浪漫飛行への誘(いざな)い

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シニア留学体験記(2)

2014年08月11日 21時56分52秒 | 英語
6 学習支援プログラム

歓迎パーティに始まり、放課後には、留学生の交流を図るため、頻繁にゲームや各種のイベントが行われていた。留学生用の特別室も設置されていて、パソコンやプリンタを使ったり、ボランティアのネイティブスピーカーとの会話の練習をすることもできた。ピザパーティやアウティング(遠足)のような楽しいイベントもあり、単調にならないようにカリキュラムが工夫されていた。

また、通常の授業とは別に、全員、週2回程度、ボランティア業務を行うことが義務付けられ、その実施状況レポートの提出も課せられた。自分でボランティア業務を探すのもなかなか大変であったが、結果的には、街中にある年寄り向けのシニアセンターでの各種アクティビティのお手伝いをすることにした。ポスターを作ったり、イベント時に椅子やテーブルを並べたり、カナダ人の指示を受けながらの作業なので、確かに英語の勉強にはなったと思われる。

また、英語勉強の補助プログラムで、大学の方でスピーキングパートナーを紹介してくれるサービスがあった。留学生が趣味等を含め、自己紹介と相手の希望を書いた申込書を提出するとそれにマッチングするようなパートナーを紹介してくれるというもの。留学生との交流を希望する英語ネイティブの人が大学に登録していて、うまくマッチングすれば、スピーキングパートナーとして、英語勉強のアシストをしてくれる。若い女性を希望することも可能であったが、ちょっと遠慮して、パートナーは、性別、年齢は問わないとして提出したところ、和太鼓をやっているという40代の男性を紹介してくれた。 彼も大の日本ファンなので、日本人と交流したいということで、うまくマッチングしたものである。時々会って、宿題を手伝ってもらったり、家に呼んだり、交流が始まった。帰国後、彼は、日本にも遊びに来たり、こちらからビクトリアに再訪した時はいっしょに食事をしたり、いまでも彼との交流は続いている。先にも触れたが、クラスメートの一人は、このプログラムで知り合ったカナダ人のスピーキングパートナーと結婚したとのことで、趣味が共通することもあり、恋愛に発展することも十分ありうると感じた。

3ヶ月講座の最後には、シンポジウムといって、コミュニティに関するトピックを自分で選び、データ収集や下調べを行い、他のクラスの人や外部の人を前にして、約10分の研究発表を行い、参加者とディスカッションを行うという課題が課せられた。慣れない作業の上、皆の前で自分の研究成果を英語で発表するというのはかなり厳しいもので、ストレスもかかっていた。毎日の宿題や授業で忙しいので、その準備作業もなかなか大変であった。トピックはいろいろ迷ったが、最終的には「シニア世代の生涯スポーツとコミュニティの役割」というタイトルで、研究発表を行った。聴講者は、他のクラスの生徒やモントリオールから英語の勉強に来ていたカナダ人の学生達であった。


7 現地での生活

ビクトリアは、ブリティッシュ・コロンビア州の州都で、英国風の街並みで夏は街が花であふれるほど綺麗な街である。州議事堂とエンプレスホテルに囲まれるハーバーは素晴らしい景観である。街にはロンドンのように赤い二階建てのバスが走っており、どのバスもバリアフリーで、車椅子の人にも優しい。気候もカナダで一番温暖なので、引退後の年寄りが大勢住んでいる。

ビクトリアには、妻が同行してくれたので、食事の心配は全くなく、5ヶ月間、ほとんど毎日、日本食を食べていた。日本食品のお店も2軒あり、地元のスーパーや朝市マーケットで、ほとんどすべての野菜や食品が手に入ったので、さしたる問題はなかった。

また、妻も英語の勉強をしたいということで、街中にあるジオスという英語学校に通い始めた。妻の方も、その学校でも多くの若いクラスメートと知り合うことができ、家にもよく遊びに来た。若い留学生はほとんどがホームステイをしており、日本食に飢えていたので、学校で知り合った日本人の留学生を家に招き、よく日本食をご馳走したものである。頻繁に、二人のクラスメート、スピーキングパートナー、日本人やカナダ人の知人等を家に招待していたので、その人数は5ヶ月延べで、100人以上になったと思われる。ホームパーティの度にケーキを作ったりしていたので、妻の負担も大変であったと思われるが、皆からは大変喜ばれた。

今のマンションの前の持ち主である知人(イタリア人と奥様が日本人)がビクトリアに住んでいて、その時の住まいが大学のすぐそばにあったこともあって、時々お邪魔して、ご馳走になったりした。地元の情報もいただき、心強いかぎりであった。

また、コンドミニアムの隣人にトロントからの老夫婦(現在90歳と70代)がいて、親しくなった。彼らは、毎年、7-8月のみ避暑のためビクトリアに来ているとのことであった。何回が行き来したり、知人である筋ジストロフィーの画家の紹介を受けた。その知人がその年の秋に東京の神社で絵の展覧会をやるとのことで、その老夫婦も東京に来ることになり、行きがかり上、面倒を見ることになった。その後、彼らは大の日本ファンになり、2012年と2014年にも再来日したほどである。

8 ゴルフ・テニスに旅行三昧

初めは、こんなはずではないとぼやきながら、週末といえども遊びに興ずる余裕はなく、勉強一筋であったが、後半以降、少し慣れた頃から、バスで15分位のところにゴルフ場があったので、暇を見つけては、ゴルフをしたり、家の近くのテニスコートでテニスも楽しんだりした。テニスは無料で、ゴルフ代も日本に比べると大分安いので、好きなだけ遊んでも大したコストはかからない。 ショートコースでのゴルフを含めると5ヶ月で20回以上はゴルフを楽しんだと思う。 妻がゴルフを始めたばかりだったので、とにかく回数だけは多くなった。

