プロレスというのをはじめて知ったのは、家にテレビが来て、チャンネル権は父がとっていたから。
時代劇やら、プロレスやら、が主だった。
力道山なる空手チョップは、毎回見せられたような気がする。
レフリーという言葉と一緒に、新しい言葉だった。
試合開始直後な、やられッぱなしの力道山が、空手チョップを繰り出して、マットに沈むと、「オキシキナ」というレフリーが
数を数えだす。
1、2で、必ず数えるのを止めてしまうことがストレスだった。
外人レスラーの反則技が、レフリーが気がつかないことも、いらたちの一つだった。
テレビ放映時間が終り頃になると、勝負がつくというのも、不満だった。
付き合いで見せられることに、嫌気がさし、テレビから遠ざかった、こともあった。
そんな頃、力道山が怪我をしたというニュースがあった。
刺されたらしいということだけは、報道され、たものの、大した怪我ではないとも伝えていた。
何日かすると、死んだというニュースが、あった。
「え?」と不思議に感じた。
1週間くらいで、退院とかのニュースだったはずだったから、にわかには信じられなかった。
大した怪我ではなかったけれど、「力道山は、怪我を軽視して、見舞客と、食べたり飲んだりした」とか
の話があった。
事実は、わからないが、「命にかかわるほどでなかったはずの怪我で、命を落とした人」との記憶だけが残った。
「100人の20世紀」で、力道山の知られざる過去の話題を知った。
黒いタイツが印象的だった力道山。アメリカからプロレスを持ち込んでわずか10年で逝ってしまったそうな。
物悲しさが頭をよぎった。
100人の20世紀 上
朝日新聞社
朝日文庫