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安倍元総理の狙撃事件で思う「白骨の章」と「自因自果」

2022年07月09日 06時09分58秒 | ニュース

 

7月8日、安倍元総理が奈良で選挙応援の遊説中、元海上自衛官の男により、銃撃され死亡したという衝撃のトップニュースが日本中を駆け巡った。大変痛ましい事件で、深く哀悼の意を表する次第であるが、この突然の事件で、「白骨の章」と「自因自果」という仏教の教えを俄かに思い出した。

「白骨の章」とは、室町時代に、親鸞聖人の教えを正確に多くの人に伝えた蓮如上人が書かれた名文である。白骨とあるように、生まれた者は必ず死んでいかねばならない厳粛な現実が名文(御文章)で書かれており、浄土真宗の葬儀ではよく引用される文章である。意訳は下記の通り。

「人の世のはかないようすをよくよく考えてみると、この世は常に移り変わり、まぼろしのような一生です。いまだかつて万年も生きた人は聞いたことがありません。一生はすぐに過ぎてしまいます。今まで、だれが百年の命を保つことができたでしょうか。

私が先か、人が先か、今日かもしれず、明日かもしれません。今からいのちを終えていく者は、草木のしずくや露のように、気付いた時には落ちてなくなります。朝には元気な顔であっても、夜には白骨となってしまう身なのです(朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり)。無常の風が吹けば、ふたつの目は閉じて呼吸が止まり、元気だった顔もむなしく変わり果て、家族や親せきが集まって嘆き悲しんでも、どうすることもできません。

また、いつまでも悲しんではおれず、葬送の準備を整えて、儀礼を行い、火葬して煙となってしまえば、ただ白骨だけが残るのです。なんと哀れで虚しいことでしょうか。

このように、人間のはかなさは、若い者も老いた者も関係がなく、すべての人は一刻も早くいのちの行く先(後生の一大事)を考えて、阿弥陀仏の願いを深く受け止め、南無阿弥陀仏をとなえるべきです。」

 

安倍さんは、今朝は、元気な顔をして出かけたと思うが、夜には白骨の身となって帰宅することになってしまったのである。享年67歳ということだが、年は関係なく、いつ死が訪れるかわからないし、いつも死と隣り合わせで、はかない人生の例えである。

また、安倍さんの場合、「自因自果」という仏経の教えも頭をよぎった。「自因自果」とは、「自分のまいたタネは自分に現われる」ということを意味する。自分のまいたタネは自分が刈り取らねばならないということである。ヤッホーというとヤッホーと返ってくるやまびこのように、自分のやった行いは、自分に全部返ってくるとお釈迦さまは言われている。要するに、幸福という運命は、善い行いが生み出したものであり(善因善果)、不幸という運命は、悪い行いが引き起こしたものであり(悪因悪果)、自分の運命の全ては、自分のまいたタネが生み出したもの(自因自果)と仏教では教えられている。壁に向かって優しい球を投げれば、優しい球が返ってくる。反対に、壁に向かって思いっきり強い球を投げつけると、勢いよく自分に跳ね返ってくる。自分に向かって飛んでくるボールの勢いは、自分が投げたボールの勢いが、巡り巡って返ってきただけである。

安倍さんは、長期政権として首相の座に7年以上も座り、いい意味でも悪い意味でも突出していた気がする。いいことも沢山したかもしれないが、森友、加計問題、桜を見る会、河井夫妻への1.5億円提供事件、都合のいい官僚の登用、国会でのウソ答弁等様々なマイナスな面も否定できない。狙撃による非業の死は大変気の毒だが、なぜ狙撃されたのか、仏教の教えに従うと何かわかってきそうな気もする。この事件の被害者がプーチンであれば、全世界がもろ手を挙げることになったと思うが、今は安倍さんのご冥福を祈るのみである。


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