浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

音楽でめぐるアフリカの旅(30選)

2021年10月14日 23時19分50秒 | 音楽

 

音楽でめぐる旅シリーズで、ヨーロッパ、アジア、アメリカに次いで、アフリカの旅についても、30曲を選び、1曲1分で試聴できる約30分のユーチューブを作ってみた。アフリカをテーマにした歌謡曲はそれほど数が多くないので、アフリカを歌った洋楽9曲も含めている。国別には、観光地でもあるエジプトやモロッコの曲が多い。

 

海外旅行には、160回も出かけているが、アフリカへの旅行は、エジプトとモロッコだけなので、都市ではカイロとカサブランカ、マラケシュ、フェズだけにとどまっている。コロナ禍で当分海外旅行はままならないが、音楽を聴きながら旅の雰囲気を味わうことで我慢することとしたい。アフリカの次は、カナダ・カリブ・中南米の旅を作る予定である。

 

音楽でめぐるアフリカの旅(30選): https://youtu.be/FV4D6QAgK74

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久し振りの卓球大会

2021年10月10日 23時14分38秒 | 卓球

 

10日に区民スポーツ卓球大会があり、久しぶりに大会に参加した。シングルスのみであるが、年令カテゴリー別で、自分の年令を忘れて45才以上の部に参加した。60才以上や70才以上の部もあるが、70才以上の部で一度優勝したことがあるので、そこでは出ないことにしている。ルール上は、一度優勝しても何回でも参加できることになっているが、若い人と試合をするいいチャンスと考え、45才以上の部に参加したものである。20人位が参加したが、まず4人での予選リーグ戦をやって、上位2人がトーナメントに進めるようになっている。

 

予選リーグでは、2勝1敗で2位となり、トーナメント戦に進めたが、その1回戦で敗退という結果となった。2位上がりだとトーナメント1回戦は、別グループの1位と当たることになるので、当然厳しい戦いとる。それでも、2対3と善戦できたので、よしとすべきであろう。45才から59才までの年令カテゴリーなので、もつれれば、どうしても体力的に厳しいものがある。大会はいつも練習の実践の場と考えているので、できるだけ参加することにしている。また、上手な人の試合を見るのも大変勉強になる。特に、同じ戦型(自分の場合は、ペン粒)の人のプレイはしっかり見ることにしている。ペン粒とは、ペンホルダーで粒高の特殊ラバーを使用している人のことを言う。コロナのこともあり、試合中は、常にマスクを着用していた。参加費は、500円であるが、クラブからの補助が半額あるので助かる。また、区民スポーツ大会なので、タオルの参加賞もいただいた。

 

ここ1-2年は、コロナ禍で卓球の大会もことごとく中止となっており、試合慣れしていない感もあるが、練習の延長として、今後もできるだけ参加したいと考えている。もうこの年になるとなかなか上達はしないが、卓球ができること自体に深く感謝すべきであろう。

 

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すぎやまこういちさんの死を悼む

2021年10月07日 20時03分46秒 | 音楽

 

作曲家の「すぎやまこういち」さんが9月30日に90才で亡くなった訃報が流れた。晩年では、人気ゲーム「ドラコンクエスト」シリーズの音楽で有名になったが、我々世代にとっては、グループサウンズ全盛時代の作曲家として有名で、好きな曲もいっぱいある。略歴を見ていたら、当初は音楽大学を志望していたが、お金がなかったから、東大に進学したとのことで、卒業後は、フジテレビに入社し、ディレクターとして活躍していたようである。並行して、作曲活動もやっており、フジテレビ退社後、作曲家として本格的に活動していったようである。才能がある人は違うなという印象である。

 

