に訪れていました。
かつては中間(なかま)、干河(ひご)、上門(うえんかど)の3団体が踊っていましたが、コロナ禍も影響して1団体だけの時もあったようです。
鹿児島県指定無形民俗文化財 津貫豊祭太鼓踊
少し長くなりますが、鹿児島県のページから一部を引用して紹介します。
踊り手は総員20 名で 太鼓打ちの青年 (ヒラ)16 名 、中打ちの少年 (カネと小太鼓)、歌あげの老人数名が,それぞれ男神・女神・老神をあらわす。大太鼓の青年たちは,白装束に白いはちまき(昔は植物のカズラであったという)をし,孔雀や山鳥の羽根や造花で飾った矢旗を背負う。
また中打ちの少年たちは女物の衣裳をつけ造花の花かんむりをする。歌あげの老人たちは,紋付の羽織を着て細長い白いシベを下げた菅笠をかぶって歌に合わせ,青年の踊り手が円陣をつくり,太鼓やカネの連打で勇壮にリズミカルに踊る。(引用終わり)
中間保存会 ミッキが始まった
社殿での神事終了後、鹿児島県内の太鼓踊りでは珍しい「ミッキ」が始まりました。ミッキは「道切り」を意味する準備運動やデモンストレーションのようなものです。
若者が刻むカネのリズムに合わせて、太鼓打ちが輪になって5分間ほど掛け声とともに太鼓を打ち、踊りの機運を盛り上げます。
干河保存会のミッキ 外からは見えないほどの大人気
前回訪れた2019年には動画記録のボタンを押し忘れる大失敗で全く記録できませんでした。一脚に乗せたカメラを頭上高く持ち上げていたため、ミスに気付かず間抜けなことでした。
太鼓踊りは踊りの動きや衣装などの美しさもありますが、カネ太鼓の刻む音とリズムが心地良いものです。動画記録機能のある一眼レフカメラをお持ちの方には、一度は試してほしいものです。
以下4枚は2013年10月27日のミッキの様子
帯をきつく締めて さあ踊るぞ
これまでに数回撮影したことがあり、見覚えのある踊り子さんの姿もありました。今日は動画中心に記録し、三脚横に留まったので踊りの変化や周辺の様子などは殆ど記録できませんでした。
10時20分頃から中間(なかま)と干河(ひご)の順に踊り、前庭(まえにわ 午前の部)は11時35分頃に終わりました。昼食休憩後には後庭(あとにわ 午後の部)が踊られる予定です。
生憎と小雨が降り始めたこともあり、ここで神社を後にしました。夕方まで地区内各地で踊りが披露される予定です。
久しぶりにあでやかな衣装で息の合った踊りを拝見しました。小雨も降り出す中で、皆さまお疲れ様でした。ありがとうございました。
2019年に訪れた津貫豊祭太鼓踊りのブログはこちらからご覧ください。
この後は南九州市川辺町の大久保集落のヒマワリを探しに行きました。
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