ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

力道山

2011-06-24 12:11:26 | 日記

プロレスというのをはじめて知ったのは、家にテレビが来て、チャンネル権は父がとっていたから。

時代劇やら、プロレスやら、が主だった。

力道山なる空手チョップは、毎回見せられたような気がする。

レフリーという言葉と一緒に、新しい言葉だった。

試合開始直後な、やられッぱなしの力道山が、空手チョップを繰り出して、マットに沈むと、「オキシキナ」というレフリーが

数を数えだす。

1、2で、必ず数えるのを止めてしまうことがストレスだった。

外人レスラーの反則技が、レフリーが気がつかないことも、いらたちの一つだった。

テレビ放映時間が終り頃になると、勝負がつくというのも、不満だった。

付き合いで見せられることに、嫌気がさし、テレビから遠ざかった、こともあった。

そんな頃、力道山が怪我をしたというニュースがあった。

刺されたらしいということだけは、報道され、たものの、大した怪我ではないとも伝えていた。

何日かすると、死んだというニュースが、あった。

「え?」と不思議に感じた。

1週間くらいで、退院とかのニュースだったはずだったから、にわかには信じられなかった。

大した怪我ではなかったけれど、「力道山は、怪我を軽視して、見舞客と、食べたり飲んだりした」とか

の話があった。

事実は、わからないが、「命にかかわるほどでなかったはずの怪我で、命を落とした人」との記憶だけが残った。

「100人の20世紀」で、力道山の知られざる過去の話題を知った。

黒いタイツが印象的だった力道山。アメリカからプロレスを持ち込んでわずか10年で逝ってしまったそうな。

物悲しさが頭をよぎった。

 

100人の20世紀 上

朝日新聞社

朝日文庫