彼の作品の中で、一番好きなのは、ヴィレッジ・シンガーズの「亜麻色の髪の乙女」で、カラオケでもよく歌ったものである。他には、ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」、ガロの「学生街の喫茶店」、ザ・タイガースの「シーサイド・バウンド」「花の首飾り」「君だけに愛を」「モナリザの微笑」「銀河のロマンス」等が馴染み深いが、テレビアニメの主題歌やCMソングも2000曲以上手がけているというからすごい才能である。我々の子供世代は、なんといっても「ドラゴン・クエストシリーズ」でお世話になっており、ほぼすべての楽曲を手がけているというから驚きである。オリンピックの開会式に使われたのも記憶に新しい。

 

時代の流れから仕方がないことであるが、我々がよく知っている昭和歌謡やグループサウンズの歌手、作曲家、作詞家たちが次々と旅立っていくのは寂しいかぎりである。最近では、平尾昌晃さん(2017)、服部克久さん(2020)小林、筒美京平さん(2020)、なかにし礼さん(2020)、小林亜星さん(2021)と次から次なので残念な思いである。歌手でも、梓みちよさん(2020)、坂本スミ子さん(2021)、ジェリー藤尾さん(2021)と寂しく時の流れを感じる今日この頃である。すぎやまこういちさんのご冥福をお祈りする。

 

「亜麻色の髪の乙女」(ヴィレッジ・シンガーズ):

https://youtu.be/7aGmPZtu5bc

 

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YouTubeによる旅行アルバムの作成

2021年10月05日 22時51分14秒 | 旅行

 

9月30日から久しぶりに小旅行に出かけたが、2泊3日で撮った写真もそこそこ枚数が集まったので、久しぶりにYouTubeの旅行アルバムを作ることにした。旅行アルバムといっても、撮った写真に説明を加え、スライドショーして、サウンドトラックの音楽を付け、YouTubeにアップするだけのものである。YouTubeにアップすれば、誰でもいつでも見ることができるので、大変便利である。

 

写真には、家族や友人の人物が写っているものも含まれるため、人物写真を避けた(使う場合はモザイク化)風景中心の一般公開用のアルバムと全ての写真を入れたプライベート用のアルバムの2種類を作ることにしている。プライベート用は、限定公開扱いとし、視聴に際しパスワードが必要になるように設定している。撮った写真には、すべて解説を付けることにしているので、誰でも説明なしにアルバムを楽しむことができる。YouTube化により、いつでも旅行の思い出を振り返ることができるので、ここ数十年の旅行は、全てYouTubeの旅行アルバムを残している。昔のアルバムに写真を貼っていた時代が懐かしいともいえる。

 

旅行アルバムの作成にあたって、どんな楽曲をサウンドトラックに使うかを決めるのも楽しい作業の一つである。旅先にちなんだ曲を選ぶことが多いが、なかなかいい曲が見つからない場合も少なくない。今回那須への旅行であったが、那須を歌った適当なご当地ソングを探すことができなかったため、今回は岩崎宏美が歌った「小さな旅」という曲を使うことにした。この曲は、NHKの紀行番組「小さな旅」のテーマ曲であったので、メロディを聴いたことがある人もいると思われる。プライベート用は岩崎宏美の歌が入ったもの、公開用は、インストルメントだけのものを使用した。

 

旅行後に音楽を聴きながら撮った写真を整理するのも楽しみの一つである。旅行というのは、旅行前の計画、旅行中の旅行そのもの、旅行後のアルバムの整理という3つの楽しみがあり、どれもワクワク気分をかきたてるものがある。最近は、海外はおろか国内旅行もあまりできていないので、老後の楽しみが奪われている。今回2泊ではあるが、久しぶりに小旅行ができたので、早速アルバムも作成したところである。早く、コロナが収まり、自由に旅行ができる日を楽しみに待っているところである。

 

那須への小旅行アルバム: https://youtu.be/Iudb72lZRJQ

 

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久し振りの小旅行

2021年10月04日 20時40分40秒 | 旅行

 

