4月16日、約3週間のひとり旅から無事帰国した。今回はイスラエルやウズベキスタン等外務省の海外安全情報からいうと危険情報が出ている国々への旅行であったが、実際に行ってみるとそのような雰囲気はかけらもないことがよくわかる。
日本人の観光客はそういった情報に過敏に反応して、旅行を取り止めたりしているとも思われる。安全な国への海外旅行なんてありえないし、日本だって、強盗や殺人事件も連日のように報道されている。海外に出るということは、当然、より一層の警戒心は必要になるが、過剰になることはないと思う。
自分自身、海外の空港や駅にたむろしているタクシーの運転手は全員悪質なドライバーとの性悪説に立って、人相から人となりをも判断する癖がついているが、悲しいことである。夜中に出歩いたり、危ない夜の繁華街に行くなら、危ない目に会うかも知れないが、それは、東京や日本の各都市とていっしょである。
エルサレムだって、日本人はあまり見かけなかったが、世界中からの観光客で溢れ返っていたし、それだけ観光地として魅力があるということである。日本人もキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地をもっと自分の目で見たほうがいいし、目にする価値は十分あるといえる。
自分自身、2010年のお釈迦様の生誕地、ルンビニ(ネパール)に続き、今回、イエス・キリストの生誕地、パレスチナを訪れることができたことは大変感慨深いものがある。
今回の旅行で99か国まで来たが、記念すべき100か国目は、10月頃、世界遺産人気NO.1のマチュピチュのペルーを選び、頂点をめざすことにしている。 その後は、もう年なので、未知の国にこだわらず、行ったことのない都市や世界遺産やもう一度行ってみたいところ等を中心に旅を続けていきたいと考えている。
昨年パラオに行った時に気に入って買ったTシャツに書かれた”NO JOURNEY NO LIFE“の言葉が自分の旅行人生を物語っている。まさに、旅のない人生なんて。。。観光という言葉は、光(文化)を観ることであり、今後も世界中の文化に触れる刺激や楽しみを持ち続けたい。
14日は、ビシュケクの街は特に見どころがないのと雪降る寒さのため、1-2時間街中を散策しただけで、アルマティに少し早めに戻ることにした。
ミニバスの乗り方も1回経験しているので、だいぶ要領を得てきた。バスターミナルを11時30分に満席(18人)で出発したが、隣に座ったのが、はるな愛似の可愛いおねえちゃんで、全く言葉が通じないが、親切にも出入国手続き中、ずうっと付き添ってくれた。ジェスチャーだけでもいろいろ会話ができるものである。彼女はアルマティに住んでいるらしく、ドゥンガだと言う。ドゥンガの意味がわからないが、韓国人かと勝手に解釈した。ロシア語だと思うが,意味が分かる人いたら教えてください。
道中5時間の長旅の中、ジェスチャーだけの会話であったが、親切な気持ちは言葉が通じなくてもよく伝わってきた。丸顔ではるな愛によく似ているので、妙に親しみを感じていた。ちょうどのり巻のお煎餅があったので、あげたらとても美味しいと言ってくれた。
国境での出入国手続きは昨日よりは混んでいなかったが、カザフスタン側の入国審査官はなんと昨日の出国の時の審査官と同じ人であった。係員は10人位いたと思うが、偶然にも同じ人にあたるとは不思議なものである。日本人などほとんどいないので、向こうもすぐ気付いたようで、手を振って挨拶した。もちろん、入国審査は極めてスムーズであった。
アルマティでの最後の晩餐は、予定通り、昨日ママにお会いした日本食レストラン「かぶと」にした。これでアルマティでの夕食は3回ともこのお店になったが、ママさんがお店に連絡を入れてくれて、ビール代はサービスにしてくれた。今日は、なす焼きと餃子とカツ丼を食べたが、値段は1800円位であった。海外での日本食は、お茶が無料なところも多く、どんぶり物を食べている限り、ローカルのレストランより安くつくので、愛好している。
