先週、テレビで、ロバート・ワイズ監督が死んだというニュースを聞いた。ロバート・ワイズ監督という名前には馴染みが無い。が、微かに記憶の底に覚えがあって、「誰だったっけ?何者だったっけ?」と思う次の瞬間には、画面に「ウエストサイド物語」と「サウンド・オブ・ミュージック」が現れ、それらの音楽が流れた。
「ウエストサイド物語」も「サウンド・オブ・ミュージック」も確か、中学の頃にそのリバイバル上映を私は観ている。オジサンという歳になってからは年に5、6本程度しか観ない映画だが、中学の頃は、母が映画館関係の仕事をしていて、定期的に招待券が貰えたこともあって、よく観た。3年間で200本は観ていると思う。その中でも「ウエストサイド物語」と「サウンド・オブ・ミュージック」の2作品はとても印象深い。
それまで、西部劇が好きで、クリント・イーストウッドやジュリアーノ・ジェンマなどが主人公となって、悪者をバッタバッタと倒すといった映画を多く観ていた。それらはテレビのヒーローものの延長線上にあり、強くなりたい、カッコよくなりたいと願う少年の当然の好みであったと思う。ただ、映画の魅力はもちろん、単純な勧善懲悪で、最後は正義が勝って、観ている者が爽快な気分を味わえるというものだけではない。
映画は総合芸術なんていうことを聞いたことがあるが、確かにその通り。ありとあらゆる感性を総動員して、観ている者へ別世界を味わってもらう。別世界を、まるで観客が実体験しているかのようなリアリティーでもって伝える。映画の良さはそこにあると思う。そして、私がそう思うようになったのは、おそらく「ウエストサイド物語」と「サウンド・オブ・ミュージック」の2作品の影響が大きい。物語の奥深さに惹きこまれ、画面の迫力(70ミリだったと記憶している)と美しさに驚かされ、そして音楽に感動した。
「ウエストサイド物語」も「サウンド・オブ・ミュージック」も私は、そのサントラ版を買った。映画は強烈な印象を少年に与えたので、音を聴くと映像が蘇る。目を閉じると映画の場面へ自分が入っていける。それは快感。レコードは何度も何度も聴いた。
感受性の鈍くなったオジサンは、もうずいぶん長いこと「ウエストサイド物語」も「サウンド・オブ・ミュージック」も聴いていない。レコードプレーヤーはあるが、アンプに繋いでいないのでレコードを聴くことができない。でも、もうそれは聴かなくてもいいのである。オジサンはこのごろ、映画を軽く楽しむことができるようになったのだ。
家のテレビでDVDを観るのでは味わえない世界が、映画館の暗闇の中では簡単に、深く味わうことができる。気分をリラックスさせて、心を催眠術にかかりやすい状態にし、余計なことは考えない。先入観も要らない。そうすれば概ね、映画は楽しめる。
幸せな場面では、自分もそうなれるという夢と希望を感じる。逆に、たとえ、そこに悲惨な場面があったとしても、映画を味わうことができたなら、悲惨の意味も理解できる。理解できたなら、人々は次に何をするかを考えるだろう。そのように考えることがまた夢と希望に繋がる。つまり、どっちにしろ、映画館は夢と希望の館なのである。
大作よりも最近は小作品が私の好みとなっている。明日、ウッディー・アレン監督の作品を桜坂劇場でやる。アンチハリウッドはさらに私好み。観にいく予定。
記:2005.9.23 ガジ丸