コロナ禍の中、ステイホームが長期化しているが、久しぶりに泊りがけの小旅行に出かけた。新規感染者数も急激に減少し、緊急事態宣言も解除されたので、台風が関東に近づいているにも関わらず、那須塩原まで出かけることにしたもの。東北新幹線で東京から那須塩原まで行き、妻の会社時代の同僚の別荘に2泊させてもらった。新幹線に乗るのも十数年振りであるが、車内はあまり混んではいなかった。

 

同僚のご主人は鉄道マニアでまさに人生の楽園ではないが、趣味の手作りで、家の中にも、広大な庭にも線路が敷かれている。定年後に好きな趣味に没頭できるのは羨ましいかぎりである。中日は、台風の影響で雨が降り続いていたが、福島県にある大内宿まで車で連れていってもらった。大内宿は、江戸時代に会津若松と日光を結ぶ重要な道の宿場町として山あいに栄えたところで、現在も江戸時代の面影そのままに茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並んでいる。約400年の歳月が経っているが、村の人々が店舗兼住居として生活し、景観を維持しているという。宿を訪れるとタイムスリップしたような当時の景観そのものを肌で感じることができる。お蕎麦屋さんやお土産屋さんが建ち並んでいるが、昼食は、その内の一軒で「くるみそば」と言う変わったお蕎麦を食べ、当時の雰囲気を味わうことができた。

 

今、区の健康ポイントプログラムに参加しているので、毎日1万歩以上歩くことが日課となっている。旅先であるが、早朝に周辺を散歩していたら、放置されている分譲地の一画に大きな栗の木があって、台風のせいか栗の実がたくさん落ちているのを発見し、勝手に栗拾いをさせてもらった。散歩そっちのけで栗拾いに時間を割き、100個以上は拾ったものと思われる。家に戻ってから早速栗ご飯にして賞味してみたが、十分美味しい栗であった。また、別荘の前に道の駅があるが、その周辺にクルミの木があり、そこも台風のせいか、クルミの実がたくさん落ちていたので、クルミ拾いもさせてもらった。図らずも栗とクルミのお土産ができたことはラッキーであった。

 

帰る日は、台風一過で青空が広がったので、那須高原、那須湯本の殺生石、南ヶ丘牧場に車で案内してもらった。那須ロープウェイで茶臼岳まで行こうとしたが、観光客が殺到していて、途中で諦め、「恋人の聖地」という洒落た名前の展望台からの眺望で我慢した。緊急事態宣言が解除された初日の土曜日であったので、人流が爆発的に増えた印象を持った。久しぶりの遠出であったが、友人の手厚い歓待のおかげで、楽しい小旅行となった。ユーチューブによる旅行アルバムは別途作成予定。

 

写真は、大内宿の景観

 

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キルギス旅行の思い出 

2021年10月03日 20時07分36秒 | 旅行
 
4月13日にアルマティからミニバスに乗って国境を越え、約5時間かけて隣国のキルギスの首都ビシュケクに入り、1泊した。これで、キルギスが99か国目の訪問国となった。この国境越えの情報もあまりないまま、ビシュケク行きバスが満席になって出発したのが、9時半頃。国境に着いたのが12時ちょっと前で出国手続きのところは人だかりの山。出国には30分以上かかったが、キルギスへの入国手続きはスムーズであった。

一番不安だったのは、出入国手続き後に自分の乗ったバスが待っていてくれるかであった。どこに行ったらいいのか不安なまま、外に出ると、先のドライバーの姿を見かけほっとした。しかし、乗客は自分だけになっていて国境から1時間近くかけてバスターミナルに到着したが、そこで宿泊予定のゲストハウスまでのバスを探すのにも苦労した。114番のバスとわかっていたが、待っても全然来ない。それもそのはずで、114番は反対側の車線であった。バス利用にむずかしさは、バスの番号がわかっていても、両方向あるということ。バスにも手間取って宿に辿り着いたのは14時半すぎであった。