イスラエル、ウズベキスタンには日本食レストランがなく、連日、ローカル食を食べていたが、ここにきて、ビシュケクでも日本食だったので、4日連続で日本食となり、だんだん帰国ムードになってきた。
明日は早朝に空港までタクシーで行って、トルコ航空のイスタンブール行きに乗り、できれば乗り継ぎでその日の夜の成田行きに乗りたいと思っている。乗継時間がかなりあるので、元気だったらイスタンブールの街中観光に出かけるかも知れない。
ミニバスの乗り方も1回経験しているので、だいぶ要領を得てきた。バスターミナルを11時30分に満席(18人)で出発したが、隣に座ったのが、はるな愛似の可愛いおねえちゃんで、全く言葉が通じないが、親切にも出入国手続き中、ずうっと付き添ってくれた。ジェスチャーだけでもいろいろ会話ができるものである。彼女はアルマティに住んでいるらしく、ドゥンガだと言う。ドゥンガの意味がわからないが、韓国人かと勝手に解釈した。ロシア語だと思うが,意味が分かる人いたら教えてください。
道中5時間の長旅の中、ジェスチャーだけの会話であったが、親切な気持ちは言葉が通じなくてもよく伝わってきた。丸顔ではるな愛によく似ているので、妙に親しみを感じていた。ちょうどのり巻のお煎餅があったので、あげたらとても美味しいと言ってくれた。
国境での出入国手続きは昨日よりは混んでいなかったが、カザフスタン側の入国審査官はなんと昨日の出国の時の審査官と同じ人であった。係員は10人位いたと思うが、偶然にも同じ人にあたるとは不思議なものである。日本人などほとんどいないので、向こうもすぐ気付いたようで、手を振って挨拶した。もちろん、入国審査は極めてスムーズであった。
アルマティでの最後の晩餐は、予定通り、昨日ママにお会いした日本食レストラン「かぶと」にした。これでアルマティでの夕食は3回ともこのお店になったが、ママさんがお店に連絡を入れてくれて、ビール代はサービスにしてくれた。今日は、なす焼きと餃子とカツ丼を食べたが、値段は1800円位であった。海外での日本食は、お茶が無料なところも多く、どんぶり物を食べている限り、ローカルのレストランより安くつくので、愛好している。
イスラエル、ウズベキスタンには日本食レストランがなく、連日、ローカル食を食べていたが、ここにきて、ビシュケクでも日本食だったので、4日連続で日本食となり、だんだん帰国ムードになってきた。
明日は早朝に空港までタクシーで行って、トルコ航空のイスタンブール行きに乗り、できれば乗り継ぎでその日の夜の成田行きに乗りたいと思っている。乗継時間がかなりあるので、元気だったらイスタンブールの街中観光に出かけるかも知れない。
13日にアルマティからミニバスに乗って国境を越え、約5時間かけて隣国のキルギスの首都ビシュケクに入った。これで、キルギスが99か国目の訪問国となり、ついに100か国制覇にあと一つとなった。
この国境越えの情報もあまりないまま、朝8時45分頃、サイラン・バスターミナルに行ったが、ビシュケク行きバスが満席になって出発したのが、9時半頃。地図で見ると近そうに見えたが、走り続けてもなかなか国境に届かないという印象で、不安が募る。国境に着いたのが12時ちょっと前で出国手続きのところは人だかりの山。出国には30分以上かかったが、キルギスへの入国手続きはスムーズであった。
一番不安だったのは、出入国手続き後に自分の乗ったバスが待っていてくれるかであった。一緒に乗っていた人達とは混雑の中、途中で全員を見失ったので、誰かの後をついていくことはできず、どこに行ったらいいのか不安なまま、外に出ると、先のドライバーの姿を見かけほっとした。しかし、何と乗客は自分ひとり。残りの人達はどこに消えたのか不思議に思いながら、一人だけで国境から1時間近くかけてやっとバスターミナルに到着したのがもう14時近かったと思う。言葉が通じないので、なぜ他の乗客は消えたのかわからずじまい。
