先週テレビで放送していた柔道の世界選手権を何気に“見て”いた。「この選手は礼儀正しいですね。態度がいいですね。」などというアナウンスが聞こえて、テレビに注意を向ける。無差別級だったかの試合。日本のムネタさんという選手が出ていた。
「お辞儀の仕方が素晴らしい」とかの評価であったが、私には、戦う相手にも敬意を払うという心意気に見えた。それはたぶん、武士の魂である。「おー、サムライじゃねぇか。こんなところに生き残っていたか。」と思ったのであった。何とも清々しい態度よ!
ムネタさんは正々堂々の精神でもって、風格のある戦いぶりに終始する。せこく得点を稼いで、とにかく勝ちゃあいいという外国人選手の戦いぶりとはまるで違う。感動した私は、その後2試合ほど、時間をおいてだったが、彼の試合を“観て”しまった。
残念ながらムネタさん、残念ながら私が観ることのできなかった決勝戦では負けてしまったようだが、金メダルよりも貴方の誇りある戦いぶりは、なお輝いていた。これからもサムライ魂を持ち続けて戦って欲しい。貴方の金メダルは他の金メダルよりずっと価値のあるものになるだろう。などと、戦わないオジサンではあるが、私は思ったのであった。
ハリケーンの襲来で大被害を蒙ったニューオーリンズ、体の弱い老人たちが病院に閉じ込められて、死の恐怖を感じながら死んでいったなどということを聞いて、たいへん痛ましく思う。いつでもどこでも、弱者が最も多く被害を受けるようだ。同情する。
悲惨な状況については同情する他無かったのであるが、しかし、自然災害の被災地で、軍隊が鉄砲を構えないと治安が維持できない有様には驚いてしまった。車もある、テレビも冷蔵庫も洗濯機もある、生活の成熟度としては世界の先頭を行くアメリカ合衆国、ではあるが、社会の成熟度としては疑問。あるいは社会を形成する人間としての成熟度には疑問を感じた。災害時、皆が命の危険を感じて、助けを求めているような時に略奪なんて、キリスト教というのはいったいどんな道徳を教えているのかと疑問に思う。
それに対し、火事場泥棒のようなこと、日本でも無いことは無いと思うが、それはごくまれであろう。確固とした宗教があるわけでは無いが、社会の成熟度、社会を形成する人間一人一人の成熟度としては、日本は世界に誇るべきものを持っていると感じる。
「日本をあきらめない」なんてキャッチフレーズを掲げていた政党があったが、「日本をあきらめかけている」日本人は、その政党の人間の他にはそう多くはいまい。そりゃあ少子高齢化で年金がどーのこーの、国の借金がどーのこーのといろいろ問題もあろうが、社会の成熟度も理想の形まではまだまだ遠かろうが、この日本、「あきらめる」国なんてことからは、それよりもっとずっと遠かろう。いい国なのである。ムネタさんもいるし。
今回の選挙では惨敗したけれど、政官癒着の構造を断ち切るには政権交代のある政治が求められる。その為にも、野党はこの惨敗を機に、改めて自分たちを見直して欲しい。濃い墨総理が捨て去ろうとしている政治の古い体質、しがらみで改革の進まない古い体質が自分たちの中に残っていないかを、己に問うて欲しい。そして、大地にしっかりと根を張って、日本のあるべき形を明確にして、国民に正面から語りかけて、理解される政党に生まれ変わって欲しいものだ。国民の多くはまだまだ、あなたを諦めていない。
記:2005.9.13 ガジ丸