『歎異抄』という日本の古典に『火宅無常の世界』という言葉がある。
家のひさしに火がつき、みるみるうちに障子やふすまが燃え、家屋全体が火に包まれてしまうように、私たちの生きているこの世は、思いもよらぬ事が突如として起き、何十年と大事にしてきたものも一気に崩れ去ることがある、常にそんな不安にさらされているのが人生の実態ですから「火宅無常の世界」といわれる。
「歎異抄」は、親鸞聖人の教えを綴った鎌倉時代後期の仏教書である。作者は、聖人に師事した唯円で、親鸞滅後に浄土真宗の教団内に沸き上がった親鸞の真信に違う異議・異端を嘆いたものである。700年も前の書であるが、今のプーチンによるウクライナ侵攻というウクライナ国民にとっての国難は、まさに火宅無常の世界を実証する。平穏な日常生活があっという間に一人の独裁者の狂気により、一気に崩れ去っていく情景を見ていると無常観を感じざるを得ない。
プーチンは、現世で、お金、財産、地位、名誉、健康、家族等全ての相対の幸福を得たかに見えるが、すべてが難度海に浮かぶもろくも崩れ去る丸太や板切れにすぎない。ロシアの大統領という大きな権力の丸太の上にどっかり居座り、正義ぶって独裁的な犯罪に走っているが、海に浮かぶ丸太は、簡単に一回転して、人を海に投げ出すのである。今のプーチンは、海に放り出された状態にあり、助ける者は誰もいない。自力本願に溺れ、正義の味方ぶっているプーチンは往生できず地獄へまっしぐらである。阿弥陀仏は、悪人でも絶対の幸福に救ってくれるが、信心のないプーチンは、絶対の幸福を得ることはできない。歴史上、ヒトラーを超える独裁者・殺人者として、永遠にその名前が刻まれることになる。戦犯として極刑になると思うが、何回処刑されてもウクライナ国民はもとより世界中の人々は絶対許さないはずである。
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