バスターミナルから宿泊予定のゲストハウスまでのバスを探すのにも苦労した。114番のバスとわかっていたが、待っても全然来ない。それもそのはずで、114番は反対側の車線であった。バス利用にむずかしさは、バスの番号がわかっていても、両方向あるということ。バスにも手間取って宿に辿り着いたのは14時半すぎで、何と5時間はゆうにかかってしまった。
その間、両替し、トイレも探さなければならない。全く知らない土地で、言葉も全く通じない場合は、タクシーを使わず、バスを利用することはやはりちょっと冒険的すぎたかも知れない。
アルマティは若干雨模様で天気もあまりよくなかったが、すぐ隣りの国なので、同じような服装で出かけたが、何と寒波襲来とかで、ビシュケクはものすごく寒く、雪もちらついていた。数日前は暖かかったらしく、異常気象そのものといえる。1泊旅行なので、スーツケースはアルマティのホテルに預けてきたが、防寒具をホテルに置いてきてしまったのは残念であった。
ビシュケクでは、日本人が経営しているゲストハウスにお世話になったが、トイレ、シャワーは共用だが、部屋は個室で、何と1泊約1400円という安さである。情報収集のため、海外旅行の際、その街に日本人経営の宿があれば利用することも多い。値段も安いし、綺麗だし、日本語で情報もとれるので、安心感は抜群である。
また、ビシュケクに行ったら、行こうと思っていた日本食レストランが「咲顔(えがお)」である。このレストランは昨年開店したが、全く素人のシングルマザーによる開店顛末をテレビ東京が放映していたのを見ていたからである。その時は、キルギスに行く予定もなかったが、テレビでの印象も深かったので、メモしていた。 ところが、開店して3か月位してその女性は帰国してしまったとのことであるが、レストラン自体は日本人こそいないがまだやっているとのことで、13日の夜は、咲顔で夕食をとることにした。
時間が早かったこともあったが、お客は自分ひとり。どれも値段が安いのにビックリ。親子丼で500円位、カレーライスやラーメンやうどんや寿司もあり、大体揃っていたが、値段は日本よりちょっと安い感じであった。
食事中に二人の日本女性がテイクアウトのお寿司を取りに入ってきた。声をかけてみると、彼女達もアルマティから来ているとのことで、会話がはずんだが、話していてビックリしたことは、彼らは何とアルマティにある唯一の日本人経営の日本食レストラン「かぶと」のママさんとそのお嬢さんであった。
「かぶと」はアルマティで2日続けて夕食を食べたところで、事前にそのママさんとは電話で話をしていたが、初日は団体客で忙しくお会いできず、昨日は、キルギスに出かけているとのことでやはりお会いできなかったのである。
彼女のレストランもテレビ東京で紹介されたことがあり、咲顔も彼女がテレビ局に紹介したとのことであった。妙な繋がりがあるのに驚いた。
なぜキルギスに来ているのかと事情を訊けば、ビザ更新のために急遽キルギスに来て、新たなビザを取るのだという。明日も「かぶと」で日本食を食べる予定であったので、奇遇もいいところである。彼女もお会いできなかったことを申し訳ないと思っていたらしく、こんなところでお会いできるなんてとビックリしていた。「お互い赤い糸で結ばれていたのですね」と冗談まじりで会話がはずんだ。取りに来ただけなのに、15分以上も引き留めてしまった。
この国境越えの情報もあまりないまま、朝8時45分頃、サイラン・バスターミナルに行ったが、ビシュケク行きバスが満席になって出発したのが、9時半頃。地図で見ると近そうに見えたが、走り続けてもなかなか国境に届かないという印象で、不安が募る。国境に着いたのが12時ちょっと前で出国手続きのところは人だかりの山。出国には30分以上かかったが、キルギスへの入国手続きはスムーズであった。
