浪漫飛行への誘(いざな)い

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島倉千代子と「人生いろいろ」

2018年06月03日 09時26分28秒 | 音楽

島倉千代子は、1938年3月に品川宿で生まれた地元出身の有名な歌手であるが、惜しくも。2013年11月に亡くなられたのは誰もが知っていることだと思う。通った小学校も我が子と同じ学校であり、親しみを感じる。1955年に「この世の花」で歌手デビューし、「東京だヨおっ母さん(1957年」、「からたち日記(1958年)」を始め、数々のヒット曲を出しているが、最も印象的な曲は、「人生いろいろ(1987年)」である。小泉首相(当時)が言及したこともあって、知らない人は
いないと思う。

この名曲は、品川宿にある京浜急行の「青物横丁駅」の列車接近メロディーにも使われているので、駅を利用する時はよく耳にする。この曲の採用はアイデアとしても素晴らしい。歌詞も素晴らしく、まさに人生いろいろで、共感を覚える。

亡くなる前から、彼女は近くの東海寺の大山墓地にお墓を用意していた。この墓地には、たくわんで有名な沢庵和尚、国学者で有名な賀茂真淵、鉄道の父といわれる井上勝のお墓もあり、そこに彼女の墓が仲間入りしたのである。「こころ」の文字が印象的で、からたちの花も植えられているようである。実際、亡くなってすぐにこのお墓を訪ねてみたが、まだ納骨前だったので誰もいなかった。千代子ファンであるなら、是非一度お墓参りに訪れてみてください、


写真は、島倉千代子のお墓(2013 11/15撮影)



青物横丁駅の列車接近メロディー : https://www.youtube.com/watch?v=vkaoXJKxFhM


人生いろいろ: https://www.youtube.com/watch?v=oaPt6seJLFg

 

 

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ドイツ人のポン友

2018年06月03日 08時49分14秒 | 卓球
ポン友という言葉は今では死語になりつつあるように思えるが、その言葉がピッタリの35年来のドイツ人のポン友がいる。彼はルフトハンザのメカニックで、最初の出会いは、1983年5月に我がクラブチームと卓球の親善試合を行った時である。彼をリーダーとするに6名がフランクフルトから千葉で開催された世界卓球選手権に観戦に来たが、その折、彼らの日本支社を通じて、我が社との親善試合の申し入れがあったものである。

それから、2年後、今度は、こちらがフランクフルトに転勤することになり、再会が実現し、4年半の間、公私ともにお世話になることになった。彼の紹介で、彼の所属する地元のクラブチームに入ることになったが、その場所が我が家の前の大きな公園の端、歩いて5,6分のところにあった。彼の住まいも車で5,6分のところにあり、何度も我が家に遊びに来たり、先方にお邪魔することもあった。

卓球は、クライスリーガといって、ブンデスリーガのはるか下の方でレベルだが、1チーム6人で対外試合にも一緒に参加し、そのたびに飲み会もやっていた。練習場には、レストランもあるので、練習の後に、一杯やる機会も多くあった。

彼は、早期リタイア後、モーターバイクのツーリング関係の仕事をしていたが、フランクフルトの家を人に貸し、出身地でもあるドレスデン近くのグラウハウという田舎町に引越し、その後、再婚もしていた。2006年4月には、観光で来日し、1週間ほど我が家に泊まったこともあった。同じ年の7月には、今度はこちらが泊まりにいくことなり、ワルシャワやプラハへ旅行した際、車でプラハまで迎えにきてくれた。

その後、彼は離婚し、今度はハンガリーのドンボヴァールという田舎町に一人で移り住んでいたが、来訪の誘いを受け、2012年5月には、3泊させてもらった。世界遺産のペーチの街やバラトン湖にも車で案内してもらった。

フランクフルトには、2年に1回位のペースで訪問していたが、その度ごとに、彼もフランクフルトに来てくれて、レンタカーでライン川やモーゼル川やワイン街道にも連れて行ってくれた。彼は、まだ自宅を人に貸しており、旅行関係のメッセ(見本市)に合わせでフランクフルトによく来ているので、こちらもそれに合わせて旅行計画を立てていた。そのメッセが5月ということもあって、新緑の5月(ドイツでは一番いい季節)に行くことが多く、彼と再会し、いっしょにホワイトアスパラガスを食することが楽しみの一つでもあった。たまには、ラケットを持っていって、古巣の卓球クラブでプレイすることもあった。知り合ってからもう35年になるが、まさにポン友といえる友人である。

写真は、出会いとなった親善試合(1983年)
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