すぐ隣りの国なので、同じような服装で出かけたが、何と寒波襲来とかで、ビシュケクはものすごく寒く、雪もちらついていた。数日前は暖かかったらしく、異常気象そのものといえる。1泊旅行なので、スーツケースはアルマティのホテルに預けてきたが、防寒具をホテルに置いてきてしまったのは残念であった。ビシュケクでは、日本人が経営しているゲストハウスにお世話になったが、トイレ、シャワーは共用だが、部屋は個室で、何と1泊1400円という安さであった。情報収集のため、海外旅行の際、その街に日本人経営の宿があれば利用することも多い。値段も安いし、綺麗だし、日本語で情報もとれるので、安心感は抜群である。

また、ビシュケクに行ったら、行こうと思っていた日本食レストランが「咲顔(えがお)」である。このレストランは前年開店したが、全く素人のシングルマザーによる開店顛末をテレビ東京が放映していたのを見ていたからである。ところが、開店して3か月位してその女性は帰国してしまったとのこと。しかし、レストラン自体は日本人こそいないがまだやっているとのことで、その日の夜は、咲顔で夕食をとることにした。

時間が早かったこともあったが、お客は自分ひとり。親子丼で500円位、カレーライスやラーメンやうどんや寿司もあり、大体揃っていたが、値段は日本よりちょっと安い感じであった。食事中に二人の日本女性がテイクアウトのお寿司を取りに入ってきた。声をかけてみると、彼女達もアルマティから来ているとのことで、話していてビックリしたことは、彼らは何とアルマティにある日本食レストラン「かぶと」のママさんとそのお嬢さんであった。

「かぶと」はアルマティで2日続けて夕食を食べたところで、事前にそのママさんとは電話で話をしていたが、初日は団体客で忙しくお会いできず、前日は、キルギスに出かけているとのことでやはりお会いできなかったのである。
彼女のレストランもテレビ東京で紹介されたことがあり、咲顔も彼女がテレビ局に紹介したとのことであった。妙な繋がりがあるのに驚いた。

 なぜキルギスに来ているのかと事情を訊けば、ビザ更新のために急遽キルギスに来て、新たなビザを取るのだという。翌日も「かぶと」で日本食を食べる予定であったので、奇遇もいいところである。彼女もお会いできなかったことを申し訳ないと思っていたらしく、こんなところでお会いできるなんてとビックリしていた。取りに来ただけなのに、15分以上も引き留めてしまった。
 
4日は、ビシュケクの街は特に見どころがないのと雪降る寒さのため、1-2時間街中を散策しただけで、アルマティに少し早めに戻ることにした。ミニバスの乗り方も1回経験しているので、だいぶ要領を得てきた。バスターミナルを11時30分に満席(18人)で出発したが、隣に座ったのが、はるな愛似の可愛いおねえちゃんで、全く言葉が通じないが、親切にも出入国手続き中、ずうっと付き添ってくれた。道中5時間の長旅の中、ジェスチャーだけの会話であったが、親切な気持ちは言葉が通じなくてもよく伝わってきた。

 国境での出入国手続きは前日よりは混んでいなかったが、カザフスタン側の入国審査官はなんと前日の出国の時の審査官と同じ人であった。係員は10人位いたと思うが、偶然にも同じ人にあたるとは不思議なものである。日本人などほとんどいないので、向こうもすぐ気付いたようで、手を振って挨拶した。もちろん、入国審査は極めてスムーズであった。面白い体験が続いた一人旅であった。
 
写真は、ビシュケクの街並み(見出し画像)、オシュ・バザール、親切なモンゴルのお姉さん
 
キルギス旅行アルバム(1.41~): https://youtu.be/FMmQ-YpCrWs
 
 
 
 
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カザフスタン旅行の思い出 

2021年10月02日 19時46分10秒 | 旅行
 
2014年のカザフスタン旅行の思い出を振り返ってみると、
 
4月11日、エア・アスタナの飛行機(A321)でウズベキスタンのタシュケントからカザフスタンのアルマティに入った。これで、カザフスタンが98か国目の訪問国となった。