一番不安だったのは、出入国手続き後に自分の乗ったバスが待っていてくれるかであった。一緒に乗っていた人達とは混雑の中、途中で全員を見失ったので、誰かの後をついていくことはできず、どこに行ったらいいのか不安なまま、外に出ると、先のドライバーの姿を見かけほっとした。しかし、何と乗客は自分ひとり。残りの人達はどこに消えたのか不思議に思いながら、一人だけで国境から1時間近くかけてやっとバスターミナルに到着したのがもう14時近かったと思う。言葉が通じないので、なぜ他の乗客は消えたのかわからずじまい。
バスターミナルから宿泊予定のゲストハウスまでのバスを探すのにも苦労した。114番のバスとわかっていたが、待っても全然来ない。それもそのはずで、114番は反対側の車線であった。バス利用にむずかしさは、バスの番号がわかっていても、両方向あるということ。バスにも手間取って宿に辿り着いたのは14時半すぎで、何と5時間はゆうにかかってしまった。
その間、両替し、トイレも探さなければならない。全く知らない土地で、言葉も全く通じない場合は、タクシーを使わず、バスを利用することはやはりちょっと冒険的すぎたかも知れない。
アルマティは若干雨模様で天気もあまりよくなかったが、すぐ隣りの国なので、同じような服装で出かけたが、何と寒波襲来とかで、ビシュケクはものすごく寒く、雪もちらついていた。数日前は暖かかったらしく、異常気象そのものといえる。1泊旅行なので、スーツケースはアルマティのホテルに預けてきたが、防寒具をホテルに置いてきてしまったのは残念であった。
ビシュケクでは、日本人が経営しているゲストハウスにお世話になったが、トイレ、シャワーは共用だが、部屋は個室で、何と1泊約1400円という安さである。情報収集のため、海外旅行の際、その街に日本人経営の宿があれば利用することも多い。値段も安いし、綺麗だし、日本語で情報もとれるので、安心感は抜群である。
また、ビシュケクに行ったら、行こうと思っていた日本食レストランが「咲顔(えがお)」である。このレストランは昨年開店したが、全く素人のシングルマザーによる開店顛末をテレビ東京が放映していたのを見ていたからである。その時は、キルギスに行く予定もなかったが、テレビでの印象も深かったので、メモしていた。 ところが、開店して3か月位してその女性は帰国してしまったとのことであるが、レストラン自体は日本人こそいないがまだやっているとのことで、13日の夜は、咲顔で夕食をとることにした。
時間が早かったこともあったが、お客は自分ひとり。どれも値段が安いのにビックリ。親子丼で500円位、カレーライスやラーメンやうどんや寿司もあり、大体揃っていたが、値段は日本よりちょっと安い感じであった。
食事中に二人の日本女性がテイクアウトのお寿司を取りに入ってきた。声をかけてみると、彼女達もアルマティから来ているとのことで、会話がはずんだが、話していてビックリしたことは、彼らは何とアルマティにある唯一の日本人経営の日本食レストラン「かぶと」のママさんとそのお嬢さんであった。
「かぶと」はアルマティで2日続けて夕食を食べたところで、事前にそのママさんとは電話で話をしていたが、初日は団体客で忙しくお会いできず、昨日は、キルギスに出かけているとのことでやはりお会いできなかったのである。
彼女のレストランもテレビ東京で紹介されたことがあり、咲顔も彼女がテレビ局に紹介したとのことであった。妙な繋がりがあるのに驚いた。
なぜキルギスに来ているのかと事情を訊けば、ビザ更新のために急遽キルギスに来て、新たなビザを取るのだという。明日も「かぶと」で日本食を食べる予定であったので、奇遇もいいところである。彼女もお会いできなかったことを申し訳ないと思っていたらしく、こんなところでお会いできるなんてとビックリしていた。「お互い赤い糸で結ばれていたのですね」と冗談まじりで会話がはずんだ。取りに来ただけなのに、15分以上も引き留めてしまった。