また、旅行が好きなので、勉強の合間を見ながら、旅行計画を立て、精力的に出かけていた。ビクトリア市内や近郊の観光地へも足を運んだが、泊まりがけで、シアトル、バンクーバー、ウィスラー、ケロウナ、カルガリー、カナディアンロッキー、トロント、ナイアガラ滝、オタワ、赤毛のアンのプリンスエドワード島まで出かけた。特に9月にはコンドミニアムを出ていたので、放浪の旅ではないが、2週間の長期間旅行に出てカナダの夏を満喫した。

9 最後に

講座の最後には、寄せ書きや写真を集めたアルバムの小冊子も作成され、貴重な記念品となった。また、すべての講座が終了した時点で、さよならパーティも開かれた。全員が一同に介し、3ヶ月間苦楽を共にしてきたクラスメートと卒業の喜びを分かちあった。卒業試験もあったので、修了証をもらった時の喜びは皆ひとしおであった。普通の語学學校と違って、常に同じメンバーで勉強してきたので、一体感のある感動的なパーティであった。

3ヶ月を振り返ってみると、あっという間であったが、学生時代以来何十年ぶりに、若者に混じって勉強に励み、男女問わず若者の友達もできた。英語能力の向上はなかなか厳しいものがあったが、まさに年を忘れてキャンパスライフをエンジョイし、貴重な体験をすることができた。今となっては、ハーレム生活も懐かしく思い出されるが、かくして夢のような世界から定年後の第二の人生がスタートした。

これから英語を勉強し直そうと考えている人がいれば、海外留学をお薦めする。自分の体験では、治安もよく、英語も綺麗なカナダ、それもほどよい規模のビクトリア、しかも緑あふれる広大なキャンパスを持つビクトリア大学への留学は自信を持ってお薦めする。英語レベルに応じてクラス編成をしてくれるので、英語の初心者でも安心して、楽しく英語の勉強ができること請け合いである。

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NHK「思い出のメロディー」を生で見てきた

2014年08月11日 17時45分46秒 | TV番組
8月9日にNHKホールで第46回思い出のメロディーを生で見てきた。テレビで生中継されたので、見た方も多いのではないかと思うが、今年が46回目とのことで、毎年夏に行われていることから、夏の紅白と言われているようである。

少しいい席を取りたいと思い、3時の受付開始の50分ほど前にNHKホールに行ったが、すでにかなりの列が出来ていて、恐らく、300番目位だと思われる。当選ハガキにも早く並んでもいい席が取れるとは限らないと案内されているが、恐らく、それは単なる牽制で、早く引換えた方が比較的いい席が取れるのではないかとみている。1階は無理でも、3階は避けたいと思っていたが、運良く、2階席も比較的前の方だったので、ステージとの距離もそんなに遠くなく、十分であった。本当に並ばせたくないなら、先頭から早くから並んだ人に3階席のチケットを交付すればいいと思うが、NHKもそんなに意地悪ではないと推察している。皆、それがわかっているから早く並ぶのではないかと思う。

司会は、綾小路きみまろと仲間由紀恵で、約30人の歌手がまさに我々の思い出のメロディーを生で再現してくれた。台風11号の関係で、時間が20分ほどずれて、終わりも10時20分になるという長丁場のコンサートになった。途中で休憩(その間テレビはニュース)があったが、時間が短く、トイレの数も少ないこともあって、男女とも長蛇の列になっていた。何人かの女性は間に合わないとみてか、男性用トイレに並んでいたほどである。

どの歌も懐かしく、つい口ずさんでしまうものばかりだったが、個人的には同年代の、黛ジュンの「天使の誘惑」、あおい輝彦の「あなただけを」、由紀さおりの「手紙」あたりが特に懐かしい。往年の青木光一、菅原都々子、大津美子、ペキー葉山も皆元気だったし、マヒナスターズや東京ロマンチカも懐かしかった。島倉千代子や石原裕次郎や宝塚の特別コーナーも印象的であった。ただ、司会のきみまろさんは、番組が真面目すぎるのか、ちょっと浮いた感じで、いつものお笑いの妙味は感じられなかった。

テレビを見ていないので確かではないが、恐らく、テレビではわからない事実を紹介すると、生のコンサート開始前に、西城秀樹さんの歌2曲の録画収録が行われた。彼のステージのみ録画で放映されたのである。理由は、よくわからなかったが、番組が20分ずれたためのスケジュール変更と思われる。今回は、彼の復帰ステージということで、目玉の一つになっていた。2度の脳梗塞からの復帰ということだが、歌を聴いている限り、ほぼ復活しているように見えた。しかし、テレビには映っていないと思うが、歩行のリハビリはまだ不十分なようで、びっこを引いて歩く姿はとても痛々しかった。

また、氷川きよしも、当日が長崎原爆の日であったので、本来は長崎で「長崎の鐘」を歌う予定であった(プログラムにも中継となっていた)が、台風の影響で、急遽変更されたようで、我々にとっては、幸運にも彼の生の歌声を聴くことができた。

30人もの馴染み深い歌手が、これまた、よく知っている思い出の曲を目の前でそれも生で歌ってくれるのだから、我々世代にとっては、まさに青春プレイバックで、紅白以上のコンサートともいえる。やはり、生で聴くコンサートは最高である。来年も是非見に行きたいと思う。
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