機内の座席は最後部であったが、隣に40歳位の日本人っぽい女性が座っていて、話をしてみると、よく日本人に間違えられるという。モンゴル出身のカザフスタン人であったが、日本たばこ国際会社(JTI)のアルマティ事務所の女性マネジャーで、よかったら自分の車でホテルまで送ってあげると言われた。海外では日本語で話かけてきて親切を装い悪さをする輩がいるので注意せよとよくガイドブックで手口が紹介されるので、一瞬警戒したものの、名刺もくれたことから、安心して彼女の親切に甘えることにした。どうやって空港からホテルまで行こうか迷っていたので、渡りに船であった。

彼女は二人の子供がいて、JTIでは各国(中央アジア、モンゴル)のタバコに関する法律関係業務を担当しているという。日本が好きだし、年寄に親切にすることは自分にとっても大切であるとも言っていた。このような出会いは一人旅の楽しみでもある。このドラマのような出来事も実際にありうるので、飛行機の座席の隣に誰が座るかもばかにならない。

 アルマティの町は、タシュケントのイスラム的雰囲気とは異なり、アジアというよりは、むしろヨーロッパ的というか、ソ連的というか道も広く大都市の様相である。観光的見どころはあまりないが、28人のパンフィロフ戦士公園にあるゼンコフ正教会、戦勝記念碑や無名戦士の墓の他中央バザール、共和国広場、国立中央博物館等を歩いて見て回った。
 
今回の旅行では、夕食に何を食べるか苦労していたが、やっと日本食レストランがある街に来たので、10日ぶりに日本食の外食となった。ここにある「かぶと」という日本食レストランには3回も通った。最後の晩餐では、なす焼きと餃子とカツ丼を食べたが、値段は1800円位であった。海外での日本食は、お茶が無料なところも多く、どんぶり物を食べている限り、ローカルのレストランより安くつくので、愛好している。
 
写真は、アルマティ国際空港(見出し画像)、ゼンコフ正教会、共和国広場
 
カザフスタン旅行アルバム: https://youtu.be/FMmQ-YpCrWs
 
 
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ウズベキスタン旅行の思い出

2021年10月01日 17時29分17秒 | 旅行
 
ここ1年以上コロナ禍で海外旅行は夢のまた夢と化しており、海外旅行に出かける人はほとんどいなくなってしまった。こういう時はテレビの旅行番組で妄想旅行するか今までの旅行を思い出して振り返るくらいしか楽しみがないといえる。幸い、テレビではBS放送で旅行番組が多くあるので、楽しみにしているが、過去の旅行を少し振り返ってみたい。皆が旅行であまり行くことがない中央アジアのウズベキスタン、カザフスタン、キルギスへの旅行記を振り返ってみたい。
 
まずは、2014年4月のウズベキスタン旅行。
 
2014年4月3日、午前3時頃、エルサレムからイスタンブール経由でウズベキスタンの首都タシュケントに到着した。これで、ウズベキスタンが97か国目の訪問国となった。予定が1日早まったことで、当初の予定を変更し、ブハラという世界遺産の町に2泊、サマルカンドに2泊することにした。従って、急遽、ブハラまでは飛行機、ブハラ→サマルカンド→タシュケントは、高速鉄道の切符を悪銭苦闘しながら手配した。

 新市街にあるホテルの周辺を散策したタシュケントの街の印象は、道路がとにかく広いこと建物が単調で無機質であること、英語の案内がほとんどないこと、人があまり外を歩いていないこと、観光客もほとんどいないこと、お店やレストランがほとんど見当たらないこと等、旧ソ連時代の名残りが強く残っている印象であった。
 