4月11日、エア・アスタナの飛行機(A321)でタシュケントからカザフスタンのアルマティに入った。これで、カザフスタンが98か国目の訪問国となり、100か国制覇まであと2か国となった。
機内の座席は最後部であったが、隣に40歳位の日本人っぽい女性が座っていて、話をしてみると、よく日本人に間違えられるという。モンゴル出身のカザフスタン人であったが、日本たばこ国際会社(JTI)のアルマティ事務所の女性マネジャーで、モスクワからの日本人ディレクターと一緒にタシュケント出張の帰りだという。彼は、モスクワへトランジットで乗り継ぐので、よかったら自分の車でホテルまで送ってあげると言われた。
海外では日本語で話かけてきて親切を装い悪さをする輩がいるので注意せよとよくガイドブックで手口が紹介されるので、一瞬警戒したものの、JTIのマネジャーで名刺もくれたことから、安心して彼女の親切に甘えることにした。どうやって空港からホテルまで行こうか迷っていたので、渡りに船であった。
彼女は二人の子供がいて、JTIでは各国(中央アジア、モンゴル)のタバコに関する法律関係業務を担当しているという。昨日は41歳の誕生日でお祝いの花束を友達からもらったと感激していた。また、49歳で亡くなった彼女の父親が生まれた年が小生と一緒であることから、感慨深いとも述べていた。日本が好きだし、年寄に親切にすることは自分にとっても大切であるとも言っていた。イギリスの大学を卒業したとのことで、英語での会話も大変スムーズであった。
このような出会いは一人旅の楽しみでもある。ホテルまで無事送ってくれて、日本に来たら歓迎すると伝え、感謝の意を伝えた。このドラマのような出来事も実際にありうるので、前にも日記で触れたが、飛行機の座席の隣に誰が座るかは楽しみの一つでもある。
アルマティの町は、タシュケントのイスラム的雰囲気とは異なり、アジアというよりは、むしろヨーロッパ的というか、ソ連的というか道も広く大都市の様相である。見るべきものもあまりないようであるが、明日は1日街中を歩いてみようと思っている。今回は、夕食に何を食べるか苦労していたが、やっと日本食レストランがある街に来たので、10日ぶりに日本食の外食となった。やはり、日本食が一番。
機内の座席は最後部であったが、隣に40歳位の日本人っぽい女性が座っていて、話をしてみると、よく日本人に間違えられるという。モンゴル出身のカザフスタン人であったが、日本たばこ国際会社(JTI)のアルマティ事務所の女性マネジャーで、モスクワからの日本人ディレクターと一緒にタシュケント出張の帰りだという。彼は、モスクワへトランジットで乗り継ぐので、よかったら自分の車でホテルまで送ってあげると言われた。
海外では日本語で話かけてきて親切を装い悪さをする輩がいるので注意せよとよくガイドブックで手口が紹介されるので、一瞬警戒したものの、JTIのマネジャーで名刺もくれたことから、安心して彼女の親切に甘えることにした。どうやって空港からホテルまで行こうか迷っていたので、渡りに船であった。
彼女は二人の子供がいて、JTIでは各国(中央アジア、モンゴル)のタバコに関する法律関係業務を担当しているという。昨日は41歳の誕生日でお祝いの花束を友達からもらったと感激していた。また、49歳で亡くなった彼女の父親が生まれた年が小生と一緒であることから、感慨深いとも述べていた。日本が好きだし、年寄に親切にすることは自分にとっても大切であるとも言っていた。イギリスの大学を卒業したとのことで、英語での会話も大変スムーズであった。
このような出会いは一人旅の楽しみでもある。ホテルまで無事送ってくれて、日本に来たら歓迎すると伝え、感謝の意を伝えた。このドラマのような出来事も実際にありうるので、前にも日記で触れたが、飛行機の座席の隣に誰が座るかは楽しみの一つでもある。
アルマティの町は、タシュケントのイスラム的雰囲気とは異なり、アジアというよりは、むしろヨーロッパ的というか、ソ連的というか道も広く大都市の様相である。見るべきものもあまりないようであるが、明日は1日街中を歩いてみようと思っている。今回は、夕食に何を食べるか苦労していたが、やっと日本食レストランがある街に来たので、10日ぶりに日本食の外食となった。やはり、日本食が一番。
サマルカンドは日本人なら誰もが世界史の授業等で知っている有名な都市であるが、世界遺産に登録されているだけあって、見どころも多い。ブハラほどコンパクトに史跡が集中していないので、歩いて回るとなるとかなり辛いものがある。
14世紀にティムール帝国を築いたアミール・ティムールに関連する名所・旧跡が中心で、「青の都」とか「イスラム世界の宝石」とか言われているように、青い色をした様々なモスクやメドレセ(神学校)や廟などの見どころが街に点在している。それでも主な見どころは1日もあればほとんど見て回れる感じであり、4月9日は一日かけてガイドブック掲載のほとんど全ての見どころを見て回った。
翌、10日の夕方1700発のアフラシャブ号という特急列車に乗り込むと隣の席に日本人3人とガイドの女性がいたのでビックリ。訊ねると、養蚕に関するJICA関連の人達であった。新幹線ほどの快適さはないが、乗務員が乗っていて、サンドイッチの無料サービスもあった。飲物は有料のようだが、お酒はないという(売り切れだったかも。。。)。
軽食サ-ビスがあることも知らずに、この移動中に夕食を食べるという計画を立てていたので、用意しておいた非常食用の五目ごはんと熱いお茶で夕食を取ることにした。座席のところに電源があったので、持っていた湯沸しポットでお湯を沸かし、お茶を入れて、海外での列車の旅とは思えない日本情緒の夕食となった。
このアルファ米の五目ごはんは、海外に行くときは、必ず何個か持っていき、移動等でうまく食事がとれない時や日本食を食べたくなる時に大活躍するのである。お湯を注ぎ、15分位でおいしい五目ごはんが出来上がりというわけである。経験上、それに海苔を入れるともっと美味しくなるので、今回は、きざみ海苔も持参し、充実した夕食となった。
14世紀にティムール帝国を築いたアミール・ティムールに関連する名所・旧跡が中心で、「青の都」とか「イスラム世界の宝石」とか言われているように、青い色をした様々なモスクやメドレセ(神学校)や廟などの見どころが街に点在している。それでも主な見どころは1日もあればほとんど見て回れる感じであり、4月9日は一日かけてガイドブック掲載のほとんど全ての見どころを見て回った。
翌、10日の夕方1700発のアフラシャブ号という特急列車に乗り込むと隣の席に日本人3人とガイドの女性がいたのでビックリ。訊ねると、養蚕に関するJICA関連の人達であった。新幹線ほどの快適さはないが、乗務員が乗っていて、サンドイッチの無料サービスもあった。飲物は有料のようだが、お酒はないという(売り切れだったかも。。。)。
軽食サ-ビスがあることも知らずに、この移動中に夕食を食べるという計画を立てていたので、用意しておいた非常食用の五目ごはんと熱いお茶で夕食を取ることにした。座席のところに電源があったので、持っていた湯沸しポットでお湯を沸かし、お茶を入れて、海外での列車の旅とは思えない日本情緒の夕食となった。
このアルファ米の五目ごはんは、海外に行くときは、必ず何個か持っていき、移動等でうまく食事がとれない時や日本食を食べたくなる時に大活躍するのである。お湯を注ぎ、15分位でおいしい五目ごはんが出来上がりというわけである。経験上、それに海苔を入れるともっと美味しくなるので、今回は、きざみ海苔も持参し、充実した夕食となった。