5日は午前中に旅行会社に行ってブハラ行の航空券を買い、その足でタシュケント駅に行って、2枚の鉄道切符を買ったが、航空券は安く買えたものの、出発の空港ターミナルを間違えて案内され、翌日早朝に大変な思いをした。ターミナル2を案内されたが、実際は2-3㎞離れたターミナル3で、早めに行ったから何とかなったが、タクシーを2回使う羽目になった。

6日は、早朝にブハラに着き、前日に急遽予約を入れたホテルにチェックインしたが、そこは、200年前のサライの建物をホテルに改装した歴史感あふれるホテルで、雰囲気は抜群であった。値段も1泊朝食付きで35ドルであった。チェックイン後、すぐに旧市街の観光に出かけたが、ブハラの旧市街は世界遺産に登録されているだけあって、見どころがいっぱいで、ガイドブック片手に全部で15か所位の名所旧跡を見て回った。ブハラのシンボルであるカラーン・ミナレットをはじめ、古いものがそのまま残っている建造物も多く、中世の雰囲気を色濃く残す町並みの中の散策は感慨深いものがある。急遽旅程を変更して、この町を訪れたのは大正解であった。

 
7日は、郊外にあるスイトライ・マヒ・ホサ宮殿まで足を延ばし、見て回った。8日はブハラからサマルカンドまで鉄道を利用したが、予想外のことがいろいろあった。まず、切符は前日までに買わなければならないようであった。また、鉄道の駅にも簡単に入れるものと思っていたが、切符を持っていないと駄目なようで、入口で厳重な手荷物検査も行われていた。駅の写真も列車の写真も撮影不可と断られた。2等席であったが、車内は十分綺麗で、一つの客車に4つのフラットモニターが付いていて、DVDらしきドラマが放映されていた。

サマルカンド駅に到着すると予想通り、タクシーの客引きがたむろしていたが、逃げるようにして振り払い、何とかバス乗場に行くことができた。日本語で話かけてくる人もいるので、何となく怖い感じである。タクシー利用は、いつも緊張感を持っていないと危ない目にあう恐れがあるので、初めての空港や駅ではなるべく利用しないようにしている。しかし、タクシー以外の公共交通機関を利用するのも至難の業である。今回は、路線バスが市内のどこを通るかの情報を全く持たないで、ガイドブックに載っていたバスの番号を頼りに市内方面に行くと思われるバスに飛び乗ったが、ホテルから少し離れたところしか行かず、バス停から15分ほど歩く羽目になった。

サマルカンドは日本人なら誰もが世界史の授業等で知っている有名な都市であるが、世界遺産に登録されているだけあって、見どころも多い。ブハラほどコンパクトに史跡が集中していないので、歩いて回るとなるとかなり辛いものがある。14世紀にティムール帝国を築いたアミール・ティムールに関連する名所・旧跡が中心で、「青の都」とか「イスラム世界の宝石」とか言われているように、青い色をした様々なモスクやメドレセ(神学校)や廟などの見どころが街に点在している。それでも主な見どころは1日もあればほとんど見て回れる感じであり、9日は一日かけてガイドブック掲載のほとんど全てを見て回ることができた。

10日は夕方1700発のアフラシャブ号という特急列車でタシュケントに戻った。新幹線ほどの快適さはないが、乗務員が乗っていて、サンドイッチの無料サービスもあった。そんなことは知らずに、この移動中に夕食を食べる計画を立てていたので、用意しておいた非常食用の五目ごはんと熱いお茶で夕食を取ることにした。座席のところに電源があったので、持っていた湯沸しポットでお湯を沸かし、お茶を入れて、海外での列車の旅とは思えないほど日本情緒たっぷりの夕食となった。ウズベキスタンは、歴史的史跡も多く、異国情緒たっぷりで、観光地として魅力あふれる国であるので、一度は行ってみたい国である。

 写真は、カラーン・ミナレット
 
ウズベキスタン旅行アルバム: https://youtu.be/teDAeM9r6fQ
 
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