中国のLCC、春秋航空が春秋航空日本を設立して、6月27日より、成田=高松、成田=佐賀、成田=広島の3路線で運航を開始する。当初5月末就航と発表していたが、何らかの理由で一か月遅れたものである。
4月8日12時から発売が開始されたが、他のLCCと同様、就航記念キャンペーン運賃(737円)を設定したものだから、売り出しと同時に電話はパンク、インターネットはスタック状態が長く続いたようで、ホームページにもお詫びの案内が掲載されていた。
キャンペーン運賃の発売時間を路線別にずらしたが、焼け石に水であったようである。相変わらず学習効果が出ていないともいえる。貴重な時間を取られるお客様への迷惑も甚だしいところである。安ければいいというものではなく、安全運航にお金をかけてほしいものである。
感謝の気持でキャンペーン運賃を提供したいなら、売出しと同時にやるのではなく、希望者に抽選で安い航空券を提供するとか、とにかく電話がキャンペーン運賃の売出しと同時につながらなくなったり、インターネットが使えなくなるような事態は避けてほしいものである。
売出日、8日の12時は、ウズベキスタンのブハラからサマルカンドに鉄道で移動中で、インターネットによる予約も全くできない状況にあったので、家族の者に頼んで、成田→松の初便の予約を電話で取ってもらった。電話による予約受付をするのかどうか、電話番号はどうなっているのか、直前まで全く公開しなかったので、春秋航空のサービスマインドには疑問が残った。
中国と日本は、現在、良好な外交関係ができていないこともあって、中国への日本人観光旅行客が激変しているので、春秋航空日本がうまく行くのかどうか注目したい。
春秋航空の初便搭乗が実現したら、スカイマーク、エアドウ、スカイネットアジア、スターフライヤー、フジドリーム、ピーチ、ジェットスター、エアアジア、バニラに次いで、国内線就航新規航空会社10社のすべての記念すべき初便に搭乗することになる。今から6月27日の初便搭乗が楽しみである。
4月8日12時から発売が開始されたが、他のLCCと同様、就航記念キャンペーン運賃(737円)を設定したものだから、売り出しと同時に電話はパンク、インターネットはスタック状態が長く続いたようで、ホームページにもお詫びの案内が掲載されていた。
キャンペーン運賃の発売時間を路線別にずらしたが、焼け石に水であったようである。相変わらず学習効果が出ていないともいえる。貴重な時間を取られるお客様への迷惑も甚だしいところである。安ければいいというものではなく、安全運航にお金をかけてほしいものである。
感謝の気持でキャンペーン運賃を提供したいなら、売出しと同時にやるのではなく、希望者に抽選で安い航空券を提供するとか、とにかく電話がキャンペーン運賃の売出しと同時につながらなくなったり、インターネットが使えなくなるような事態は避けてほしいものである。
売出日、8日の12時は、ウズベキスタンのブハラからサマルカンドに鉄道で移動中で、インターネットによる予約も全くできない状況にあったので、家族の者に頼んで、成田→松の初便の予約を電話で取ってもらった。電話による予約受付をするのかどうか、電話番号はどうなっているのか、直前まで全く公開しなかったので、春秋航空のサービスマインドには疑問が残った。
中国と日本は、現在、良好な外交関係ができていないこともあって、中国への日本人観光旅行客が激変しているので、春秋航空日本がうまく行くのかどうか注目したい。
春秋航空の初便搭乗が実現したら、スカイマーク、エアドウ、スカイネットアジア、スターフライヤー、フジドリーム、ピーチ、ジェットスター、エアアジア、バニラに次いで、国内線就航新規航空会社10社のすべての記念すべき初便に搭乗することになる。今から6月27日の初便搭乗が楽しみである。